「NHKスペシャル」で再注目、あの「山一證券」だった場所は今?
社員は、悪くありませんか?
こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。
12月2日(日)に放映された「NHKスペシャル」平成史スクープドキュメント 第2回「山一證券破綻の深層」。放送後も反響が続いています。
山一證券と言えば、バブル期は四大証券の一角として我が世の春を謳歌していた会社。
●応援します、はじめての株式投資。 (1987年)
法人営業に強く「法人の山一」とも呼ばれた山一證券。当時は業界全体の羽振りもよかったことから、就職ランキングでも上位にランクインしていました。
●「僕は、激しくて、温かい会社を選びました。」 (1991年)
が、バブル崩壊(1991年3月)をうけ大きな損失が発生。これを隠すために社内で不正会計が行われ、業績も転落してゆきます。
そして1997年11月に自主廃業を決定。おりしも創業100周年の節目の出来事でした。
今日は、1990年代には存在しなかったテクノロジー、Googleマップ、Googleストリートビューを活用し、かつて山一證券の拠点だった場所が今どうなっているのか、探検してみます。
■さすが山一、当時のオフィスは超一等地ばかり!
●旧・山一證券 本社ビル(現・茅場町タワービル)
1996年10月、破綻のわずか1年前に竣工した新本社ビル。自主廃業を報じるニュースでは、このビルの屋上にあった山一證券ロゴが何度も映し出されました。
現在は「茅場町タワーレジデンス」として生まれ変わりいくつかの企業が入居しているほか、上層階は賃貸住宅に。ちなみにお家賃は25万円~お部屋により応相談、といったところのようです。
●旧・山一證券 八重洲本社(現・みずほ証券本店営業部)
バブル当時のニュースで、街行くビジネスマンが株価ボードを眺めているシーン、見たことありませんか?あの株価ボード、実はココ、東京駅八重洲南口前にある常和八重洲ビルの前に設置されていたものでした。当時、株価関連のニュースでは定番の取材スポットでした。
●旧・山一證券 兜町本社(現・兜町第一平和ビル)
東京証券取引所のすぐ隣にあったもう一つの本社ビルはその後AIG兜町ビル→METLIFE兜町ビル→兜町第一平和ビルと名称を変え、現在はSBMC日興証券などが入居しているほか、ベンチャー企業向けのシェアオフィスとしても利用できるようです。このビルのオーナーやテナントの変遷からも、日本の金融界の激変ぶりが感じられます。
ちなみに山一證券といえば1997年11月のこの会見ですが、これはお隣の東京証券取引所内にある会議室での出来事でした。
●旧・新宿支店(カワセビル)
バブル期、銀座と同じくらいに地価が高騰した新宿には、紀伊國屋書店のお隣の「カワセビル」内に新宿支店がありました。1998年3月の閉鎖時には多くのメディアも取材に押しかけ、シャッターの閉まる様子を撮影しました。
新宿支店があった場所はその後、シティバンク銀行~みずほ銀行~三井住友銀行と変遷しましたが、今年5月に「カワセビル」の建て替えも開始。現在はシートで覆われています。
●旧・銀座支店(塚本素山ビル)
宝くじ売り場の向かい、プリマハムの大きな看板が目印の塚本素山ビル。地下1階には安倍首相とオバマ大統領が会食した高級すし店「すきやばし次郎」が入居しています。山一證券は1960年のビル竣工時から2~3Fに入居していました。バブル期、銀座で最も公示地価が高かったビルとしても知られるこの場所で、当時どんな取引が繰り広げられていたのでしょうか…。
●旧・名古屋支店(現・ダイテックサカエ)
名古屋駅からほど近い繁華街、栄にあった名古屋支店。現在は主に貸会議室として利活用されているほか、地下1階には「名古屋ブルーノート」が入居。名古屋の大人のエンターテインメント拠点として生まれ変わっています。
■「悪くなかった」OB、OGのみなさん、そろそろ思い出を語ってもよいのでは?
さすが山一證券。どの支店も、超一流の立地です。
どの職場でも、社員のみなさんは破綻直前まで一生懸命業務に精を出していたことでしょう。翌年の創立100周年を控え、山一證券では竹野内豊を起用した一大キャンペーンすら始まっていたのです。ドラマ「ビーチボーイズ」で竹野内がスターダムに登りつめるのはこの翌年のこと。
●「新しいことを始めよう。」 (1996年)
キャッチコピーの「新しいことを始めよう。」が皮肉です。こんなCMが流れている中で、現場社員のいったい誰が、翌年、会社が無くなってしまうことを想像できたでしょうか。
どなたがアップしたのか、1995年ごろの長崎支店の様子をレポートした社内向けビデオをYouTubeで発見。なんでもないようなことが、幸せだったと思う。
●山一證券 破綻直前の社内ビデオ(1995年ごろ)
間もなく激動の平成も終わります。
あのころ大変な思いをされた社員のみなさん、久しぶりにかつての職場を思い出してみませんか。
(バブル時代研究家DJGB)
こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。
12月2日(日)に放映された「NHKスペシャル」平成史スクープドキュメント 第2回「山一證券破綻の深層」。放送後も反響が続いています。
【4日深夜・再】 #NHKスペシャル 平成史スクープドキュメント 第2回「山一證券破綻の深層」は4日(火)深夜に再放送予定。
— NHKドキュメンタリー (@nhk_docudocu) 2018年12月2日
バブル崩壊の象徴となった山一證券破綻の深層。新証言や極秘資料から今も変わらない日本の組織文化の病巣を見つめる。[総合]
#有馬嘉男 #広瀬修子 https://t.co/6sM7gsgtoS
山一證券と言えば、バブル期は四大証券の一角として我が世の春を謳歌していた会社。
●応援します、はじめての株式投資。 (1987年)
法人営業に強く「法人の山一」とも呼ばれた山一證券。当時は業界全体の羽振りもよかったことから、就職ランキングでも上位にランクインしていました。
●「僕は、激しくて、温かい会社を選びました。」 (1991年)
が、バブル崩壊(1991年3月)をうけ大きな損失が発生。これを隠すために社内で不正会計が行われ、業績も転落してゆきます。
本日(11月24日)は
— 上場企業ホームページ更新チェッカー (@kigyo_hp_check) 2018年11月24日
山一證券が自主廃業を発表して業務を停止した日です(1997年11月24日)
号泣会見の野澤正平社長(逮捕されたのは前社長)は、のちにセンチュリー証券の社長となる#kabu #株 #商標 #BO #アプリ pic.twitter.com/jqUHKbLtQr
そして1997年11月に自主廃業を決定。おりしも創業100周年の節目の出来事でした。
今日は、1990年代には存在しなかったテクノロジー、Googleマップ、Googleストリートビューを活用し、かつて山一證券の拠点だった場所が今どうなっているのか、探検してみます。
■さすが山一、当時のオフィスは超一等地ばかり!
●旧・山一證券 本社ビル(現・茅場町タワービル)
1996年10月、破綻のわずか1年前に竣工した新本社ビル。自主廃業を報じるニュースでは、このビルの屋上にあった山一證券ロゴが何度も映し出されました。
現在は「茅場町タワーレジデンス」として生まれ変わりいくつかの企業が入居しているほか、上層階は賃貸住宅に。ちなみにお家賃は25万円~お部屋により応相談、といったところのようです。
●旧・山一證券 八重洲本社(現・みずほ証券本店営業部)
バブル当時のニュースで、街行くビジネスマンが株価ボードを眺めているシーン、見たことありませんか?あの株価ボード、実はココ、東京駅八重洲南口前にある常和八重洲ビルの前に設置されていたものでした。当時、株価関連のニュースでは定番の取材スポットでした。
●旧・山一證券 兜町本社(現・兜町第一平和ビル)
東京証券取引所のすぐ隣にあったもう一つの本社ビルはその後AIG兜町ビル→METLIFE兜町ビル→兜町第一平和ビルと名称を変え、現在はSBMC日興証券などが入居しているほか、ベンチャー企業向けのシェアオフィスとしても利用できるようです。このビルのオーナーやテナントの変遷からも、日本の金融界の激変ぶりが感じられます。
次回の#NHKスペシャル #平成史スクープドキュメント は山一證券か。やはり、あの野沢社長の記者会見が一番印象的だったな。 pic.twitter.com/9tH6IYU2rP
— 白石敏彦 (@toshi_1004) 2018年10月21日
ちなみに山一證券といえば1997年11月のこの会見ですが、これはお隣の東京証券取引所内にある会議室での出来事でした。
●旧・新宿支店(カワセビル)
バブル期、銀座と同じくらいに地価が高騰した新宿には、紀伊國屋書店のお隣の「カワセビル」内に新宿支店がありました。1998年3月の閉鎖時には多くのメディアも取材に押しかけ、シャッターの閉まる様子を撮影しました。
新宿紀伊國屋書店本店ビルを挟み、
— かおりちゃま (@kaori_chama) 2018年7月12日
旧三峰館はきれいサッパリなくなり、
カワセビルも解体始まりました。
この周辺、買収劇閉店多くなってます。
カワセビルの隣、ロクシタン旗艦店は閉店し、オニツカタイガーが入ったし!
…コムサはビル一棟ごと明日閉店だ!!
他にも多々…景色どんどん変わります。 pic.twitter.com/sow7TUJjPD
新宿支店があった場所はその後、シティバンク銀行~みずほ銀行~三井住友銀行と変遷しましたが、今年5月に「カワセビル」の建て替えも開始。現在はシートで覆われています。
●旧・銀座支店(塚本素山ビル)
宝くじ売り場の向かい、プリマハムの大きな看板が目印の塚本素山ビル。地下1階には安倍首相とオバマ大統領が会食した高級すし店「すきやばし次郎」が入居しています。山一證券は1960年のビル竣工時から2~3Fに入居していました。バブル期、銀座で最も公示地価が高かったビルとしても知られるこの場所で、当時どんな取引が繰り広げられていたのでしょうか…。
●旧・名古屋支店(現・ダイテックサカエ)
名古屋駅からほど近い繁華街、栄にあった名古屋支店。現在は主に貸会議室として利活用されているほか、地下1階には「名古屋ブルーノート」が入居。名古屋の大人のエンターテインメント拠点として生まれ変わっています。
■「悪くなかった」OB、OGのみなさん、そろそろ思い出を語ってもよいのでは?
さすが山一證券。どの支店も、超一流の立地です。
どの職場でも、社員のみなさんは破綻直前まで一生懸命業務に精を出していたことでしょう。翌年の創立100周年を控え、山一證券では竹野内豊を起用した一大キャンペーンすら始まっていたのです。ドラマ「ビーチボーイズ」で竹野内がスターダムに登りつめるのはこの翌年のこと。
●「新しいことを始めよう。」 (1996年)
キャッチコピーの「新しいことを始めよう。」が皮肉です。こんなCMが流れている中で、現場社員のいったい誰が、翌年、会社が無くなってしまうことを想像できたでしょうか。
どなたがアップしたのか、1995年ごろの長崎支店の様子をレポートした社内向けビデオをYouTubeで発見。なんでもないようなことが、幸せだったと思う。
●山一證券 破綻直前の社内ビデオ(1995年ごろ)
間もなく激動の平成も終わります。
あのころ大変な思いをされた社員のみなさん、久しぶりにかつての職場を思い出してみませんか。
(バブル時代研究家DJGB)