【京都】命がけで店内に機関車を置いたパン屋さん「パン・オ・セーグル」がスゴイ!

2016/7/11 16:00 吉村智樹 吉村智樹





(パン屋さんに来たはずなのに、なぜか背後には機関車が……)



かつて日本には「ブルートレイン」のブームがありました。

「ブルートレイン」とは文字通り車体が青く塗装されたJR(国鉄)の長距離寝台旅客列車のこと
電気やディーゼルの機関車が、ベッドで眠る人々を乗せながら、山を越え、海を望み、星降るの街を駆け抜けてゆく、そんな深夜特急のことをそう呼びます。

列車に揺られつつ、窓にさしこむ朝焼けの陽光でめざめる味わい深い旅情は人々を魅了し、ブルートレインは70年代後半から80年代にかけ、たいへんなブームを巻き起こしました

水島新司さんが描いた野球漫画の不朽の名作『ドカベン』にもナイターにめちゃめちゃ強い「ブルートレイン高校」なんてチームまで登場したほどです。

しかし、ゆっくりと人々を運ぶブルートレインは、スピード時代の到来とともに次第に下火となります。

そして2000年代に入るとダイヤ改正で続々と姿を消し、2015年3月、遂にすべての定期運行が終了してしまいました


鉄道旅行の楽しさを教えてくれた、庶民の憧れだったブルートレイン。
そんな青いヒーローの在りし日の面影に出会える場所が、なんと京都にあります
そしてそれは、とても意外な場所なのです。


訪れたのは木津川市。
京都の南端に位置し、茶どころとしても知られる緑豊かな街です。


JR各線「木津」駅で下車し、国道24号線をさらに南へくだると、レンガ造りで三角屋根の愛らしい建物が現れました。


(とんがり屋根がかわいいパン屋さん「パン・オ・セーグル」)


ここがベーカリーショップ「パン・オ・セーグル」


セーグルとはビタミンやミネラル、食物繊維を多く含むライ麦を意味し、外観には「全品天然酵母100%」と大きく掲げられ、パン作りに対する想いの強さが感じられます。



(「全品天然酵母100%」。おいしさへの期待がたかまる!)


そしてお店を横から見ると、ガラス張りの向こう側に……あれ?
なぜか「JR」の白抜き文字が。



(なぜパン屋さんに「JR」? ジャパニーズ・ロールパンの略?)


ん? JR?

あのう、ここ、パン屋さんですよね?
駅舎じゃないですよね?


怪訝に思いながらお店へ足を踏み入れると……。

「おぉぉぉお」。

おいしそうなパンの向こう側に、なぜだか青い機関車が、どーんっ!



(まさか、機関車がお店に突っ込んできた?)


まるでトンネルの中でパン屋さんが店開きしたかのようなシュールな光景なのです。

青い顔をした彼の名前は「EF66-49号機」
これは国鉄時代に高速貨物列車用に開発され、「もっとも牽引力がある」と称賛された電気機関車。
その豪快なパワーを買われ、1985年に東京~下関間の寝台特急を牽引する役目を担いました。

そして青い車体の寝台特急は一般的に「ブルートレイン」と呼ばれはじめ、人気を博すことに。

このEF66-49号機は、まさにブルートレインのブームを“牽引”した立役者のひとりなのです。



(EF66-49号機のプレート。よく見るとガラスの向こうに扇風機が。当時は冷房がなかったのだ)


ヘッドマークも凛々しく、「あさかぜ」「あかつき」「はやぶさ」「さくら」「富士・はやぶさ」の、ブルートレイン5種を2週間おきに交換しているのだそう。



(ブルートレインブーム後期に活躍した寝台特急「はやぶさ」のヘッドマーク。2週間に一度つけかえられる)


毎週土曜日13時~19時にはヘッドライトを点灯し、いっそう在りし日の姿に近づきます。
それ以外の時間でも、お店のスタッフにお願いすれば、いつでも点けてもらえます。



(スタッフに希望を伝えれば、ヘッドライトを灯してもらえます)


いや、それにしても、ですよ。

威風堂々としたたたずまいに、しばし見とれつつも「なぜブルートレインが、京都のパン屋さんの店内にあるの?」という疑問が、はやぶさのような速度で湧いてきます。


その疑問はさておき、まずは、ここ木津川市で生まれ育ったというオーナーシェフ泉川賢二さん(57歳)に、パンについておうかがいしました。



(「パン・オ・セーグル」オーナーシェフの泉川賢二さん。背後の写真も気になります)


泉川
「パンは毎日食べるもの。ですから、できるだけおいしいものを味わっていただきたいという想いから、酵母は化学肥料を一切使わない『ホシノ天然酵母』を使い、そしてほぼすべての商品を北海道産の国産小麦で作っています(*一部オーガニック小麦だけ北米からの輸入)


ほかにも北海道産のよつ葉バター、天日干しの湖塩や三温糖、古代米など身体に優しい食材を厳選しているのだとか。
だからなのか、パンの生地の伸びがよく、噛むほどに自然な甘みがじゅわっと広がります。



(北海道産の国産小麦を100%使用するなど天然素材を活かしたパンが並ぶ)



(手前:古代米を用いた生地にマカダミアナッツ、カシューナッツ、くるみの3種のナッツがぎっしり詰まった「トリプルナッツカンパーニュ」(410円/以下すべて税込)。向かって左:キャラメリーゼしたくるみをデニッシュ生地に封じココナッツを乗せて焼いた「くるみココスティック」(200円)。奥:甘すぎない小豆が素朴なうま味をひきたてる「角型大納言ブロート1/3」(475円))


泉川さんのパン職人のキャリアは、およそ18年。
前職は「速読インストラクター」というユニークな経歴をお持ちです。



(パン職人歴18年というベテラン泉川さん。前職は意外にも速読インストラクター)


速読インストラクター時代に妻の静さん(53歳)の実家がある徳島県でたまたま入ったベーカリーショップで天然酵母のパンのおいしさに衝撃を受け、自分もパン職人に転職しようと決意。
以来、奈良県の有名店での修業を経て、独立。

そして2011年7月1日、ついに、まるで車庫と見まがうようなこの自分の城を建てるに至りました。

では、いったいなぜ、パン屋さんの中にブルートレインを置こうと思ったのでしょうか?


泉川
「私は速読インストラクターをしていた頃、東京に住んでいました。そして、出張のためブルートレインに乗ったんです。そのとき、寝ながら一晩かけてゆっくりと、はるか先の目的地に近づく時間がとても風流で優雅に感じたんですよ。あれからずいぶん経ちましたが、汽笛の音を聞きながら眠ったあの日のことがいまだに忘れられない。この頃は出張といえば日帰りが当たり前になって、寝台車で移動するだなんて過去の物語になってしまいましたが、そういうのんびりとした時代があったことを思い出してほしい。ブルートレインという文化があったことを後世に伝えたかったんです


なるほど。
パンとブルートレイン、はじめは共通点が見いだせなかったのですが、おいしいパンをほおばっているときの豊かな気持ちと、時短にとらわれず寝台車でゆったり旅をする情感は、連結している気がします。

しかしここで、さらなる疑問が。

この建物、“機関車ありき”でないと建てられないデザインですよね?
この車両はいったいどこからやってきて、店を建てるまでどこに置いていらしたのでしょうか?


泉川
「いやあ実は、この店を建てたときは、まだこの機関車はなかったんです。『いつかブルートレインを店に展示したい』という願いが、きっとかなうだろうと思って設計したんです


ええっ?!
ブルートレインをまだ手に入れていなかったにもかかわらず、「必ずここにやってくる」と夢見て、この店を造ったというのですか?
それはまた無謀な……。

ではいったい、どういういきさつで青い彼がここにやってきたのでしょう。


泉川
「この店の工事をしている頃、私たちは100メートルほど離れた場所で小さなパン屋を営んでいました。その店の壁に、息子が趣味で撮った鉄道写真も貼っていたんです。すると電気機関車の運転手さんが来られ、興味を示してくださった。そして私がブルートレインを手に入れたいという夢を話すうちに、『うまくいけば運用からはずされた車両のカットモデル(切断し、内部構造が見えるようにしたもの)が入手できるかもしれない』という情報を教えてくださったんです」


こうして、奇遇にもたまたま店を訪れた電気機関車の運転士さんがほうぼうあたってくれたおかげで、念願かなって運転台部分のカットモデルを購入できることに。
オープン寸前の、ぎりぎりのできごとでした

そうして新店舗へとやってくることとなったのが、JR西日本に所属していた最後のEF66形。
ブルートレイン「富士・はやぶさ」が引退したあとは工事用貨車や臨時特急の牽引で第三の人生を送ったものの、2010年に廃車となり、切断された運転台部分がこうして奇跡的に残っていたのです



(ブルートレインとして現役だった時代のEF66-49号機の勇姿)


それにしても、泉川さんの夢をかなえるきっかけを作ったのが、息子の智彦さん(22歳)が撮った鉄道写真だったとは、なんて親孝行な。
そして共鳴した運転士さんによって実現したのです。
鉄道を愛する人たちの想いがこうしてどんどんジョイントしてゆくなんて、浪漫がありますね。



(2階のイートインスペースは大学生の息子・智彦さん撮影の鉄道写真ギャラリーを兼ねている)



(イートインスペースから眺めるEF66-49号機もなかなかカッコいい。店内の絶景スポット)



(2階からなら運転席もバッチリ鑑賞できる)


しかし……決してよいことだけではありませんでした
車両の搬入は、大げさではなく、命がけの作業となったのだとか。


泉川
「車体を上下に分割して運び、店内で組み合わせる予定でした。ところが計算上はうまくいくはずだったのですが、搬入口より、車体の外寸がわずかに大きかったのです


ああ! それは痛恨のミスですね。


泉川
「まっすぐだと入らないので、もうすでにはめこまれていた店のガラス張りをはずし、クレーンで吊ってななめにしながら店の中へすべりこませ、置ける位置を探りました。そして上部を人力で1メートル26センチまでジャッキアップ。ジャッキアップだけで8時間かかりましたね。それから……そんなに高く人力で持ち上げる工事は前例がなく、ついにジャッキが壊れて折れてしまったんです


うわぁ。
とてつもない大きさと重さの車両を持ちあげたジャッキが工事の途中で壊れて折れる……想像しただけで背中に冷たい汗がしたたります。


泉川
「予備のジャッキをかませてなんとかしのぎましたが『もうこれ以上、工事を進めるのは危険だ』という状況が3回はありましたね


もともとは午前中の3時間ほどで終わる予定だった搬入作業は、なんと一睡もせず26時間を要したのだそう
途中、人命にかかわる事故や店舗を損壊する危険性があるため3度の断念を考えたというから、すごすぎます。
いやもう、おしゃれなパン屋さんのドラマとはとうてい思えない手に汗握るスペクタクルなエピソードです。



(ガラス張りをはずし、クレーンで吊りながら車両を店内へくぐらせる壮絶な搬入)


そうして苦労の果てに店へとやってきてくれたEF66-49号機を見て、泉川さんは、


泉川
「下から見上げると、まずその大きさに驚き、次第に熱いものが胸に迫ってきました。そしてこの工事を実現してくれた方々に、感謝の気持ちでいっぱいになりました」


と、しばし感動にひたったといいます。



(苦労した往時の状況をしみじみと回顧する泉川さん)


さて、やはり気になるのは車両のお値段ですが。


泉川
「うーん。値段は公表していないんですが。工事費も含め●●●●●●●●円というところでしょうか」


●●●●●●●●円!

その金額なら、お店がもう一軒、持てますね。
泉川さんにとってブルートレインは、それほどまでして伝えたい、いつまでもほかほかな想い出なのです。



(妻の静さんは『空いているスペースはてっきりイートインスペースになると思っていました。まさか機関車が来るとは』と驚いたそうです)


こうして焼きたてパンの香りに包まれながら第四の人生をスタートさせたブルートレイン。
彼に会うために遠方から駆けつける鉄道ファンも多いのだとか。



(陽が暮れるといっそう存在感を増してゆきます)


いま京都は、今年4月にオープンした京都鉄道博物館がおおにぎわい。
その足で、ぜひ京都の南にあるこちらにも訪れてみてください。
かつての日本の旅を彩った、頼もしい、けれどもどこかセンチメンタルな機関車に会うことができますよ。
撮り鉄、乗り鉄、いろいろあるけれど、おいしいパンとともに旅を楽しむ「食べ鉄」もおススメです。



店名■パン・オ・セーグル
住所■京都府木津川市木津川原田35-7
営業時間■8:30~19:30
定休日■日曜・月曜
電話■0774-72-7744
URL■http://seigle.web.fc2.com/



(取材・撮影 吉村智樹)