戦後日本で右書きの横文字が左書きに変わった瞬間をさぐってみた(再掲)
続いては、毎日新聞です。毎日新聞の左書きへの転機は、読売報知新聞の11ヵ月後である1946年(昭和21年)12月1日からでした。その前日の11月30日の朝刊にその告知が出ています(赤枠部分)。
紙面右上を拡大したものです。この日の朝刊の見出しはすべて縦書きで違いが分かりにくいですが、一番上の段の日付や新聞名、ロゴ下にある「ミヤマ鉛筆」の広告などが右書きです。
赤枠で囲んでいた部分がこちら。毎日新聞は、一般使用する漢字の数を1850個まで制限した「当用漢字表」がこの年の11月16日に告示されたことを機に、12月1日より「当用漢字」と「新かなづかい」を採用するとともに横字を左書きに統一すると告知しています。
書籍「国語政策の戦後史」によると、「当用漢字表」告示以前の新聞の使用漢字は6000にも及んでいたというので、新聞を読みこなすには相当な漢字知識が必要だったのです。
さらに紙面左上の「社説」では、枠の下半分を使って当用漢字を採用するにあたって、これまでの経緯などを述べています。半世紀もの間、漢字の使用数を制限しようと試みては、元の状況に逆戻りしてしまうことを繰り返していたのだそう。
明けて12月1日の紙面がこちら。「ポーレー賠償案の詳細」という見出しをはじめ、横字はすべて左書きに変わっています。
三大紙で最後に横字左書きになったのは朝日新聞で、毎日新聞の1ヵ月後となる1947年(昭和22年)1月1日でした。こちらは、前年の12月31日の朝刊一面です。「労働運動の回顧と展望」という見出し他、右書きになっています。が、他の2紙のように、(一面には)左書きに統一する旨は記載されていません。
明けて1947年元旦の朝刊です。一面トップ記事である「マ元帥・年頭の言葉」という見出しが左書きになっています。マ元帥とは連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q.)の最高司令官、ダグラス・マッカーサーのこと。
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最後は日本銀行券(お札)を見てみましょう。1946年(昭和21年)2月25日発行の10円紙幣は、まだ右書きでした。算用数字は左書きなので、現代の感覚からするとややこしいですね。
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日本銀行券で最初に左書きになったのが、1948年(昭和23年)5月25日発行の五銭紙幣でした。このようにして、少しずつ、右書きのものが左書きに統一されていったのですね。
駆け足で横書きの右書きから左書きへの遷移についてまとめてみましたが、いかがでしたか。著者も実際、戦後のある時にお触れなどが出て、ガラリと右書きから左書きに変わったんだろうな、とぼんやり思っていましたが、想像していたよりもことは複雑だったのだと驚きました。引き続き、昭和の歴史を紐解いていければと思います。
(服部淳@編集ライター、脚本家)
※参考文献
日本語大博物館 悪魔の文字と闘った人々/紀田順一郎/ジャストシステム
国語施策・日本語教育/文化庁
国語政策の戦後史/野村敏夫/大修館書店