山田裕貴が『どうする家康』本多忠勝役に選ばれたのは藤岡弘、と志村けんのお陰?

2023/1/20 18:30 龍女 龍女

先週取り上げた『嘘八百』シリーズでは結局佐々木蔵之介の実家にスポットを当ててしまい、肝心の映画のメインになる抹茶碗の話が中途半端になってしまった。
今回は、題材となる茶碗の本物が出来た時代が、『どうする家康』の時代でもあるので、続きに触れておきたい。

嘘八百の第2作は、京都の祇園周辺が舞台である。
祇園は四条通りと西大路通が交差するところにある八坂神社周辺を差す地域である。
八坂神社は明治時代以前は『祇園社』と呼ばれていた。
神仏習合で寺でもあり神社でもあったことが、「祇園」という言葉に入っている。
「祇園」とは「祇樹給孤独園精舎」を略した「祇園精舎」としても知られている。
元々インドにある「アナータピンディカ園」を鳩摩羅什(344~413)が漢訳したのが「祇樹給孤独園」である。
お釈迦様と弟子の雨季の修行の場として、富豪のアナータピンディカ(スダッタ)が提供した土地に建った寺院を指す名前だった。
筆者は大谷大学の在学中に、インドの研修旅行で現地を訪れている。
非常に瞑想するのに涼しくて過ごしやすい場所であった。
そこになぞらえた地名なのである。

こうした聖地と呼ばれるところは人が集まる繁華街にもなるので、京都の芸子・舞妓の街として知られるようになった。
祇園の茶屋町の中心、花見小路通りの南にある大きな寺院が建仁寺である。
初代の住職は宋に留学して禅の一派臨済宗を日本に広めた栄西(1141~1215)である。
茶自体は奈良時代や平安初期にも伝わっていたとされるが、本格的に喫茶文化を伝えたとされるのが栄西である。
建仁寺の寺領を提供したのは、鎌倉幕府2代将軍源頼家で、3代将軍実朝が酒で二日酔いしたときに栄西は茶を勧めたという。
筆者は実は酒を飲んで記憶を失ったことがない。
それは肝臓が強い訳ではない。
健診では脂肪肝と注意されている。
しかし、記憶を失わないのにはコツがあって、飲み過ぎそうになると、酒からお茶に切り替えるようにしていたからである。
今でも、お茶は酒の酔いを覚ますのに役立つ。

祇園や建仁寺を南下すると、清水寺が有名な五条坂周辺である。
ここには清水焼と呼ばれる京焼の一種の作陶が出来る場所も近い。
筆者は茶道は素人だが、京都陶磁器会館で、野点(外で点てるお茶のこと)用のおかめの絵が描かれた小ぶりの抹茶碗を購入したことがある。

山田裕貴が演じたのは、 陶芸王子と呼ばれる若手陶芸家の牧野慶太である。
鑑定番組『あなたのお宝みせてぇな』のリポーターとしても人気のタレント性を持ったイケメンの役である。
映画の中で、写真集まで作った細部の凝り様である。


(「陶芸王子」牧野慶太の1st写真集の1カットを引用 イラストby龍女)

若き日の野田佐輔(佐々木蔵之介)同様、骨董商(加藤雅也と竜雷太)に精巧な写しの茶碗を作らされ、偽物としてあくどい商売の片棒を担がされていた。
『嘘八百 京町ロワイヤル』の重要なアイテムになる抹茶碗は織部焼である。

1591年に秀吉が千利休に切腹を命じた後、天下の茶頭を務めたのが大名で千利休の高弟だった古田織部(1543~1615)である。

古田織部は本業は秀吉・家康に仕えた一万石の大名である。
従って、古田織部大名茶人と呼ばれているが、一般名詞では数寄者(すきしゃ)と言われる。

『嘘八百』の第1作で、野田佐輔の一家がすき焼きを食べているシーンがあった。
すき焼きの「すき」は、諸説あるがこの映画では「数寄焼」と洒落ているのだろう。

京町ロワイヤルの発端は、橘志野(広末涼子)という美人が祖父がもっていた鑑定額約5000万円の織部焼の「はしかけ」を取り戻して欲しいと持ちかけたところにある。


(『嘘八百 京町ロワイヤル』に登場する織部焼「はしかけ」 イラストby龍女)

広末涼子演じる美女の下の名前が志野 なのは、有名な美濃焼の一種で、白い釉薬が特徴である志野焼からきている。
志野は志野宗信(1443?~1522?)という室町幕府の同朋衆(将軍の下で芸能に優れた者)が作らせたという。
千利休の祖父は千阿弥(生没年不明)と言う同朋衆で、志野宗信と同時代人らしい。
志野焼は、織部の前に流行した焼物である。



筆者はそんなに詳しくはないが、抹茶を飲むために練習で買ったこの茶碗は、志野焼ではないだろうか?
詳しい方にご教授願いたい。

さて、同じく美濃焼で古田織部が作らせたのが織部焼である。
古田織部は、大坂の陣で東軍に属していたが、豊臣方に通じていると疑われて切腹した。
つまり、真田信繁が討ち死にしたのは1615年の6月3日。
古田織部が切腹したのは、1615年の7月6日。
およそ一ヶ月違いである。
大坂の陣の戦後処理によって、古田織部は死を家康から賜り、織部焼の流行が終わるのは、大坂の陣の終結がきっかけだったようだ。

さて、筆者が山田裕貴が本多忠勝役を演じるご縁の最後の決め手とみる志村けんについて、徳川家康との関係について、紐解いていこう。

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