死にたくない。 第4回「おいしいパン」

こんにちは。さかうえです。

友人と話す時、
私の一人称は「ウチ」なのですが
「ギャルみたいだね」「頭悪そうだね」と
よく言われます。

馬鹿にされたくないので
「ワタシ」「アタシ」「アチシ」など
試してみたのですがどれもしっくりきません。

そもそもなんですけど

仕事をしていたり、他人と会話している
「社会性を帯びた私」には
一人称なんか必要ないような気がしてきました。

例えば今
「おいしいパン」と書かれた菓子パンが
目の前にあるのですが

作った工場の人にとって、
「私(さかうえ)はこのパンをおいしいと感じる」という
一人称の主観で記述しているのではなくて

「あなたはこのパンをおいしいと感じる(はずだ)」
「私たちはこのパンをおいしいと感じる」
という二人称や三人称の表記で記述しているはず…

でも…

私はこのパンをおいしいと思う!
私はこのパンをすごくおいしいと思う!!
おいしいパンが私の目の前にある!!!!

そう考えると、「おなかが痛い」も
一人称で言う必要がない気がします。
“痛み”は「私」にとって明らかなので、
発言するときは常に
他人から見た私の“痛み”を想像して欲しい時
なのだと思うのですが…

どう思いますか?