『睡蓮』を生んだモネは白内障だった。あの名画が生まれた理由
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☆クロード・モネ《睡蓮》(1916年)国立西洋美術館(松方コレクション)
睡蓮と水面を描いた美しい絵の作者が、白内障を患っていたとしたら?
『光の画家』と呼ばれたクロード・モネ。異なる時間帯に同じ対象を描いて光を研究し、表現した画家です。モネは、秒速で移り変わっていく風景を瞳に捉え、カメラのシャッターを切るかのように高速で絵を描きました。
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クロード・モネ『積みわら』の連作寄せ集め(これでも一部)
連作の『積みわら』は、様々な時刻・天候の光を捉えた記録とも呼べるでしょう。
しかし、モネは白内障を患います。眼に映る景色が黄色っぽく見えたり、逆に青っぽく見えたり。手術も受けましたが、当時の医療は今とは全然違い、改善なのか改悪なのか微妙な術を施されます。
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☆クロード・モネ《ウォータールー橋、ロンドン》(1902年)国立西洋美術館(松方コレクション)
モネには以前のようにくっきりと世界を捉えることはできません。光の変化にも鈍感になりました。それでも絵を描き続けます。青い絵の具ばかりを使っている時期には、モネに眼鏡を贈ったマヴァス教授とこんな会話をしたそうです。
モネ「見えるものが全部青く見えてプンスカ!(`・ω・´)」
教授「どうやって色を見分けているの?」
モネ「チューブに名前が書いてあるから分かるよプンスカ!(`・ω・´)」
教授「……(絶句)」
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☆クロード・モネ《黄昏、ヴェネツィア》(1908年頃)ブリヂストン美術館
教授はキャンバス上に描いた色の見分ける方を尋ねたのでしょうけど、的外れな回答が返ってきてしまいました。モネはどこに何の色を使ったのか、全て覚えていたということでしょうか?
白内障の進行と同時に、モネは2人目の妻アリスと長男ジャンを失います。立て続けに不幸に襲われたモネは、絵を描かなくなってしまいました。
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クレマンソー(左)とモネ(右)
フランス政府から「大きな睡蓮の壁画を描いて欲しい!」と注文を受けていたのですが、これが進まなくて進まなくて。不幸と病気はモネの心身を蝕み、友人で政治家のクレマンソーに泣き言をこぼすほどでした。
モネ「描けないよー助けて(´;ω;`)」
クレマンソー「依頼者は私ではなく、フランス政府だから、気の毒だけど私は何もできないよ」
モネ「そんなー(´;ω;`)」
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フランス政府から注文を受けた制作中の『睡蓮』の前に立つモネ
なんとか完成させたのが、フランスのオランジュリー美術館にある《睡蓮》です。ここにたどり着くまで、色んな人の励ましがありました。
亡くなった妻に変わってモネの面倒を見た息子の嫁ブランシュ、友人のクレマンソー、たくさんの画家や画商。
そこには、日本人コレクターの存在もあります。川崎造船所の初代社長、松方幸次郎もモネの家があるジヴェルニーに出向に、本人から絵を買っていました。(国立西洋美術館で松方が購入した作品を見ることができます)
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クロード・モネ《睡蓮》(1920-26年)オランジュリー美術館
1926年12月5日、モネは亡くなりました。松方が絵のお礼に贈ったユリの球根は、モネが亡くなったその日に届いたそうです。
モネが描く『美しい睡蓮たち』は、世界中で知らない人がいないほどの名画です。睡蓮の連作には華々しい技量だけでなく、売れっ子画家の意外にも順風満帆ではなかった人生の全てが集約されているのでは。
モネ《睡蓮》が見られる日本の国立西洋美術館の詳細は次のページへ!
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