ヨーロッパの宝石箱が渋谷にやってきた!!

2019/11/10 21:25 yamasan yamasan

色あざやかな四季の花々、ふっくらとした質感の磁器の花瓶、光り輝く銀の燭台と銀食器。


会場外の撮影スポット

リヒテンシュタイン侯国は、スイスとオーストリアの間にはさまれた山あいにある小さな国ですが、かつてはモラヴィア地方(現在のチェコ共和国東部)にまで領土を有し、その財力から長年にわたり収集した美術コレクションはおよそ3万点。

今回の展覧会ではその豊富なコレクションの中からセレクトされた、宗教画や風景画といった油彩画やウィーン窯の磁器をはじめとしたきらびやかな作品約130点が日本にやってきました。
展示室内は、まるで侯爵家の宮殿の中を歩いているようなゴージャスな雰囲気でいっぱい。

「第2章 宗教画」展示風景


「第4章 磁器-西洋と東洋の出会い」展示風景

作品はすべて、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション、ファドゥーツ/ウィーン
©LIETENSTEIN.The Princely Collections, Vaduz-Vienna

建国300年 ヨーロッパの宝石箱リヒテンシュタイン 侯爵家の至宝展
会場   Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)
会期   10月12日(土)~12月23日(月)
      →12月26日(木)まで会期延長されました!
休館日  11月12日(火)、12月3日(火)
開館時間 10:00~18:00(入館は17:30まで)
夜間開館 毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
入館料(税込) 一般1,600円ほか
展覧会公式サイト→リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展

「建国300年 ヨーロッパの宝石箱リヒテンシュタイン 侯爵家の至宝展」は、今回のBunkamura ザ・ミュージアムを皮切りに、来年(2020年)11月まで全国5か所を巡回します。
 宇都宮美術館  2020年1月12日(日)~2月24日(月・振休)
 大分県立美術館 2020年3月6日(金)~4月19日(日)
 東京富士美術館 2020年5月2日(土)~7月5日(日)⇒コロナ禍のため中止
 宮城県美術館  2020年7月14日(火)~9月6日(日)
 広島県立美術館 2020年9月18日(火)~11月29日(日) 

※展示室内は一部を除き撮影禁止です。掲載した写真は美術館の許可をいただいて撮影したものです。

11世紀末にまで起源をさかのぼることができるリヒテンシュタイン侯爵家。
その伝統ある名家の道のりはけっして平坦なものではありませんでした。
ヨーロッパの歴史の荒波に翻弄されながらも、長年にわたり貴重な美術コレクションを集め、守ってきたリヒテンシュタイン家。
その歩みをたどりながら展示作品を紹介していくことにしましょう。

17~18世紀
 戦乱の世でも美術コレクションを収集し続けたリヒテンシュタイン侯爵家


まずはじめに紹介するのはヨハン・アダム・アンドレアス1世(1657-1712 在位1684-1712)。
(肖像メダルや、以下に紹介する肖像画は、展覧会冒頭の「第1章 リヒテンシュタイン侯爵家の歴史と貴族の生活」に展示されています。)


フィリップ・ハインリヒ・ミュラー《リヒテンシュタイン侯ヨハン・アダム・アンドレアス1世の肖像メダル》
作品はすべて、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション、ファドゥーツ/ウィーン
©LIETENSTEIN.The Princely Collections, Vaduz-Vienna

彼の祖父にあたるカール1世(1569-1627 在位1608-1627)は、1608年にリヒテンシュタイン家として初めて爵位を得た当主であり、リヒテンシュタイン侯爵家コレクションの基礎を築いた人。
その息子が、当時の神聖ローマ帝国、現在のドイツを中心とした一帯が焦土と化した30年戦争(1618-1648)で財政危機に陥る中でも美術作品の収集を継続したカール・オイゼビウス1世(1611-1684 在位1627-1684)。

そして、戦争で疲弊した侯爵家を立て直したヨハン・アダム・アンドレアス1世は、美術品収集に力を入れ、購入した作品の中には《デキウス・ムス連作》はじめ、ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)の作品がいくつも含まれていました。
父カール・オイゼビウス1世も、現在ウィーンにあるリヒテンシュタインの夏の離宮に展示されているルーベンス《聖母被昇天》を購入していますが、やはりほぼ同時代の人気画家ルーベンスは王侯貴族にとって欠かせないコレクションだったのでしょう。
また、ヨハン・アダム・アンドレアス1世は、ウィーン中心部の都市離宮、ウィーン郊外の離宮という2つの宮殿を建設したことでも知られています。

今回の展覧会ではルーベンスや彼の工房の作品も展示されています。

左から、現在ベルリンの国立絵画館が所蔵するルーベンス本人の手で描かれた絵画をもとに工房で制作された《ペルセウスとアンドロメダ》、ルーベンスの油彩による習作《クートラで勝利するアンリ4世》《和平を結ぶ機会を捉えるアンリ4世》、そして一番右は、ヨハン・アダム・アンドレアス1世が購入したルーベンス《デキウス・ムス連作》の一場面を描いたウィーン窯・帝国磁器製作所 原画ルーベンス 陶板《占いの結果を問うデキウス・ムス》(第3章 神話画・歴史画)
作品はすべて、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション、ファドゥーツ/ウィーン
©LIETENSTEIN.The Princely Collections, Vaduz-Vienna

リヒテンシュタイン侯爵家の領土を「侯国」に格上げするための手続きを進めていたヨハン・アダム・アンドレアス1世は、1712年に志半ばで亡くなりますが、その努力は1719年に神聖ローマ皇帝から「リヒテンシュタイン侯国」として認められて実を結びました。

展示室入口でお出迎えしてくれるのは、ヨハン・アダム・アンドレアス1世の跡を継いだ甥のヨーゼフ・ヴェンツェル1世(1696-1772 在位1712-1718 1748-1772)の肖像画。


フランチェスコ・ソリメーナに帰属《リヒテンシュタイン侯ヨーゼフ・ヴェンツェル1世》
作品はすべて、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション、ファドゥーツ/ウィーン
©LIETENSTEIN.The Princely Collections, Vaduz-Vienna

鎧に身を固めているヨーゼフ・ヴェンツェル1世は、傑出した軍人であるとともに初めて侯爵家コレクションの目録を作成させた人物としても知られています。

19~20世紀
 3人の「美術品略奪王」から美術コレクションを守ったリヒテンシュタイン侯爵家


19世紀に入ってからも受難の時代は続きました。
これ以降、リヒテンシュタイン侯爵家の美術コレクションは、3人の「美術品略奪王」に奪われる危機に直面しますが、その都度、当主の機転によって危機を脱することができたのです。

1人目の「美術品略奪王」はナポレオン1世
1806年、ナポレオン1世の侵攻により神聖ローマ帝国が滅亡し、ナポレオン1世を盟主とするライン同盟が結成されますが、リヒテンシュタイン侯国はライン同盟に加盟して領土を保全するとともに、ナポレオン1世による美術品の接収からのがれるため、ウィーンの都市宮殿のコレクションをウィーン郊外の離宮に移動しました。
その時の当主はヨハン1世(1760-1836 在位1805-1836)。

この展覧会では、ヨハン1世が購入したルーカス・クラーナハ(父)の作品も展示されています。

ヨハン1世が購入したクラーナハ(父)《聖エウスタキウス》(右)と、その息子アイロス2世(1796-1858 在位1836-1858)が購入したクラーナハ(父)《聖バルバラ》(左) (第2章 宗教画)
作品はすべて、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション、ファドゥーツ/ウィーン
©LIETENSTEIN.The Princely Collections, Vaduz-Vienna

こちらはアイロス2世の息子フランツ1世(1853-1938 在位1929-1938)が8歳の時の肖像画。これぞ美少年という顔立ちですが、どこか憂いを帯びたまなざしをしているように見えるのは気のせいでしょうか。


ヨーゼフ・ノイゲバウアー《リヒテンシュタイン侯フランツ1世、8歳の肖像》
作品はすべて、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション、ファドゥーツ/ウィーン
©LIETENSTEIN.The Princely Collections, Vaduz-Vienna

フランツ1世の在位の最晩年に2人目の「美術品略奪王」がやってきました。
1933年に政権を獲得したヒトラーは次々と領土を拡張し、ついに1938年3月オーストリアを併合。右手を高く上げるナチ式敬礼で出迎える多くの市民の歓喜のもとヒトラーはウィーンに入城しました。

すでに高齢だったフランツ1世はその年の7月に亡くなり、跡を継いだフランツ・ヨーゼフ2世(1906-1989 在位1938-1989)は住まいをウィーンからリヒテンシュタインのファドゥーツ城に移し、ウィーンや当時領有していたモラヴィア地方の領地から美術コレクションもファドゥーツ城に移されることになりました。

展示室出口には、リヒテンシュタイン侯爵家の宮殿や城の写真がパネル展示されています。

左上から時計回りに、ウィーンにある侯爵家の「夏の離宮」(サマー・パレス)、ウィーンにある侯爵家の「都市宮殿」(シティ・パレス)、リヒテンシュタインの首都ファドゥーツにある侯爵家の城、ウィーンの南西にあり家名の元となったリヒテンシュタイン城、都市宮殿の内部、夏の離宮の内部

フランツ・ヨーゼフ2世は当初、コレクションの疎開を認めませんでしたが、実際に戦争が始まり、コレクションが危機にさらされることが明確になって初めてコレクションの疎開を許可しました。
最終的に疎開が完了したのは1945年4月21日。3人目の「美術品略奪王」スターリンの赤軍が東から攻めてくるほんの直前のことでした。

現在のリヒテンシュタイン侯国の位置


戦争が終わり危機を脱したリヒテンシュタイン侯国ですが、多くの領地を失ったため経済的に困窮し、ほとんど唯一の財産となった美術品コレクションを売却しなくてはならないという暗い時代が訪れてきました。

その後、精密機械や医療機器の分野に力を入れ、経済的にも強化されたリヒテンシュタインで、コレクションの強化に取り組んだのは、現在の当主・ハンス=アダム2世(1945- 在位1989-)です。
ハンス=アダム2世がコレクションの拡大に特に力を注いだ画家は、19世紀前半のビーダーマイヤー期に活躍したフェルディナンド・ゲオルク・ヴァルトミュラーです。


右から、フェルディナンド・ゲオルク・ヴァルトミュラー《イシュル近くのヒュッテンエック高原からのハルシュタット湖の眺望》、《ダッハシュタイン山塊を望むアルタウスゼー湖の眺望》。
作品はすべて、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション、ファドゥーツ/ウィーン
©LIETENSTEIN.The Princely Collections, Vaduz-Vienna

まるで写真のような風景画。展覧会チラシや展覧会図録(税込2,300円)の表紙になっているこの作品もヴァルトミュラーの作品です。

フェルディナンド・ゲオルク・ヴァルトミュラー《磁器の花瓶の花、燭台、銀器》
作品はすべて、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション、ファドゥーツ/ウィーン
©LIETENSTEIN.The Princely Collections, Vaduz-Vienna

展覧会は、7章構成になっています。
第1章 リヒテンシュタイン侯爵家の歴史と貴族の生活
第2章 宗教画
第3章 神話画・歴史画
第4章 磁器-西洋と東洋の出会い
第5章 ウィーンの磁器製作所
第6章 風景画
第7章 花の静物画 ←こちらは撮影可です!

第7章展示風景

作品はすべて、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション、ファドゥーツ/ウィーン
©LIETENSTEIN.The Princely Collections, Vaduz-Vienna

幾多の苦難を乗り越えてきたリヒテンシュタイン侯爵家の美術コレクション。
光り輝く美術作品がぎっしり詰まったヨーロッパの宝石箱の粋をぜひお楽しみください。

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