【2020東京五輪まで保存版】五輪ボランティアでもらえる物まとめ(2/2)
■現地でしか入手できない物
大会開催エリアでは毎日、新聞が発行されます。内容は主に前日の競技結果が、日本語とオリンピックの公用語である英語、フランス語で書かれたもの。
また、各ベニューではその日の競技に出場する登録選手をプリントしたリストが配布されます。これらを配っている人たちもボランティアです。
新聞を開くとこんな感じ。長野から17年経って完全にデジタル社会になりましたが2020年にも新聞は発行されるのでしょうか。
次は筆者が出力した「リザルトリスト」です。
全選手の競技結果が出ると即座にデータは順位順に並べ替えられるので、それを確認して会場内のスコアボードとテレビの画面に送信、会場内のプレスルームなどのプリンターに一斉に出力します。
データに間違いがなく、ジュリー(審判長などその競技の最高責任者)からも異議がなければ、他のベニューや長野市内など中広域に送信(同時にピンク色の用紙に印刷)。
さらに世界中に配信することとなり、世界配信と同時に黄色い用紙に印刷されて、これが確定した“FINAL”リザルトとなります。
スノボチームで一緒に働いていたボランティアスタッフと、世界に向けて配信ボタンを押す時(上記写真の黄色いリスト出力時)、「さすがに手が震える~」と言いながら出力していました。とても懐かしい…。
リザルトデータは世界中から来たメディアの「コメンテーター」用端末にも送られます。下の写真は端末の操作マニュアル。各国のコメンテーターブースをまわり、端末の案内や機器の不足・不具合がないか等のヒアリングもボランティアが担当します。
■ボランティア参加証、卒業アルバム…
長野オリンピック・パラリンピック終了1年半後、なかば記憶が薄れかけたころにNAOCから1通の封書が。
中には真っ白い厚紙の二つ折りバインダーが。添えられたお手紙によると、NAOCが清算業務を終えて完全に解散したことの報告、事務総長であった小林実氏からのお礼とご挨拶、サマランチIOC会長からもお礼の言葉を届けるとのこと。
バインダーを開くと左側は「オリンピック競技大会への参加証」、右側は「ボランティア参加証」で「1998年 第18回 長野オリンピック冬季競技大会にTeam’98のメンバーとして参加されたことを証する」と記載されています。
さらに、オリンピック終了後の記念品はIBMからも。シルバーの大きめピンバッジ3種セット。シリアルナンバー入り・額縁付きスタンド仕様でなかなかオシャレな一品です。
こちらは何と「卒業アルバム」!!サブタイトルに「長野オリンピック・プロジェクト 6年の歩み」とあり、準備に6年間かけてきたプロジェクトを総括するものとなっています。
中身はまさに「卒業アルバム」そのもの。プロジェクトの概要紹介や担当競技・所属部ごとの集合写真が溢れていて、今となっては良い思い出に浸れる一冊です。
せっかくなので、このアルバムからスノーボードチームの仕事場を紹介しましょう。
オリンピックをテレビで見ていると、ゴール地点の横や向かい側などにプレハブの建物が映ったりしますよね。あの中の一室が下の写真です。
PCモニターの背後の窓、その外にはハーフパイプがあるのですが、すべての窓には全面ポスターが貼られ、残念ながら競技は1分1秒たりとも見られません。
競技の結果はPCモニターの文字表示でしか見ていないので、業務が完全終了してダッシュでゲレンデに行き、まだ残っていた選手と記念撮影してもらったらその彼が金メダリストだったことを夜のテレビニュースで知るという一幕もありました。
ちなみに左から2番目の赤いトレーナーが筆者ですが、このとき何を見ていたのかは定かではありません…。業務終了後のスナップなので競技でないことは確か。
五輪ボランティアでもらえる「物」を中心に見てきましたが、色々な仕事があることも伝わったでしょうか。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックのボランティアは2016年から募集・登録が始まるようです。応募はインターネットからが中心になりそうですが、長野五輪のときは信州大学に動員がかかったそうなので、学校経由で申し込むというケースもあるかもしれません。
筆者の場合はいつ・どこから応募したかというと、オリンピック前年の1997年4月くらいに、たしか転職情報誌の「とら●ーゆ」などに載っていた募集広告からだったと記憶しています。
広告には「五輪」「オリンピック」という表記はなく、「4年に一度の」「国際的な」「スポーツの祭典」、そんな言葉と「勤務地:長野」とだけ書いてあったと思います。オリンピック期間中、現地で何か仕事がないか探したいという方は参考にしてみてくださいね。
(スージー小江戸)