【20歳の群像】第7回 デヴィ夫人

2014/5/12 11:00 ドリー(秋田俊太郎) ドリー(秋田俊太郎)

デヴィ・スカルノ回想記 栄光、無念、悔恨


 オースター、ジョブズ、三島、プーチン、中島義道、オバマ、ときて、デヴィ夫人って、並びとして、どう考えてもおかしいだろう、と思われる人もいるかもしれない。

 偉人というジャンルには絶対、属さねぇし。高級料理続いてたのに、いきなりゲテモノかー、みたいな。でもこないだテレビを見ていて、思ったのだ。子供のときからデヴィ夫人はあたりまえのように「デヴィ夫人」としてテレビに出ていた。そしてあたりまえのようにデヴィ夫人がだれ?という疑問符は、なぜか不問に付されてきたような気がする。バックボーンや功績など関係なく、キャラクターとして重宝されている存在。いつのまにかテレビに出てて、たまに夫人感を立たせる「スカルノ大統領夫人」というバックボーンだけがちょっとだけ、ちらつかされ消費されている。この不思議さ。それ以上のことは誰も触れようとしないし、真剣に考えようとも思わない。これが共通認識としての日本人のデヴィ観なのではないだろうか。いや、現にボクがそうだし。デヴィ夫人に、そんな興味ない・・・っていう。

 じゃあなんで取り上げたかというと、なんでもそんなデヴィ夫人の人生が「けっこうすごい」らしいと方々からもれ伝わってきたからなのである。なにがそんなすごいのか。ぜひともこれは知りたいと思った。そして今回はそんなデヴィ夫人の遍歴を、(誰も興味ないかもしれないが)語っていきたいと思うのである。そしてデヴィの20代を見つめていきたい。



 結論から言うと、デヴィ夫人の人生はたしかにすごかった・・・。



 デヴィ夫人の人生、一言で言うなら、「激動」である。今まで取り上げた中で一番、激動。デヴィ夫人のことを今一度、問い直してあらためてどこかに(どこだ)議題としてあげたいぐらいの濃密さ。バラエティタレントという箱には収まらないスケールのでかさ。とにかくスケールがでかい。今ままで一番でかいかも。それと同時に、ボクが今までもっていたデヴィ観(元からそんなないが)がちょっと揺るがされるぐらい、デヴィ夫人のなんというか、恐るべき戦略家ぶりに、ちょっと「かっこいい」とすら思ってしまうのである。

 どういうことかというと、デヴィ夫人はもとは貧しい家庭に生まれたフツーの女の子だったのだ。

 B29の空襲から逃れて、焼け野原の東京で育ち、お金のことで苦労する母の姿を見ながら「よーし、いつか出世してママに楽させてあげよう」という野心を胸にいだく。そんな少女だった。中学卒業後、迷わず就職。このとき15歳。将来のためにお金をためたいという一心で、生命保険会社で働きながら、お昼休みを利用して、喫茶店でアルバイト。さらには夜になると定時制の高校に通って勉強をするという、堅実な女の子だった。堅実デヴィである。

 ところがあるとき仲のいい友達から、アメリカ人の裕福な宝石商を紹介され、その人のお世話をすることになるのである。ここからデヴィの人生は大きく羽ばたいていく。

 そのアメリカ人に気に入られ、あるクラブに連れて行かれるデヴィ。このとき17歳。そこにはデヴィが今まで見たことような魅惑の大人の世界が広がっていた。どこを見てもアメリカの有名人ばかり。そこは世界から来たもっとも華やかな著名人があつまるインターナショナルな社交場だったのである。さっそくそのクラブで働きはじめるデヴィ。母親と弟を養うという目的と、「自分でお店と持ちたい」という夢を秘め、世界への道を模索するチャンスをさがしはじめる。

私は美しい花、レディーになりなかった。私は女を磨きたかった。(p37)

 ここからデヴィの「夫人への道」が始まるのである。クラブで働きながら、女磨きと称して、お茶をならったり、生け花をきわめたり、日本舞踊をやってみたり、フランス文学に耽溺したり。着々と夫人としてのスキルをあげていくデヴィ。

 そうこうしてるうちに、ついには貯金したお金で小さなバーまで買ってしまう。このときデヴィ18歳。おそるべき女傑ぶりである。デヴィの人生、ちょっと嫉妬を覚えるくらい、「充実しすぎ」なんである。

 

 ところが、さすがのデヴィも、そううまくいくことばかりではなかった。18という若さもあってか、バーの経営に失敗。母親と弟のめんどうを見なければならないというプレッシャーのなかで、途方にくれるデヴィ。

 ところがここで転機がおとずれる。スカルノとの出会いだ。あるとき仲のいい友達と帝国ホテルに映画を見にいくと、軍服をきた男がデヴィの前にあらわれる。その当時、インドネシアの大統領だったスカルノである。そのスカルノの厳粛なたたずまいに圧倒されるデヴィ。目を奪われる。そして帰り際、引き連れていた部下と一緒に帰るスカルノの、そのうしろ姿が、少しだけ「寂しそうな」感じをうけたデヴィは、そのままスカルノに心奪われてしまうのであった。するとあとになって、スカルノから「インドネシアに遊びに来ませんか」という誘いがあり、デヴィは戸惑いながらも、運命の引力に引き寄せられるようにインドネシアへ向かうのである。



 そしてここからデヴィの人生、どんどんスケールがでかくなってくるのである。夫人への道、「死闘編」がはじまるのだ。



 インドネシアに着くと、それは豪勢な宮殿につれていかれ、いきなりスカルノからプロポーズされるデヴィ。しかもこの言葉がすごい。

 「私のインスピレーションとなり、力の源泉となって、私の人生の喜びとなってください」(p58) 

 こんなことをスカルノから言われ、デヴィ感動。一生、この人についていこう、と覚悟を決めるのであった。しかしスカルノは嫁さんがすでにいて、仕方なく「愛人」というカタチでスカルノに寄り添うことになるのである。このとき、23歳。スカルノから5ヘクタールの土地をプレゼントしてもらったりと、絵に描いた夫人ドリームを満喫するデヴィ。



 ところがすぐに暗雲がたちこめる。スカルノの部下が突然、暗殺され、さらにスカルノ自身も何者かに襲撃されるのである。

 幸い大事には至らなかったが、スカルノはすぐに部下をひきつれ、安全な空軍基地に隠れる。

 ところがデヴィ。襲撃されたことにより、人々が混乱し、大統領不在のまま、あらぬ噂が飛び交っていることを誰よりもするどく察知し、スカルノに「隠れたらダメです、今すぐに人民の前に姿を出してください」と訴えでる。ところがスカルノ、外は危ないから、とこれを拒否。殺された部下の葬儀はぜったいに出てくださいとデヴィが懇願するも、これも拒否。



 このデヴィの助言を聞かなかったスカルノはここからどんどん「落ちていく」のである。



 そうこうしてるうちに、インドネシアでは共産主義狩りがはじまる。スカルノは中国よりで共産よりだと思われてため、デヴィは、「これはやばい」と思い、パーティーを開き、記者を大勢呼んで「共産党の味方じゃないわ」というアピール。イメージ戦略に打って出る。情報を得るため、軍部の夫人にむけて手紙を出して、スカルノと軍部のあいだをとりもったりもする。

 あんまそんなことしてると、反スカルノ派から「あいつ邪魔だからどっか行け」ってされて、海外に飛ばされたりする。反スカルノ派からうざがられるデヴィ。すごすぎ。



 ここらへんからデヴィの軍師としての才能がみえはじめる。

 デヴィがいなくなると、ほんとに状況は悪化。反スカルノのデモ隊が増加。どんどん落ちていくスカルノ。

 私が二ヶ月もインドネシアをあけていたことが、スカルノ大統領にきわめて不利な影響をもたらしてしまった(p157)

 もはや軍師デヴィの影響力は絶大なものになっていた。

 とにかくスカルノにせまる危険をとりはらおうと、戦略をたてるデヴィ。スカルノと軍部をうまくとりもち、スカルノが共産よりにならないよう、うまい具合にブレーキをかけるデヴィ。かっこよすぎる。ところがそんなデヴィの忠告を真剣に聞こうとしないスカルノ。状況は刻一刻と悪化。

 さらにデヴィに追い討ちをかけるように試練がつづく。

 

 なんとスカルノ大統領、浮気してた。



 デヴィの知らない女がいたのである。それを知ったデヴィ、私は生きがいを失った(p181) 深く絶望。このとき27歳。

 一人になった27歳の私には、すべてが空しく思えた。よくぞ騙してくれたかと思った。私のプライドはずたずたにされ、彼を恨んだ。(p181)



 あんなに献身し、身を粉にしてきたスカルノに裏切られたデヴィ・・・。



 あーーもうやめた、やめた、がんばってた私がバカみたいだった。

 もうスカルノなんかどうでもいいわ!



 こんな感じになるデヴィ。スカルノほったらかして、日本へ帰って、パーティ三昧にあけくれる。傷心を忘れようと、やけになって、狂ったように遊びまくるのであった。 

 デヴィがいなくなると、どんどん「落ちていく」スカルノ。

 部下を殺したナゾの部隊の正体がスカルノの親衛隊だったことが判明。スカルノはやっていないのだが、国民はスカルノに疑いの目をむけ、スカルノへの不満はどんどんふくれあがる。



 そのころデヴィはフランスに行き、パリの社交界へ出たりと、「夫人」としての栄華をとうとう極めつつあった。東洋の真珠とうたわれ、エスコートしてくれんのは伯爵。遊びに行くのは「フランスの城」といった、もはや敵なしといわれんばかりの夫人界の頂点に立つデヴィなのであった。



 しかしなぜか心の空白は埋まらない。



 そのころスカルノ、ついに失脚。



 その知らせを聞いたデヴィ。私の心臓はつきさされたように痛んだ(p191)



 それから大統領からの手紙のやり取りをすることになるのだが、スカルノ失脚したら生気が抜けたようになり、体調もくずし、しまいには危篤状態になる。



 これは会いにいかなくては、と決意するデヴィ。

 しかし「やめておけ(反スカルノ派に)殺されるぞ」と周りからの猛反発をくらう。

 それでもデヴィ、荷造りをはじめる。大統領に会いに行って殺されるのなら本望だし、名誉なことだと思うと私は言った。大統領あっての人生だった。

 スカルノに裏切られてるにもかかわらず、スカルノが危篤だと知ると殺される覚悟で会いに行くデヴィ。



 インドネシアへ戻ってみると、もうすでにスカルノは息も絶え絶えで、ベッドの上で死を戦っていた。

 「パパ、デヴィよ、私よ」(P205)

 話かけても意識を取り戻さない。

 仕方なく、今日のところは帰って、明日また来よう、となるデヴィ。

 ところが翌日、病院に行こうとすると、付き人からスカルノは逝ったことを知らされるデヴィ。

 「あぁ、なぜゆうべ、強硬手段に出てでも泊まり込まなかったのだろう」 私は悔やんだ。(p206)



 奇しくもというか、スカルノ、最後まで、デヴィがいなくなると「落ちていく」という法則にしたがって逝くのであった。



 ほとんど大河ドラマである。



 スカルノが逝ったあと、デヴィ。悲しみに明け暮れるが、そのとき30歳。

 あるときテレビに出てみたら、これが大うけ。

 テレビ局から次々と依頼が来た。何に対してもハッキリものを言って、厳しく批判すると受けた(p281)

 そんで今はバラエティ番組でへんな素人にビンタしたりしてる。この不思議さ。誰よりも「偉人っぽい」人生を歩んでいるのに、なぜかキワモノキャラとして消費されているこのナゾ。なんでこんなことになったんだ。人生の妙味を感じずにはいられないのである。