カリスマ古着店「古着屋十四才」の品ぞろえでふりかえる【平成ヒトケタ】
こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。
来年2019年4月30日で「平成」が終わります。
「NHKスペシャル」をはじめ、メディアでは平成ふりかえり企画が花盛り。私もそんな流れに積極的に便乗していきたい!
そんなおり、「大阪にDJGBさんの好きそうな古着屋があるよ」とのタレコミが。
その名も「古着屋十四才」さん。
店内の様子はこんな感じです。従来の古着屋とは一線を画すセレクトのアイテムがズラリ。
ということで今日は、知る人ぞ知るカリスマショップ「古着屋十四才」さん(@siosandesu4030)の品ぞろえから、バブル期~平成ヒトケタ年代をふりかえってみます。なお価格はすべて税込み。一点もののため売り切れの場合もあることをご了承ください。
■「UFO」「熱血飲料」といったレアTに、JリーグGジャンも
●とんねるずの遊歩人Tシャツ(昭和61年)
まずは昭和の末期を象徴するアイテム。
昭和61年(1986)年4月、日清食品は当時「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」などで中高生から絶大な支持を集めていたとんねるずを「日清焼きそばUFO」のCMに起用。大々的なTシャツプレゼントキャンペーンを実施しました。
AタイプとBタイプの2種類がありましたがこちらはAタイプ。
ところで「遊歩人」といえば同名の廉価なポータブルオーディオが思い浮かびますが、もろもろ話は通っていたんでしょうかねえ。
●フロムエー(平成元年~平成2年ごろ)2,980円
「アルバイト見つけるペーパーマガジン」のキャッチコピーが入っているほうが前期型です。「フロムエー」はフリーターという言葉を生み出した(昭和61年)メディアとして知られ、平成3年の「カーキン音頭」(河内家菊水丸)のCMで知名度は一気に全国区に。アルバイト情報誌が週に2回も刊行されたのがこの時代でした。
●「熱血飲料」Tシャツ(平成3年)3,980円
若き日の唐沢寿明が演じるさえないサラリーマン、奥田古佐典(おくたこさのり)は、オクタコサノール含有の「熱血飲料」を飲むと「熱血キッド」に変身し、かすみちゃんを助けに参上します。
前年に大ヒットした「鉄骨飲料」の流れを受けて企画された製品でしたが、およそ3年で販売終了。直後にほぼ同じ成分の「DAKARA」として再登場しました。
●CHAGE AND ASKA ツアーTシャツ(平成3~4年)6,980円
ドラマ「101回目のプロポーズ」主題歌の「SAY YES」は、この時代を代表するヒットソング。写真のポージングひとつとっても、当時のチャゲアスの威風堂々っぷりが伝わります。
●ボブソン・JリーグGジャン(平成4年)4,980円
「04ジーンズ」をヒットさせ波に乗っていたボブソンは93年、Jリーグ開幕と同時に公式スポンサーに就任。各チームのマスコットをあしらったGジャンは、「オリジナル10」のサポーターなら今こそマストバイのアイテムです。
●一色紗英×日産サニー(平成4年)
「3M(宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさ)」の次を担ったCM美少女はこの人でした。「三井のリハウス」をはじめ、「NTT」「大塚製薬(ポカリスエット)」、「ANA」など、当時のクライアントは超一流企業ばかり。
が、この日産のCMは平成8年、イチロー(当時オリックスブルーウェーブ)の「イチロ!ニッサン」キャンペーンに引き継がれます。
●「エスファイトゴールド」Tシャツ(平成5年)
「エスファイトゴールド」の主成分であるビタミンB群と、「ビート」がかかっていたことにどれだけの方がお気づきでしょうか。
ビートたけしはこの「エスファイトゴールド」CM出演中にバイク事故を起こし、しばらく表舞台から遠ざかります。
●ドジャース・野茂英雄(平成7年)3,980円
阪神大震災とオウム事件に揺れた日本人の心を鼓舞したのが、野茂英雄のメジャー挑戦でした。当時のメジャーリーググッズといえば、お土産感満載の、この写真風のイラストが特徴でした。
■Tシャツが“メディア”として機能していた時代。
「古着屋十四才」さんならではの独特なセレクト、いかがでしたでしょうか。
今回紹介したのはバブル期~阪神大震災までのおよそ10年間だけですが、これだけでも【激動の時代】を感じさせてくれますね。
バブル時代研究家として特に興味深かったのは「企業モノ」のTシャツ群です。こうして並べてみると、80~90年代にかけ、Tシャツはアメカジを象徴するアイテムであったと同時に、企業や団体にとっては若者にリーチするための“メディア”だったこともうかがえます。今回紹介したアイテムの中にも、企業の販促グッズとして制作されたと思しきものがいくつもありました。
当時の中高生にとってTシャツでは、決して安い買い物ではありません。ハガキに応募券を貼って1人で何通も応募した諸兄や、ゲットしたTシャツを襟がヨレヨレになるまで何年も着続けた、という想い出がいっぱいな方も少なくないハズ。
というか、私の「十四才」は、そんな鬱屈した日々だった気がします。「ボスジャン」(平成5年)も「がんばってコート」(平成8年)も、ひたすら欲しかった。
そういえば最近は、タレントにラスト1秒で「コレ当たる!」なんて叫ばせるCMも少なくなりましたね…。
●「古着屋十四才」
Instagram:@jyuyonsai
Twitter:@siosandesu4030
住所:大阪市中央区西心斎橋2-13-13ショウザンビル1階
(バブル時代研究家DJGB)
来年2019年4月30日で「平成」が終わります。
「NHKスペシャル」をはじめ、メディアでは平成ふりかえり企画が花盛り。私もそんな流れに積極的に便乗していきたい!
そんなおり、「大阪にDJGBさんの好きそうな古着屋があるよ」とのタレコミが。
その名も「古着屋十四才」さん。
THE HIGH-LOWSの名曲【十四才】。この曲は十四才の頃のヒロトがラジオから流れるロックンロールから受けた衝撃=初期衝動を歌ってる。僕も十四才の頃に連れてってもろたアメリカ村の古着屋から受けた衝撃、楽しさ、カオス、を店に込めたい、と思て店名を【十四才】にした。
— 古着屋十四才 (@siosandesu4030) 2016年6月22日
店内の様子はこんな感じです。従来の古着屋とは一線を画すセレクトのアイテムがズラリ。
ということで今日は、知る人ぞ知るカリスマショップ「古着屋十四才」さん(@siosandesu4030)の品ぞろえから、バブル期~平成ヒトケタ年代をふりかえってみます。なお価格はすべて税込み。一点もののため売り切れの場合もあることをご了承ください。
■「UFO」「熱血飲料」といったレアTに、JリーグGジャンも
●とんねるずの遊歩人Tシャツ(昭和61年)
まずは昭和の末期を象徴するアイテム。
昭和61年(1986)年4月、日清食品は当時「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」などで中高生から絶大な支持を集めていたとんねるずを「日清焼きそばUFO」のCMに起用。大々的なTシャツプレゼントキャンペーンを実施しました。
AタイプとBタイプの2種類がありましたがこちらはAタイプ。
ところで「遊歩人」といえば同名の廉価なポータブルオーディオが思い浮かびますが、もろもろ話は通っていたんでしょうかねえ。
●フロムエー(平成元年~平成2年ごろ)2,980円
「アルバイト見つけるペーパーマガジン」のキャッチコピーが入っているほうが前期型です。「フロムエー」はフリーターという言葉を生み出した(昭和61年)メディアとして知られ、平成3年の「カーキン音頭」(河内家菊水丸)のCMで知名度は一気に全国区に。アルバイト情報誌が週に2回も刊行されたのがこの時代でした。
●「熱血飲料」Tシャツ(平成3年)3,980円
若き日の唐沢寿明が演じるさえないサラリーマン、奥田古佐典(おくたこさのり)は、オクタコサノール含有の「熱血飲料」を飲むと「熱血キッド」に変身し、かすみちゃんを助けに参上します。
前年に大ヒットした「鉄骨飲料」の流れを受けて企画された製品でしたが、およそ3年で販売終了。直後にほぼ同じ成分の「DAKARA」として再登場しました。
●CHAGE AND ASKA ツアーTシャツ(平成3~4年)6,980円
ドラマ「101回目のプロポーズ」主題歌の「SAY YES」は、この時代を代表するヒットソング。写真のポージングひとつとっても、当時のチャゲアスの威風堂々っぷりが伝わります。
●ボブソン・JリーグGジャン(平成4年)4,980円
「04ジーンズ」をヒットさせ波に乗っていたボブソンは93年、Jリーグ開幕と同時に公式スポンサーに就任。各チームのマスコットをあしらったGジャンは、「オリジナル10」のサポーターなら今こそマストバイのアイテムです。
●一色紗英×日産サニー(平成4年)
「3M(宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさ)」の次を担ったCM美少女はこの人でした。「三井のリハウス」をはじめ、「NTT」「大塚製薬(ポカリスエット)」、「ANA」など、当時のクライアントは超一流企業ばかり。
が、この日産のCMは平成8年、イチロー(当時オリックスブルーウェーブ)の「イチロ!ニッサン」キャンペーンに引き継がれます。
●「エスファイトゴールド」Tシャツ(平成5年)
「エスファイトゴールド」の主成分であるビタミンB群と、「ビート」がかかっていたことにどれだけの方がお気づきでしょうか。
ビートたけしはこの「エスファイトゴールド」CM出演中にバイク事故を起こし、しばらく表舞台から遠ざかります。
●ドジャース・野茂英雄(平成7年)3,980円
阪神大震災とオウム事件に揺れた日本人の心を鼓舞したのが、野茂英雄のメジャー挑戦でした。当時のメジャーリーググッズといえば、お土産感満載の、この写真風のイラストが特徴でした。
■Tシャツが“メディア”として機能していた時代。
「古着屋十四才」さんならではの独特なセレクト、いかがでしたでしょうか。
今回紹介したのはバブル期~阪神大震災までのおよそ10年間だけですが、これだけでも【激動の時代】を感じさせてくれますね。
バブル時代研究家として特に興味深かったのは「企業モノ」のTシャツ群です。こうして並べてみると、80~90年代にかけ、Tシャツはアメカジを象徴するアイテムであったと同時に、企業や団体にとっては若者にリーチするための“メディア”だったこともうかがえます。今回紹介したアイテムの中にも、企業の販促グッズとして制作されたと思しきものがいくつもありました。
当時の中高生にとってTシャツでは、決して安い買い物ではありません。ハガキに応募券を貼って1人で何通も応募した諸兄や、ゲットしたTシャツを襟がヨレヨレになるまで何年も着続けた、という想い出がいっぱいな方も少なくないハズ。
というか、私の「十四才」は、そんな鬱屈した日々だった気がします。「ボスジャン」(平成5年)も「がんばってコート」(平成8年)も、ひたすら欲しかった。
そういえば最近は、タレントにラスト1秒で「コレ当たる!」なんて叫ばせるCMも少なくなりましたね…。
●「古着屋十四才」
Instagram:@jyuyonsai
Twitter:@siosandesu4030
住所:大阪市中央区西心斎橋2-13-13ショウザンビル1階
(バブル時代研究家DJGB)