【若冲を極める!】100パーセント伊藤若冲の展覧会に行ってきた。

2019/4/7 20:15 yamasan yamasan

東日本大震災から8年。
大きな被害を受けた東北の地で、復興を祈念した展覧会が始まりました。

福島県立美術館(福島市)で開催されている

東日本大震災復興祈念 伊藤若冲展

です。



会場内はすべて伊藤若冲(1716-1800)の作品ばかり。
どこを見ても若冲、若冲、若冲一色です!






初期の作品から晩年の作品まで、水墨だけで描いた作品や鮮やかな色彩の作品、掛軸に屏風、そして襖絵、鶴も亀も、犬も、もちろん鶏もいて、とても賑やか。

若冲ファンにも、これから若冲のことをもっと知りたいという方にも満足間違いなしという、充実した内容の展覧会です。
開催期間は3月26日(火)から5月6日(月・祝)までのわずか6週間。早く行かないと見逃してしまいます!

そこで今回は、開会に先立って開催されたプレス内覧会に参加たときの様子をお伝えしながら、主な見どころを中心に展覧会の様子を紹介したいと思います。
※館内は撮影禁止です。掲載した写真は、美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
見どころ1 伊藤若冲の作品だけが前期後期で110点!

今回の展覧会では、国内外の美術館や博物館、そして国内の寺院や個人が所蔵する若冲作品が大集合。その数110点!
前期(3/26~4/14)に展示される作品が24点、後期(4/16~5/6)に展示される作品が27点、4/26から5/6まで限定展示の作品が3点、そして通期展示が56点(そのうち《花卉図天井画》(滋賀・義仲寺)は前期8面、後期8面の展示)。
作品リストはこちらをご参照ください→ 展示作品リスト

見どころ2
 海外からの里帰り作品も12点!二度と見られないかも!?

フィラデルフィア美術館、テキサスにあるキンベル美術館、ミネアポリス美術館、デンバー美術館、サンフランシスコ・アジア美術館。
広いアメリカの西から東、北から南まで現地を回っていたら大変。アメリカ各地の美術館から若冲作品が福島に集結しています。
油絵と違って日本画はいつも展示しているわけではないので、現地へ行っても必ず見られるとは限りません。今回初めて里帰りする作品もあります。
二度と見られるかわからないアメリカの若冲作品は見逃すわけにはいきません!
  (ありがたいことに、海外からの作品はすべて前期後期とも展示されます。)

見どころ3 若冲作品の秘密に迫る!

天明の大火(1788年)に見舞われ、京の中心・錦小路にあった家もアトリエも失った若冲が大阪方面に避難していたときに制作したと考えられる大阪・西福寺の襖絵で現在は軸装の《蓮池図》(重要文化財 前期展示)には、災害からの復興という若冲の強い願いが込められていたのです。



今回の展覧会を監修した美術史家・狩野博幸さんのメッセージが展覧会チラシに掲載されているので引用します。

・・・「蓮池図」は一本の枯れた蓮(はす)が目を引く寂廖感(せきりょうかん)の漂う作品だが、2011年3月11日の一週間後に改めて実際にこの絵を見たとき、枯れた蓮のわきに白いつぼみがぽっと浮かんでいるのに気がついた。「このつぼみに意味がある。若冲は京都の復興を願っていたんだ」と感じさせる。今回の展覧会を企画するにあたり、若冲が願った復興について考えてみたい。

展覧会チラシのキャッチコピー「若冲はわれらと同時代人である。」は、まさに大災害からの復興を祈念する福島の人たちと若冲の共通の思いを表したものだったのです。

《蓮池図》だけではありません。他の作品にも若冲の願いや思いがいっぱいつまった作品が展示されています。 展示は5章構成になっていますので、各章ごとにいくつかの作品を紹介していきたいと思います。

第1章 若冲、飛翔する
第2章 若冲、自然と交感する
第3章 若冲、京都と共に生きる
第4章 若冲、友と親しむ
第5章 若冲、新生する


第1章 若冲、飛翔する
第1章では主に若冲の初期の作品が展示されています。

上の写真の一番右の双幅は《隠元豆・玉蜀黍図》(和歌山・草堂寺 前期展示)。右幅の隠元豆の下に蛙がいます。
この蛙は、そのまま形を左右逆にして《動植綵絵》の《池辺群虫図》に登場してくるので、ぜひその場でじっくりご覧になってください。
本展覧会では《動植綵絵》の作品は展示されませんが、上の写真左から3つめの《老松鸚鵡図》(個人蔵 前期後期展示)のように《動植綵絵》を思わせる作品が展示されているので、若いころの作品の中に《動植綵絵》への過程を見つけるのも楽しみのひとつかもしれません。
また、《隠元豆・玉蜀黍図》の左隣の双幅は、京都・相国寺に現存する中国明代の画家・文正(ぶんせい)の《飛鶴図》をもとに描いた《白鶴図》(個人蔵 前期後期展示)です。若冲は若いころ、中国の絵画をよく模写したそうで、その数なんと千点!とも伝えられています。

「なごみ系」もちゃんとあります。

右の三幅対は《寿老人・孔雀・菊図》(千葉市美術館 前期展示)。
大きな頭が特長の寿老人に、おどけた表情をした孔雀。おもわず微笑んでしまいますが、実はここには深い意味があったのです。
道教的な「七福神」のひとりの寿老人、「孔雀明王図」に見られる孔雀は仏教の象徴、菊は儒教の知識人の象徴「四君子(蘭、竹、梅、菊)のひとつ。つまりこの三福対の絵は道教、仏教、儒教の三教一致を描いたものだったのです。
これで後期に《虎溪三笑図》(個人蔵)が出る理由がわかりました。こちらも三教を代表する三人のお話です。
上の写真の左は中国・唐時代の奇僧、寒山と拾得のうち、笑顔のかわいい寒山が描かれた《寒山図》(個人蔵 前期展示)。
拾得はどうしたのだろう、と思ったらちゃんと後期に出てきます。《拾得および鶏図》(京都・禅居庵)です。

第2章 若冲、自然と交感する
中国絵画を千点も模写したという若冲はそれに飽きたらず、自分の身の回りにある花や鳥を描くようになりました。

右から、《仙人掌(さぼてん)図》(個人蔵 前期展示)、《墨梅図》(個人蔵 前期展示)、《雪中叭々鳥図》(個人蔵 前期後期展示)。
若冲は、当時、珍しかったサボテンを興味深く観察したのでしょう。後期にはサボテンと鳩という珍しい取り合わせの《仙人掌鳩図》(個人蔵)が展示されます(図録でこの作品を見ると、鳩がサボテンの上にとまっています!痛くないのでしょうか?)

若冲が自宅に数十羽もの鶏を飼って毎日観察して描いたのはよく知られた話。やはり若冲は、いろいろなポーズの鶏が出てくると安心します。

右から《雨樋に鶏図》(個人蔵 前期展示)、《粟に雄鶏図》(個人蔵 前期展示)、《隠元豆に鶏図》(個人蔵 前期後期展示)、《鶏図》(東京富士美術館 前期展示)
前期のみ展示の作品もありますが、後期にも交代で鶏の絵が出てきますのでご心配なく。


第3章 若冲、京都と共に生きる
下の写真の右の作品は、和歌の名人たちを描いているのですが、お酒を飲んで寝そべったり、あぶり餅を焼いたり、くつろいだ感じがよく出ている《六歌仙図》(愛知県美術館(木村定三コレクション) 前期後期展示)です。
若冲は六歌仙に託して京都の人たちの日常を描いているようで、見ていて楽しくなります。
この作品の前では、6人いるかどうかよく数えてみてください。特に小野小町は美人すぎて顔が描けなかったためか、後ろ姿だけが見えます。
その隣の《布袋唐子図》(個人蔵 前期後期展示)も、《雷神図》(千葉市美術館 前期後期展示)もどことなくユーモラス。一番左は立派な髯の《関羽図》(個人蔵 前期展示)。後期には同じく立派な髯の《鍾馗図》(個人蔵)が展示されます。


こちらには京都で正月に飾るめでたいものが並んでいます。
右から《串貝図》(個人蔵 前期後期展示)、《高杯に栗図》(個人蔵 前期展示)、《正月飾図》(個人蔵 前期展示)、《松下双亀図》(個人蔵 前期展示)。


第4章 若冲、友と親しむ
若冲といえば鶏と同じくこれも欠かせない作品。
《乗興舟(じょうきょうしゅう)》です。
(「拓版画」といって拓本と同じ要領で摺られたもので、前期には個人蔵のもの、後期には千葉市美術館所蔵のものが展示されます。当時、何部摺られたかは不明ですが、好評だったようです。)
京都から離れることがなかった若冲が、相国寺の大典和尚に誘われて淀川を大坂まで下ったときに見た風景の原図を描いたもので、その版木が平成14(2002)年に見つかったのですが、版木の両面に彫られていたとのことです。
ちなみに、「奇想の系譜展」(東京都美術館 4月7日まで)で展示されていた《乗興舟》は京都国立博物館所蔵のものです。

《売茶翁像》は若冲の京都商人としての心意気が感じられる作品。
(2点とも《売茶翁像》、いずれも個人蔵で前期展示ですが、後期にも個人蔵の別の《売茶翁像》が2点展示されます)
売茶翁(1675-1763)は、黄檗宗の僧で、当時の知識人の代表でした。
相国寺の大典和尚とも交友が深かったのですが、京都の街中を煎茶を売ってその日の糧としていました。
当時、農民や職人と違いモノを生産しなかった商人たちは低く見られていましたが、同じ商人出身の若冲は、「商人だって立派な職業だ!」との思いをこの《売茶翁像》に込めたのです。

第5章 若冲、新生する
チラシにも図録の表紙にもなっている《百犬図》(個人蔵 前期後期展示)が出てきました!

描いているのは犬なのですが、同時代の円山応挙や長澤蘆雪の犬のようにどこにでもいそうな犬でなく、よく見れば可愛いしぐさや表情をしているのですが、どことなく想像上の動物のような不思議な犬。最晩年の作品ですが、これも「若冲らしさ」なのでしょうか。

天明の大火で大坂方面に避難したあと、若冲が戻ってきたのは錦小路でなく伏見の石峰寺の門前でした。そこで今でも石峰寺の裏山に残る五百羅漢像を制作したのですが、下の写真右の《石峰寺図》(京都国立博物館 前期後期展示)は若冲の描いたイメージ図なのかもしれません。

上の写真左の2点の《伏見人形》も若冲おなじみの作品ですが、この作品を描くことになった背景には痛ましい事件がありました。(右が《伏見人形七布袋図》(国立歴史民俗博物館)、左が《伏見人形図》(愛知県美術館 木村定三コレクション)、いずれも前期後期展示)
天明5(1785)年、伏見奉行の暴政に堪えかねた伏見の町人代表7人が江戸に訴えに行って勝訴するのですが、当時の訴訟は命がけ。7人は牢死して伏見に帰ってくることはありませんでした。7体の伏見人形は7人の「義民」へのオマージュだったのです。

正面から見た大きな象が出てきました。《象図》(東京富士美術館 前期のみ展示)です。(右は《蝶に狗子図》(個人蔵 前期後期展示)です。)

この作品は、おそらく象を見ていたであろう若冲が物珍しさから描いたというだけではなさそうです。
象に乗っている仏様といえば普賢菩薩。若冲は大きな象に普賢菩薩を見たのでしょう。
後期に展示される《象と鯨図屏風》(MIHO MUSEUM)ではそれがもっとはっきりしてきます。そこに描かれた巨大な象の尻尾は獅子の尻尾。つまり、象だけで普賢菩薩と獅子に乗っている文殊菩薩を表しているのです。そして、鯨は釈迦を連想させるとなると、ここに描かれたのは釈迦、文殊菩薩・普賢菩薩の「釈迦三尊像」だったのです。
(「奇想の系譜展」(東京都美術館)でも若冲の作品が展示されていましたが、重複するのは、版画の《乗興舟》を除けばこの《象と鯨図屏風》だけです。)

そして最後の部屋には石峰寺からさほど離れていないところにある黄檗宗の海宝寺の方丈の書院にあった《群鶏図障壁画(海宝寺旧蔵)》(京都国立博物館 前期後期とも展示)。
よく見ると赤茶けている面がありますが、これは昼には襖を開けるので、日に当たったからなのです。


さて、ここまで駆け足で展覧会の様子を紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。
展覧会の見どころはとてもすべては紹介しきれないほどたくさんありますので、ぜひ現地でご覧になっていただければと思います。
福島駅までは東京駅から東北新幹線「やまびこ」で約1時間半。福島駅からは福島交通飯坂線で2つめの「美術館図書館前駅」で下車して徒歩2分。
東京方面から決して遠い距離ではありません。春のこの心地よい季節に、お花見も兼ねて福島までお出かけになられてはいかがでしょうか。

展覧会の概要はこちらです。

展覧会概要
会 場  福島県立美術館
会 期  3月26日(火)~5月6日(月・祝)
    前期 3月26日(火)~4月14日(日) 後期 4月16日(火)~5月6日(月・祝)
開館時間 9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週月曜日(4/29、5/6は開館)
観覧料 一般 1,500円(1,300円) 学生 1,100円(900円) 高校生以下無料
*カッコ内の団体料金は、20名以上で適用されます。
*展覧会の観覧券で常設展もあわせてご覧いただけます。
*身体障がい者手帳、療育手帳、精神障がい者保健福祉手帳をお持ちの方は企画展・常設展とも無料(身障、療育手帳については第1種、保健福祉手帳は1級の場合、付き添いの方も無料)
*チケット購入の際には、学生証の提示をお願いします。

関連イベントもあります。詳細はこちらをご覧ください→。伊藤若冲展公式サイト

ミュージアムショップでは、図録のほか関連グッズも販売しています。
図録は解説がとてもわかりやすいです。迷わず購入しました。税込2,200円です。

1階ロビーに撮影スポットがあります。来館記念にぜひ一枚!