路上で相撲ラップ!? 謎の相撲パフォーマー「ごっちゃんこ」とは?
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▲神出鬼没の相撲パフォーマー「ちゃんこぽんちー」(現:ごっちゃんこ)。力士の苦悩を表現したアツいラップは、道ゆく人たちのハートに寄りきるパワーがある
こんにちは。
ライター・放送作家の吉村智樹です。
おおよそ週イチ連載「特ダネさがし旅」。
特ダネを探し求め、私が全国をめぐります。
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■路上でラップをぶちかます謎の相撲パフォーマーがいた!
この頃、よく耳にするのです。
「京都の河原町に相撲取りのかっこうで歌っている若者が現れる」と。
噂される場所を訪れると、確かにいました!
ひとりの相撲パフォーマーが。
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彼の名は「ちゃんこぽんちー」(*掲載後『ごっちゃんこ』に改名されました)(26)。
自らを「ぶちかましドランカー」「野良力士」「野生の力士」と称するストリートパフォーマー。
ボディパーカッションならぬ「まわしパーカッション」でリズムをとりながら、即興でラップを披露するのが彼のスタイル。
相撲のオルタナティブ、証明していくよ。
スポーツ?
伝統文化?
エンターテインメント?
ショービジネス?
黒星、味わったことありますか?
両国国技館から部屋へ帰るまでの電車のなか、拷問時間だ。
6歳からどっぷり相撲界につかっちまって、これしかないと思って生きてきました26歳。
味わい疲れた黒星。
でも噛み応えがあるよ。
白星みたいに淡白じゃねえ。
ヤバいパワーを生みだしていくよ。
アンダーグラウンドからたたき上げるんだ。
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Oh、ドゥープ……。
ぶちかまされる切実なリリック。
敗者にしか語れない苦い言葉の数々に気圧され、すっかりうっちゃられました。
そしてフロウから推しはかるに、どうやら彼は、もともと本職の力士だった様子。
これまでいったい、どのような生き方をしてきたのか。
関心をいだいた僕は、ちゃんこぽんちーさんにインタビューを申し込みました。
そして謎の彼は、塩対応ならず、これまでの生き様を誠実に話してくれたのです。
■「風吹けばどす恋!」。名前の由来はあのバンドから
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▲先ほどまで苦悶の表情で激しい取組ならぬパフォーマンスを繰り広げていたとは思えない、涼しく凛々しい表情。まぎれもなく、そこにいたのは26歳の若き力士だ
――路上で相撲パフォーマンスをされていますが、もともと力士だったのですか。
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「はい、そうです。ただ、大相撲は2017年9月に引退しました。現在は無職です。先月(6月)までパーソナルトレーニングの指導をやってたのですが、辞めまして。いまはストリートで相撲パフォーマンスを演っているのみです」
――「ちゃんこぽんちー」の名前の由来は、なんですか。「ちゃんこ」はわかるんですが。
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「ちゃんこぽんちーとは、もともとはバンド名だったんです。3人組の相撲ロックバンドだったのですが、現在は僕ひとりで活動しています。名前の由来は……僕、高校時代からチャットモンチーさんが好きで。それにあやかりました」
――「チャットモンチー」→「ちゃんこぽんちー」だったんですか!
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■はっけよい! 相撲人生は6歳から始まった!
――相撲を始めたのは、いつからですか。
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「幼稚園の年長組だった6歳の時です。元大関の琴光喜関も通ったという相撲道場があって、そこで学びました」
――6歳ですか! 幼稚園児だったちゃんこぽんちーさんが相撲を始めたきっかけは、なんだったのでしょう。
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「僕はもともとガリガリで貧弱だったんです。見かねた父親が日曜日の朝、突然『お前、相撲か柔道の、どっちかやれよ』って言ってきて。どちらかを必ず選ばなければならない緊迫した雰囲気でした。それで、『柔道は投げられた時に痛そうだな。怖いな』と思い、消去法で相撲を選びました。すると『よし!』って、そのまま相撲道場へ連れていかれたんです。父はどちらの道場にも事前に『子どもが行きたいと言った方に行かせます』と連絡を取っていたようです」
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■先輩たちから「かわいがられた」ちびっこ力士時代
――いろんなスポーツがあるなか、お父様はなぜ格闘技の2択を迫ったのでしょう。
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「もともと父は空手や柔道などをずっとやってきた人でしたから。それに、『どんなスポーツをやるにせよ、下半身と体幹(身体の軸)を鍛えておけば、あとでなんだって通用するから』と。結果として、相撲でずいぶん身体を鍛えられました」
――確かに、筋肉がすごいですね。幼稚園児で相撲道場へ入って、どのように思われましたか。
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「周りはみんなすんごい身体がデカくって、驚きました。『皆さん、本当に子どもですか?』って、信じられませんでした。小学生でも大人並みの体格でしたから。でも、やさしい先輩ばかりで、すごくかわいがってもらえました。あ、『かわいがる』って、一般的な意味の方でですよ(笑)」
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■黒星が悔しくて、相撲こじらせ男子に
――稽古がきつくて辞めようとは思いませんでしたか。
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「思わなかったです。子どもながらに悔しかったんです。勝てないことが。小学校にあがってから町内のわんぱく相撲大会などに出場すると、相撲経験がまったくない身体が大きな子に敗ける場合もあるんです。『なんで勝てないの? 僕、幼稚園児の頃からやっているのに』って悔しくてね。父からも、『そんなに身体が小さかったら勝つのは無理だろ』と、辞めるようにうながされました。『父さんが始めろって言ったのに! 辞めてもいいぞなんて言うなよ!』と反抗して。そういう日もあって、ますます意地になり、相撲にのめりこんでいきました。ヘンな言い方をすれば、相撲をこじらせたんです」
――そのままずっと相撲をお続けになったのですね。ライバルもいたのでは?
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「そうですね。学年が進むと、全国の強いちびっこ力士たちの活躍が耳に入ってくるんです。なかには、いま活躍している北勝富士関や石浦関もいました。長野県出身の御嶽海関とは合同で練習をした日もあります。軽量だったり小兵(こひょう)だったりするにもかかわらず強い子もいて、『自分も身体の小ささには甘えられない。技を磨かねば』と誓いました」
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■腰痛のために推薦入試も危ぶまれた
――そのまま順調に進んでいかれたのですか。
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「いいえ。高校3年生の時に腰痛を患い、『腰がもうヤバい』って状態になって。『大学の推薦がもらえるんだろうか』と不安でした。高校最後の年は腰だけではなく精神的にも不安定でしたね」
――相撲部に入る前に腰を痛めたとなると、推薦は危ういですね。大学の推薦入試の結果は。
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「合格しました。推薦で入学できた時は、ほっとしました。この機会を逃すまいと、3月1日に高校の卒業式があって、3月2日にはもう京田辺キャンパスの相撲部の寮に入ってました」
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■大学時代はヘルニアに。学生寮で引きこもる日々
――大学の相撲部に入部されたということは、プロ志望だったのですか。
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「当時は、そうでした。幼稚園の頃からずっとなりたいと思っていたんです。憶えていなかったんですが、幼稚園の卒園アルバムの寄せ書きにも『お相撲さんになりたい』って書いてあったんです。とはいえ学生相撲時代は『プロになりたい』『やっぱり無理だ』の繰り返しで、想いは揺れ続けていました」
――「やっぱり無理だ」と思われたのは、なぜですか。
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「入部してすぐにヘルニアになったんです。そっからはもう毎日がカオス(混沌)でした。腰って完治する例があんまりなくて、痛みを自分自身でどうカバーしていくかが重要なんです。けれども、セルフコントロールがうまくできなくて。ちょっとよくなったら、また頑張りすぎて、再発……のループ&ループでした。『うわー、マジ相撲できねーし!』って、2年生までずっと寮に引きこもっていました」
――大学へ進んでからも腰の痛みとの闘いがあったのですね。
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■おいらはまわしを締めたドラマー
――では、音楽活動を始められたきっかけは。
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「当時、京阪『出町柳』駅前のサイクルショップ『えむじか』で自転車を借りて、同志社大学の今出川キャンパスまで通っていたんです。えむじかの店主さんが京都のアンダーグラウンド音楽シーンで有名な方で、『自転車をテーマにしたコンピレーションアルバムをつくるから、一曲参加しないか』と声をかけてくださって。ちょうどケガで休部していた時期で、『ずっと相撲ひと筋の相撲バカだったから、自分もそういう大学生らしい楽しみ方をしてもいいよな』と思い、ドラマーとしてレコーディングに参加しました」
――え!? ドラムが叩けるんですか。
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「そうなんです。高校時代、ちょっとドラムをかじっていたんです。理由ですか? 『単なる相撲バカが力士になるよりも、音楽性などの新しいエッセンスをとりこんで人間性の幅を広げたほうが、相撲協会も喜ぶだろう』と、尊大な気持ちからでした。自分でもいまなら『偉そうじゃね?』と思いますけれども。そして初めてのレコーディングでは気合いを入れるために、まわしを巻いて叩きました」
――ええっ!? まわしを巻いてドラムを叩いたんですか。
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「そうなんです。まわしはつねに携帯していたんです。やっぱり相撲に復帰したい気持ちがあったので、どこででも基礎練習ができるように。授業と授業の合間など、ちょっと時間が空くと、いつもまわしを巻いて四股を踏んでいました」
――まわしを巻いてドラムを叩いたのは、決して奇をてらったわけではなく、相撲への想いがあったからなんですね。
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「そうですね。そしてまわしを巻いてドラムを叩く姿を、リーダーがえらく気に入ってくださって。『レコーディングだけではなくライブもやろう』と、次第にバンド形式になってきました。あの頃は京都市立立誠(りっせい)小学校の廃校舎が京都サブカルの聖地みたいな感じになっていて、そこでライブをやりましたね」
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■「相撲への想いが残っているのならば燃やし尽くしたい」
――では、そのまま音楽の道へ方向転換ですか。
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「いいえ。音楽活動は続けつつも、『このまま相撲ができずに終われるのか』と悩んでいました。それで大学3年生の時、思いきって腰を手術しました。プロの力士になることよりも『学生相撲を後悔で終わりたくない』、そんな気持ちでした」
――腰の手術を……強い決意ですね。では、卒業後はすぐに入門されたのですか。
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「正直、卒業したら就職をするつもりでした。一社、企業から内定もいただいていましたし。ただ卒業前に相撲のインターカレッジ(複数大学の学生から構成されるサークル)で両国国技館の土俵にあがる機会があり、これがエモかったんです。敗けたんですが、悔しさはなく、それよりも思いっきり相撲がとれることが気持ちよかった。そして『自分、やっぱり相撲に未練があるな。燃えきっていないな。相撲への想いが残っているのならば燃やし尽くしたいな』と考え、稽古をつけてもらった入間川部屋(埼玉県)に所属しました。『3年間だけやろう』と」
――相撲の道へ誘ったお父様は、お喜びになったのでは。
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「いいえ、反対されました。なんせ就職の内定を蹴ってですからね……。父親には、『3年で結果が出なかったら就活をやり直す』と誓約まで書いて説得しました。結果として、現在はその約束は破っているんですが」
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■負傷が原因で、こころざしを果たせず
――そして、3年やり遂げられたのですね。
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「それが……3年どころか2年半で引退しました。相撲を始めて、およそ19年目でしたね。引退した理由のひとつは、ねん挫です。番付もあがっていっていたのですが、ねん挫をして以来ふるわず、結果も伴わなくなりまして」
――夢が、ずっとケガにさいなまれ続けてこられたのですね。人生って本当、うまくいかないですよね……。
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■引退後に待ち受けていたサバイバル生活
――引退されたあとは、どう過ごされているのですか。
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「そっから今日まで、ずっと足掻いています。入間川部屋を出てすぐ京都のゲストハウスで住み込みで働いたり、愛知県へ帰って居酒屋でバイトをしたり。また京都へ戻って八百屋さんに勤めたり、パーソナルトレーニングの指導をやったり……。なかなか自分にフィットする仕事が見つからないまま、現在は投げ銭で暮らしています。でも、こんなサバイバル生活が自分にすごく合ってるんですよね」
――ラップというスタイルをとっているのは、どうしてですか。
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「フリースタイルダンジョン(テレビ朝日系/即興のラップバトル番組)の影響です。『即興でこんだけやれるって、スゲーな』って。同じ相撲部屋にヒップホップが好きなやつがいて、YouTubeでいろんなフリースタイルバトルがあることを教えてくれて、惹きこまれ、ずっと観ていました。もともと高校時代から湘南乃風のラップっぽい言い回しが好きだったんで、自分でもやってみたくなったんです」
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■人にはそれぞれの土俵がある
――伝えたいメッセージは。
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「相撲パフォーマー的には、『相撲という文化や伝統、魅力を伝えたい』、なんです。けれども本音としては『こんな僕でもなんとかやってんだから、みんな好きな生き方をしたらいいよ』ということが言いたいんです。後悔してほしくない。まっとうに生きるのが苦じゃない人は、そのまんまの道を進んだ方が絶対にいい。しかし、もっと個性を出していったほうが輝ける人が、まっとうに生きなきゃと思って自分を抑えているのだとしたら、それはめちゃめちゃコスパ悪いし、キツいと思う。社会との折り合いがなかなかつかず、『こんなことをしたら、世間から嫌われてしまう』と思って行動が止まったり、立ち消えになっちゃったりするのは、すごいもったいない」
――おっしゃるとおり、同調圧力というか、なにかを始めようとするとき、制止する力の強さを感じますよね、昨今。
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「もっと“応援する文化”があってもいいんじゃないかって思うんです。バカなことかもしれないけれど、それをやりたい人がいたら、『ええやん、ええやん』って盛りあげる。そんな担い手でありたいです」
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まさにこれからというタイミングでの負傷が続き、なかなか思うようにいかなかったちゃんこぽんちーさん。
しかし、大相撲こそ背にはしたけれど、僕にはちゃんこぽんちーさんがまだ相撲をとり続けている、そんなふうに思えました。
引退など、していないのではないかと。
京都河原町の往来で大道芸のように相撲の魅力を伝える彼のやり方には否定的な意見もあるでしょう。
僕も、簡単に肯定も賛同もできません。
けれども、自分が立つべき新たな土俵を探してもがく26歳の若者の姿には、確かに胸を打たれました。
誰だって土俵際で、ギリギリで生きている。
そう簡単に勝ちの軍配は上がらない。
だからこそ、強くまわしを叩く音がこころに響くのでしょう。
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ちゃんこぽんちーさんは、集めたお金で8月から「メキシコへ発つ」のだそう。
メキシコの街で、広義での「ひとり相撲」をとってくるのだとか。
ちゃんこぽんちーさんの相撲人生は、まだまだ終わらない。
ラップという新たな相撲甚句は、彼の決まり手となるかもしれません。
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ごっちゃんこ(前:ちゃんこぽんちー) sumo performer
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TEXT/吉村智樹
https://twitter.com/tomokiy
タイトルバナー/辻ヒロミ