読める…読めるぞ!『役所からの手紙限定・難読症』なのでChatGPTに簡単にしてもらった 「インボイスてなに?」の答えは(1/2)
ライターです。
でも文章が読めません。
中には、読める文章もあるんです。
むしろ、空いた時間は何か読んでいないと落ち着かないタイプなので、小説などは絶え間なく読んでいます。 ただ、ある特定の文章が、読めません。
具体的には、「役所からの手紙」「法律・保険・税金関係の文書」「電子機器の説明書」などで、素のテンションで読むと1ページめを開いたまま白目を剥いてフリーズするくらい大の苦手です。
法学部だった夫には、「なんで本や雑誌は読むのにこれが読めないの?」と不思議そうにされますが、アレとコレとは同じ日本語とは思えないのです。
◆嫌いな文章には「共感覚み」がない
昔、ピアノをやっていて絶対音感がある友人が、
「鳴る楽譜と鳴らない楽譜がある」
と言っていたことがあります。
楽譜を目で追った時に、自然と音が再生される楽譜もあれば、頭を使って「読む」作業をしたほうが良いものもあるんだとか。
好みの楽譜は勝手に鳴ってくれるけれど、苦手なものや難解なものは、絶対音感のない奏者と同じように音符を追うそうです。
「共感覚」 という言葉がありますが…。
※共感覚=音を聞くと色が見えるというように、一つの刺激が、それによって本来起こる感覚だけでなく、他の領域の感覚をも引き起こすこと。
文章を読んだり音符を追った時に、「映像が浮かぶ」「音が鳴る」感覚を覚えるのは珍しいことではないようです。 私も例に漏れず、好きな本を呼んでいる時は無意識で「映像」や「音声」で再生しています。
例えばここに、村上春樹の小説があったとします。
ページを開くと、頭の中で展開されるのは「映像」。
もしくは、林真理子のエッセイがあったとします。こっちは、作者の声の「音声」で再生されます。
そこに、新しく買った、娘のGPS機器の説明書を持ってきます。
「無音」です。 映像も音声も浮かび上がらない、共感覚みゼロの、黒い線。文字の塊でしかありません。
読めることは読めますが、なんだか頭が疲れます。
最後に、税金に関する役所からの手紙を持ってきます。もはや読める気がしません。どうしても読まなきゃいけないときは、最悪、ワードで全部「打ち直し」します。
そうでもしないと、脳みそが嫌がって、「理解しようとするスイッチ」を切っていうことを聞いてくれないのです。 そこで、文明の利器・ChatGPTを利用してみました。
「小学生にも分かるように簡単にして」「下記の文章が難しすぎる。子供にも分かるように書き直して」と、国税局の公式サイトに掲載されていた「所得税及び復興特別所得税の確定申告」を小学生向けに書き直してもらったところ、「読める…読めるぞ」と、第三の目が開きました。