『のだめカンタービレ』の上野樹里が最後のブレイク俳優?フジテレビ「月9」の栄枯盛衰
今回は、フジテレビのゴールデンタイムのドラマ枠、月9について。
80年代後半からこの枠で放送されたドラマをきっかけにスター俳優になった人達を取上げてみる。
TVドラマ史の一部としてお楽しみ下さい。
ブレイクした俳優から見えてくる月9の変遷、つまり視聴者の傾向の変化も述べていく。
序章・バラエティ枠時代
TV創成期から70年代末まで、月曜の9時台はドラマが放送されている枠だった。
内容はバラバラで特別注目されている時間帯ではなかったようだ。
ただ、野球中継がない月曜日で放送時間の延長がなく、固定出来た。
ドラマを作りやすかったことは確かだろう。
変化が訪れたのは1981年4月。
土曜日の20時台(19:30~)の放送だった『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が「月9」に引っ越してきて、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』としてスタートした。
週3本の冠番組を持ち、その視聴率の合計が100%を超えたことで「視聴率100%男」と呼ばれた全盛期の萩本欽一だ。
フジテレビにおける代表作がこの時間帯に移った。
後継番組にも大きな影響を及ぼした。
例えば、柳葉敏郎(1961年1月3日生)である。
当時はコーナーの『良い先生普通の先生悪い先生』の良い先生に選ばれた無名の新人俳優だったが、この番組で一躍名を揚げることとなった。
だが1985年に萩本欽一が突然、充電を発表。『欽ドン!』は終了し、「月9」は改めてドラマを放送する枠となった。
第1章87年から90年代前半まで
「月9」第1作目は1987年4~5月に放送された『アナウンサーぷっつん物語』。
TBSで1987年1月に放送された『パパはニュースキャスター』の主人公と同じ職業。
どちらも当時流行ったギョーカイものというジャンルだった。
大きな違いは視聴者の対象階層で、家族で見るか、20代の女性が見るかであった。
月9は20代女性が見るドラマを作る。
この傾向は、ドラマの企画を選ぶのに、大きな基準となった。
我々の知る月9らしいドラマの始まりは、1988年の1~3月に放送された。
『君の瞳をタイホする』である。
主役はドラマ初主演だった陣内孝則(1958年8月12日生)。
三上博史(生年非公表)と柳葉敏郎トリオを組んで、刑事として活躍する。
よく考えてみれば、柳葉敏郎は、欽ドン時代からこの時間帯の番組に縁があった。
当時筆者も見ていたはずだが、主題歌以外あまり覚えていない。
今だったら、
「おい、女にうつつを抜かしてないで、刑事の仕事しろよ!」
な内容だったような気がする^^;
それくらい、久保田利伸の主題歌がかっこよすぎた。
20代女性の最大の関心事は恋愛である。
共感させるためには対象年齢と同世代の俳優を起用する必要がある。
フジテレビのドラマ班はこの傾向に合わせて、企画を探していると最適の原作者を見つけた。
漫画家柴門ふみの一連の作品群である。
実写化はTBSで1986年の7~9月に放送された『女ともだち』が最初である。
月9初は
安田成美(1966年11月28日生)主演の『同・級・生』であった。
2作目が空前の大ブームになった『東京ラブストーリー』である。
鈴木保奈美(1966年8月14日生)扮する赤名リカに翻弄される織田裕二(1967年12月13日生)演じた永尾完治の恋愛模様にドギマギさせられた人は多かったろうが、実は筆者は見ていなかった。
当時、筆者は15歳。まだ恋愛に興味のない女子中学生だったのだ。
高校生にもなるとようやく異性が気になりだしたので
イラストは大学の図書室で語り合う園田なるみ(石田ひかり)と掛居保(筒井道隆)
1993年の10~12月に放送された第三作目の『あすなろ白書』は熱心に見ていた。
大学生になったら、ああいう友達と恋人がほしいと憧れた。
特に
木村拓哉(1972年11月13日生)が演じた取手治の「俺じゃダメか?」と後ろからハグされるいわゆる「あすなろ抱き」は名シーンといって良いだろう。
1993年の4~6月に遡ろう。
この年、月9史上最高の視聴率ドラマが生まれた。『ひとつ屋根の下』だ。
「そこに愛はあるのかい?」の「あんちゃん」こと柏木達也(江口洋介)の名台詞がおなじみだ。
月9は恋愛ドラマ、いわゆるおしゃれなトレンディドラマが主流だったが、この作品はホームドラマでしかも貧乏くさかった。
同じ傾向の作品に視聴者も飽きが来ていたタイミングだったのかもしれない。
1997年4~6月に続編が放送されるほど反響が大きかった。
主演の江口洋介(1967年12月31日生)は、『東京ラブストーリー』でも重要な役で出ていたが、デビュー当時から主役脇役とその時々に名作に出会う幸運の持ち主である。
このドラマにはもう一人、重要な出演者がいる。
福山雅治(1969年2月6日生)である。
このあたりで、月9を代表する主役の男性は出揃った感がある。
織田裕二・木村拓哉・福山雅治である。
しかし、織田裕二はフジテレビドラマ全体で主演が多いだけで月9だけに限らない。
ましてや最大の代表作『踊る大捜査線』のTVシリーズは火曜21時に放送されていた。
福山雅治は仕事の軸はあくまでも音楽活動で、ほかの二人と比べると出演本数自体が少ない。
それでも5本だが、木村拓哉に至っては10本も主演作がある。
次章では最も多い木村拓哉を軸に語っていこう。
80年代後半からこの枠で放送されたドラマをきっかけにスター俳優になった人達を取上げてみる。
TVドラマ史の一部としてお楽しみ下さい。
ブレイクした俳優から見えてくる月9の変遷、つまり視聴者の傾向の変化も述べていく。
序章・バラエティ枠時代
TV創成期から70年代末まで、月曜の9時台はドラマが放送されている枠だった。
内容はバラバラで特別注目されている時間帯ではなかったようだ。
ただ、野球中継がない月曜日で放送時間の延長がなく、固定出来た。
ドラマを作りやすかったことは確かだろう。
変化が訪れたのは1981年4月。
土曜日の20時台(19:30~)の放送だった『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が「月9」に引っ越してきて、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』としてスタートした。
週3本の冠番組を持ち、その視聴率の合計が100%を超えたことで「視聴率100%男」と呼ばれた全盛期の萩本欽一だ。
フジテレビにおける代表作がこの時間帯に移った。
後継番組にも大きな影響を及ぼした。
例えば、柳葉敏郎(1961年1月3日生)である。
当時はコーナーの『良い先生普通の先生悪い先生』の良い先生に選ばれた無名の新人俳優だったが、この番組で一躍名を揚げることとなった。
だが1985年に萩本欽一が突然、充電を発表。『欽ドン!』は終了し、「月9」は改めてドラマを放送する枠となった。
第1章87年から90年代前半まで
「月9」第1作目は1987年4~5月に放送された『アナウンサーぷっつん物語』。
TBSで1987年1月に放送された『パパはニュースキャスター』の主人公と同じ職業。
どちらも当時流行ったギョーカイものというジャンルだった。
大きな違いは視聴者の対象階層で、家族で見るか、20代の女性が見るかであった。
月9は20代女性が見るドラマを作る。
この傾向は、ドラマの企画を選ぶのに、大きな基準となった。
我々の知る月9らしいドラマの始まりは、1988年の1~3月に放送された。
『君の瞳をタイホする』である。
主役はドラマ初主演だった陣内孝則(1958年8月12日生)。
三上博史(生年非公表)と柳葉敏郎トリオを組んで、刑事として活躍する。
よく考えてみれば、柳葉敏郎は、欽ドン時代からこの時間帯の番組に縁があった。
当時筆者も見ていたはずだが、主題歌以外あまり覚えていない。
今だったら、
「おい、女にうつつを抜かしてないで、刑事の仕事しろよ!」
な内容だったような気がする^^;
それくらい、久保田利伸の主題歌がかっこよすぎた。
20代女性の最大の関心事は恋愛である。
共感させるためには対象年齢と同世代の俳優を起用する必要がある。
フジテレビのドラマ班はこの傾向に合わせて、企画を探していると最適の原作者を見つけた。
漫画家柴門ふみの一連の作品群である。
実写化はTBSで1986年の7~9月に放送された『女ともだち』が最初である。
月9初は
安田成美(1966年11月28日生)主演の『同・級・生』であった。
2作目が空前の大ブームになった『東京ラブストーリー』である。
鈴木保奈美(1966年8月14日生)扮する赤名リカに翻弄される織田裕二(1967年12月13日生)演じた永尾完治の恋愛模様にドギマギさせられた人は多かったろうが、実は筆者は見ていなかった。
当時、筆者は15歳。まだ恋愛に興味のない女子中学生だったのだ。
高校生にもなるとようやく異性が気になりだしたので
イラストは大学の図書室で語り合う園田なるみ(石田ひかり)と掛居保(筒井道隆)
1993年の10~12月に放送された第三作目の『あすなろ白書』は熱心に見ていた。
大学生になったら、ああいう友達と恋人がほしいと憧れた。
特に
木村拓哉(1972年11月13日生)が演じた取手治の「俺じゃダメか?」と後ろからハグされるいわゆる「あすなろ抱き」は名シーンといって良いだろう。
1993年の4~6月に遡ろう。
この年、月9史上最高の視聴率ドラマが生まれた。『ひとつ屋根の下』だ。
「そこに愛はあるのかい?」の「あんちゃん」こと柏木達也(江口洋介)の名台詞がおなじみだ。
月9は恋愛ドラマ、いわゆるおしゃれなトレンディドラマが主流だったが、この作品はホームドラマでしかも貧乏くさかった。
同じ傾向の作品に視聴者も飽きが来ていたタイミングだったのかもしれない。
1997年4~6月に続編が放送されるほど反響が大きかった。
主演の江口洋介(1967年12月31日生)は、『東京ラブストーリー』でも重要な役で出ていたが、デビュー当時から主役脇役とその時々に名作に出会う幸運の持ち主である。
このドラマにはもう一人、重要な出演者がいる。
福山雅治(1969年2月6日生)である。
このあたりで、月9を代表する主役の男性は出揃った感がある。
織田裕二・木村拓哉・福山雅治である。
しかし、織田裕二はフジテレビドラマ全体で主演が多いだけで月9だけに限らない。
ましてや最大の代表作『踊る大捜査線』のTVシリーズは火曜21時に放送されていた。
福山雅治は仕事の軸はあくまでも音楽活動で、ほかの二人と比べると出演本数自体が少ない。
それでも5本だが、木村拓哉に至っては10本も主演作がある。
次章では最も多い木村拓哉を軸に語っていこう。
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