Twitterで話題沸騰。コミックエッセイ『#離婚して車中泊になりました』が切ない

2021/3/30 19:47吉村智樹吉村智樹




こんにちは。
ライター・放送作家の吉村智樹です。


おススメの新刊を紹介する、この連載。
第44冊目は、Twitterで話題沸騰中のコミックエッセイ『#離婚して車中泊になりました』です。





■離婚から始まった「車中泊」生活


いま「車中泊」がブームです。オートキャンプ場は大賑わい。女性が快適に車中泊を楽しめる方法を教えてくれるカリスマブロガーや、キャンピングカーで暮らす夫婦YouTuberも注目されています。大手自動車会社は車中泊ブームに乗じ、リアシートを倒してゆったりくつろげるフルフラットモード車を市場に続々と投入しているのです。


しかし……話題の本『#離婚して車中泊になりました』(朝日新聞出版社)は、楽しげな車中泊ブームとは少々事情が異なる様子が描かれています。


この『#離婚して車中泊になりました』は、漫画家の井上いちろうさんが2019年4月の離婚をきっかけに家を失い、生きるために「車中泊」生活を選択した、哀愁ムードが溢れるコミックエッセイ。Twitterでツイートしている車中泊実況中継漫画がバズりまくり、待望の書籍化となったのです。


漫画家になって25年目を迎えた井上いちろうさん。その節目の年に離婚をします。30年ローンを組んだ中古の一軒家は、ほぼからっぽ。なにも残っていません。次の買い手がつくまで約3か月間、井上さんは空き家同然となった住居の掃除にいそしみつつ、寝袋で生活をします。なぜ、すっからかんの家に3か月も住んでいたのか。部屋に生活感を残してしまうと、内見に訪れた人に、よい印象を与えないからです。誰かに家を買ってもらわないと、お金がないわけですから。





■iPadさえあれば漫画が描ける。だったら家、いらなくない?


早く次の住みかを見つけなければ。焦る気持ちはありました。けれども現在の自分を活かしているものは、漫画を描くための一台のiPadインターネットのみ。井上さんの胸中に、次第に「家をもつ暮らし」への疑問が湧き始めます。そして井上さんは家だけでなく、まともとされる生き方すべてへの執着心から解き放たれてゆくのです。


この虚無感に包まれてゆく過程。とてもよくわかります。僕もバツイチなので。僕の場合は車中泊ではなく、次の家が見つかるまでの野宿でした。公園のベンチで眠っていたあの一週間ほどは、幸せでも不幸せでもない「無」に包まれていました。誰も憎んでいない。自分はどうなってもかまわない。このまま土に還ってもいい。悲惨なはずの現状なのに、とても安らいだ気持ちになっていたのを憶えています。


そんなおり、井上さんの老いた父が免許証を返納し、軽自動車を手放す運びとなりました。譲り受けた井上さんは軽自動車に言わば“転居”をし、移動生活の幕が開けるのです。自宅の鍵は車のキー。なので車中泊というより、車中住と呼んだ方がニュアンス的に近しいでしょう。





■自由どころか不自由。甘くはない移動生活


家へのこだわりを捨てた、だから自由になれた! ……かと言えば、そう甘くはない。冬の寒さはことのほか厳しく、スーパー銭湯やサウナで充分に身体を温めても明け方には全身が凍るような冷気が襲いかかる。反対に夏は蒸し風呂状態。停車中は充電式の扇風機3台をフル稼働させないと身体を壊してしまいます。


エンジンをかけたまま夜をやり過ごすため、ガソリン代の支出もばかにはなりません。家賃ほどではないにせよ、車中泊は意外とお金がかかります。そのためには稼がなくては。遊んで暮らすわけにはいきません。


車中泊なら日本中どこへだって行ける! 翼を手に入れたんだ! ……かと思いきや、行動範囲も限定されます。おりしも井上さんの車中泊生活は、新型コロナウイルス禍に添うようにスタートしました。他県ナンバーの自動車が、そうやすやすと関所を越えられる時代ではないのです。


ほか、警察からの不審尋問
寝返りを打つたびに身体のどこかが車内装備にぶつかるストレス
なにもない山道でガス欠するかもしれない恐怖。
大型トラックが横切る際の命に係わる風圧
トイレに不自由する生活が引き起こした便秘
道路をふさいで退く気ゼロな野生の鹿
そしてなにより、実家の両親への後ろめたい気持ち
いい歳をして離婚したうえに家ももたない、そんな自由への代償は大きい





さらに井上さんを苦しめるのが、過去の記憶。かつての妻が連れて行ってしまった愛犬を思い出すと胸が苦しくなり、以前に住んでいた家をまた訪ねてしまう。訪ねたところで犬に会えるわけでもないのに。あなたもむかし好きだった異性のその後が気になり、名前で検索をかけたりしませんか? 別垢でこっそりフォローしていませんか。甘くて苦い過去の記憶を、誰しもそう簡単には断ち切ることはできません。


■車中泊が生みだした漫画への意欲


明日をも知れぬ「車中泊漫画家」ライフ。「そろそろ家を見つけたほうがよいのでは」と心配になります。けれども井上さんは、この暮らしをやめそうにありません。ギャラも出ないのにTwitterに描いた漫画は、およそ30年になる漫画家生活で初めて、描きたくてたまらない激情に衝き動かされたものだったからです


車中泊生活に目的地はありません。あるとすれば、かろうじて今夜安全に停車できる場所を探すくらい。夢や希望をいだき、目標へ向かって邁進する意識が高い人々を尻目に、反対車線をひた走る井上いちろうさん。けれども目的地への固執を失ったからこそ、根源的な「漫画を描きたい」気持ちが湧きあがってきたのですから、人間って不思議だし面白い。


iPadとWi-Fiを命綱に、定住地をもたずに漫画家生活を続ける井上さん。反対に言えばiPadとWi-Fiさえあれば、多くの人がどこにいたって仕事ができる。SNSさえあれば寂しくもない。現実とバーチャルの境界なんて、すでに溶けてなくなってしまったのだと、改めて気がつかされます。


羽ばたいているのか、堕ちているのか、淡々とした描写のなかに滲み出るスリル感、ギリッギリ感がたまりません。井上さんの車中泊生活は現在進行形。そして、これからも続くようです。僕たち読み手は無責任にも「楽しみだ」と思ってしまうわけですが、とりあえず、健康でいてほしいと願うばかりです。



#離婚して車中泊になりました
井上 いちろう 著
定価:1100円(税込)
朝日新聞出版


離婚、家売却いろいろあって車中泊を選択しました!!

現在も車中泊継続中!!
マニアックに流行中の車中泊を選択してしまった漫画家の奮闘記!!

自由と開放感を満喫しながらの旅に浮かれていたが、次第に自分という人間を振り返るようになりどん底へ。

人と言葉を交わすことのない生活に次第に孤独感に襲われ、現在のライフスタイルをコミックで発信したところ、Twitterで評判になりSNSフル活用。

現在も継続中の“行き当たりばったり”のリアルな車中泊ライフを描く話題のコミック・エッセイ。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=22789




吉村智樹