南紀で何があったのか?【奇想の絵師・長沢芦雪の旅路をたどってみた】

2019/6/17 12:05 yamasan yamasan

時は江戸時代中期の天明6年、西暦でいうと1786年なので今から約230年前、33歳の長沢芦雪は、師・円山応挙の名代として京都から南紀に向かう旅路につきました。

行き先は南紀・串本にある無量寺。応挙が描いた襖絵12面を携えての旅でした。

無量寺境内 右手の案内板には芦雪の『龍虎図』のイラストがお出迎え。


ことの発端はこうです。

無量寺は、宝永4(1707)年10月の宝永地震による大津波で全壊・流失してしまい、その後、天明6(1786)年に愚海和尚により再建されたのですが、当然のことながら本堂の襖絵も流失していました。
そこで、愚海和尚は古くから親交のあった応挙に襖絵の依頼のため京都を訪れたのです。
しかし、当時の応挙といえば、京都在住の文化人番付ともいえる『平安人物志』の画家部門のトップの座に君臨した押しも押されぬ人気絵師。多忙をきわめ、さらにはすでに50歳を過ぎて高齢だったため、京都で無量寺の再建祝いとして『山水図』や『波上群仙図』などの襖絵を描き、高弟の芦雪に託したのです。

そして、芦雪も現地で襖絵を描きました。
それがいかにも芦雪らしい大胆かつ奔放な描きぶりの『龍虎図』なのです。
虎図

文中の「江戸大美術展」は1981年から翌年にかけてロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開催された展覧会です。こんなに早くから海外に出張していたのですね。

龍図

デカルコマニーとは、シュルレアリズムの画家が好んで用いた技法で、絵具を塗った紙にもう一枚の紙を押しつけて偶然のイメージをつくりだすものです。芦雪はシュルレアリズムの先駆者だった!?
(絵の解説がついていたので、上の画像はいずれも串本応挙芦雪館のチラシからとりました。)

しかし、この芦雪の代表作の一つ『龍虎図』を描くまでには芦雪の心の中での葛藤があったようなのです。

さて、どんな葛藤があったのでしょうか。
それを解くカギが、芦雪が主人公の小説『ごんたくれ』(西條奈加著 2018年 光文社 時代小説文庫)にありました。
(『ごんたくれ』では、芦雪は彦太郎こと吉村胡雪として登場します。)


10月に京都を発ってから3か月、年が明けても冬は時雨(しぐ)れて寒い京都と違い、ここ南紀では気候は温暖、風光明媚、すぐ目の前の港から水揚げされる海の幸で酒は進むとあって、襖絵の制作はいっこうに進まなかったようです。

私も年末年始にかけて南紀に行ってきたのですが、南紀の居心地のよさは実感しました。
無量寺はJR紀勢本線串本駅から潮岬の方向に歩いて約10分。潮岬にはさらにバスで向かいますが、周囲にはフェニックスの木が生茂り、真冬でもこの青い空!


お昼は、潮岬から雄大な太平洋を見ながら、串本駅近くのスーパーで買った串本名物さんま寿司を頬張りました。


『ごんたくれ』に戻ります。
大した絵も描かずにぶらぶらしていた芦雪のもとに訪れてきたのは、なんと今では芦雪と同じく奇想の画家として注目されている曽我蕭白。
(『ごんたくれ』では、蕭白は豊蔵こと深山箏白として登場します。)
筆が進まなかったのは、気候やお酒だけのためではありませんでした。芦雪には芦雪なりの理由があったのです。

蕭白は、芦雪が描いた何枚かの応挙風の襖絵を見て落胆のため息をもらします。
それに対して芦雪は言い訳がましく応えます。
「おれは、師匠のかわりに遣わされた。寺が望むのは、吉村胡雪ではなく円山応挙の絵だ。」

確かに芦雪は応挙風の絵を描くのも超一流です。こちらは芦雪の『桜下美人図』(東京国立博物館蔵)


そんなふがいない芦雪に蕭白は喝を入れます。

「己の絵を描かんままで、おめおめと京へ戻るつもりなんか?」
「己の意の赴くままに筆を走らせるんや。考えるだけで、からだが熱うなる、胸が躍る。それがほんまの絵師やないんか!」

その言葉に発奮した芦雪は猛然と『龍虎図』を描いたのです。
(以上のやりとりは、前掲書P156~158から引用しました。)

さて、このような場面は本当にあったのでしょうか?
本当の話なら面白かったのでしょうが、残念ながら実際にはあり得ない話でした。
1730年に京都に生まれた曽我蕭白は、伊勢や播州に旅をして1781年に没しています。芦雪が南紀に滞在した1786年にはもうこの世にいなかったのです。



ちなみに、芦雪は1754年に生まれているので蕭白とは20歳以上の歳の開きがあります。

それでも「画を望まば、我に乞うべし、絵図を求めんとならば、円山主水よかるべし」と、円山応挙に強い対抗心を抱いていた蕭白が、応挙門下でも異彩を放っていた芦雪にライバル意識をむき出しにしてバチバチ火花を散らしていたらさぞかしエキサイティングだったのでは、と想像しながら『ごんたくれ』を読むのも楽しいかもしれません。

そして、百花繚乱、多士済々の18世紀京都画壇の絵師たちの生きざまを知るには『十八世紀京都画壇 蕭白、若冲、応挙たちの世界』(辻惟雄著 2019年 講談社選書メチエ) がおススメです。


無量寺の串本応挙芦雪館の案内はこちらです。
無量寺 串本応挙芦雪館
開館時間 9:30~16:30 年中無休
拝観料
 本館及び方丈障壁画(デジタル再製画) 700円
 本館、方丈障壁画(デジタル再製画)及び収蔵庫 1,300円
※芦雪が運んできた円山応挙『山水図』『波上群仙図』、現地で芦雪が描いた『龍虎図』『唐子遊図』はじめ重要文化財の「方丈障壁画」は収蔵庫に所蔵されていてれ、無量寺本堂にあったのと同じ配置に復元されて畳の上に座った視点で見られるようになっています。
※雨天の際は、保管の関係上、収蔵庫は拝観できないので要注意です。梅雨時や台風シーズンは避けた方がいいかもしれません。
収蔵庫内の様子を見ることもできますので、詳細は無量寺の公式サイトをご覧ください→紀州串本 無量寺

私が南紀に行ったときは、安全を見て新宮に2泊しました。冬で気候も安定しているので3日連続雨はないだろうと踏んだからです。幸い、3日とも天気に恵まれ、無事『龍虎図』を見ることができました。

そして、南紀は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)や熊野古道、瀞峡など、見どころいっぱいなので、やはりゆっくり観光がしたいですね。
こちらは古くから日本画で描かれた那智の瀧


そんな時に便利なのが、熊野交通が販売しているバスのフリー切符「悠遊フリー3日間」。フリー区間内は3日間有効で大人3,000円。

これ一枚で新宮から紀伊勝浦までと熊野三山、瀞峡はカバーしていますし、お買い物割引などの特典付きです。無量寺のある串本は紀伊勝浦の先なので追加料金が必要ですが、それでも南紀を観光するならお得なこと間違いなし。

スマホだと字が小さいので、熊野交通公式サイトの「悠遊フリー3日間」のパンフレットをダウンロードしてご覧になってください→悠遊フリー3日間

新宮では地元の日本酒を見つけて部屋飲みでほろ酔いかげん。


気候は温暖、風光明媚で、料理もお酒も美味しくて、とてもいいところ。芦雪の足跡を訪ねて南紀に行ってみませんか。