これでアナタも小渕官房長官!話題の「ありがとう平成まんじゅう」を企画した人を直撃してきた
まゆみ、最近の君はどう?
こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。
この秋、旅行や仕事で空港を利用した人々から、インパクト絶大のお土産の目撃情報が相次いでいます。
これは…、1989年1月7日、小渕恵三官房長官(当時)が新元号発表とともに掲げたアノ額縁…!
思わず手に持って「新しい元号は…、平成、で、あります。」と発表したくなる秀逸なパッケージが、土産物店の店頭でも異彩を放ちます。
これは、メーカーさんに直撃するしかありません。
■発案したのは“就職氷河期世代”の男性だった
この「ありがとう平成まんじゅう」を発売しているのは、東京・西日暮里の老舗菓子店「株式会社 大藤(だいとう)」。

ん、どこかで聞いたことある…とおもったら、この「大藤」さん、「ガンバレ純ちゃんの好景気まんじゅう」(2001年=平成13年)を皮切りに、時の人気政治家にちなんだ土産物を企画し話題を集めてきた会社です。
どうりで…。このセンス、嫌いじゃないです。
さっそくご担当を直撃します。
企画を担当されたのは「大藤」の菅野正美さん。顔出しはNGですが、現在41歳の健全・安全・好青年です。
ちなみに菅野さんが初めて自分のお小遣いで買ったCDはKANの「野球選手が夢だった」(1990年=平成2年)。
まず「ありがとう平成まんじゅう」が企画された経緯を教えてください!

菅野さん:国会の売店様と「平成」について雑談していた際に思いつきました。今年の6月に商品化が決定し、8月10日から発売しています。
パッケージは小渕さんの掲げた額縁がモチーフですよね? 本物の「平成」の字は総理府(当時)の官僚の方が書いたものだそうですが、この「平成」の題字は、どなたが書かれたのでしょうか?

菅野さん:依頼したデザイン会社様の女性のデザイナーの方の字です。
おお、しっかり手書きの原本があるんですね! ほかに、特にこだわったポイントがあれば教えてください。

菅野さん:おまんじゅうの美味しさと、すっきりしたデザインですね。
確かにこのシンプルかつ大胆なデザインは「君から目がはなせない」ですね。発売後の反響はいかがですか?

菅野さん:毎月約3,200個ぐらいの売れ行きです。年末から4月にかけて日に日に増えると予想しています。
「平成」は来年4月30日までですが、そこで販売も終了するのでしょうか?

菅野さん:「ありがとう」の気持ちを少し残して、5月末まで販売する予定です。全国の土産物店や大藤のオンラインショップなどでお買い求めいただけます。
来年になれば「平成ふりかえり」ブームもますます過熱するはず。テレビの中の小渕官房長官ゴッコをしたい人は、見かけ次第、即ゲットしておいたほうがよさそうですね。
ところで「ありがとう平成まんじゅう」には「平成のプチ情報しおり」も同封されていますが、菅野さんご自身が印象深い「平成」の出来事と言えばなんでしょう?

菅野さん:荒川静香さんの「イナバウアー」(2006年=平成18年)ですかね。浅田真央さんの年齢問題の中、金メダルをとって世間を黙らせたメンタルの強さと、腰の曲がり方のすごさが印象に残ってます。

菅野さん:それから「小泉劇場」(2005年=平成17年)。弊社の代名詞とも言える「総理大事まんじゅう」のはじまりです。

■時代を真正面から受け止めた世代だからこそ言える「ありがとう平成」
菅野さん、こっぱ短い時間でのインタビュー、ありがとうございました。
菅野さんが初めて買ったCD「野球選手が夢だった」には、KANファンの間で名曲として誉れ高い「1989(A Ballade of Bobby & Olivia )」が収録されています。

「1989年=平成元年」といえば、菅野さん世代がちょうど中学校に進学した年。任天堂から「ゲームボーイ」が発売され、「ザ・ベストテン」と「オレたちひょうきん族」が相次いで終了、川崎市の竹やぶから1億円が発見され、野茂英雄がドラフトで8球団から1位指名された、あの年です。
小学校を”昭和最後の卒業生”として送り出され、中学校に“平成初の新入生”として迎え入れられたこの世代は、大学を卒業するころには“就職氷河期世代”と呼ばれるようになります。
昭和のバブルに乗るには幼すぎ、いざなみ景気(通称:小泉景気。2002年2月~2009年3月)にも間に合わなかったこの世代にとって、平成の30年間は、決していいことばかりではなかったハズ。そんな日々をだいじょうぶI‘M ALL RIGHTと乗り切ってきたであろう菅野さんが、去り行く時代にかける言葉は「さよなら」でも「お疲れ様」でもなく、「ありがとう」でした。
「ありがとう平成まんじゅう」は、平成30年間の浮き沈みを真正面から受け止めた世代からの「言えずのI LOVE YOU」だった…というのは言い過ぎでしょうか。
そりゃ言い過ぎでしょう。
●大藤+江戸うさぎ オンラインショップ
(バブル時代研究家DJGB)
こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。
この秋、旅行や仕事で空港を利用した人々から、インパクト絶大のお土産の目撃情報が相次いでいます。
羽田空港で売ってた、平成ありがとうまんじゅう pic.twitter.com/GDqorDLH6G
— ciaociao (@ciaokenciao) 2018年10月20日
ありがとう平成まんじゅうwww
— じょるじゅとモンスターエナジーおじさん (@juryujuryujoru) 2018年10月19日
こんにちは◯◯まんじゅうも作る?w pic.twitter.com/yPP0suPSRy
これは…、1989年1月7日、小渕恵三官房長官(当時)が新元号発表とともに掲げたアノ額縁…!
思わず手に持って「新しい元号は…、平成、で、あります。」と発表したくなる秀逸なパッケージが、土産物店の店頭でも異彩を放ちます。
これは、メーカーさんに直撃するしかありません。
■発案したのは“就職氷河期世代”の男性だった
この「ありがとう平成まんじゅう」を発売しているのは、東京・西日暮里の老舗菓子店「株式会社 大藤(だいとう)」。

ん、どこかで聞いたことある…とおもったら、この「大藤」さん、「ガンバレ純ちゃんの好景気まんじゅう」(2001年=平成13年)を皮切りに、時の人気政治家にちなんだ土産物を企画し話題を集めてきた会社です。
どうりで…。このセンス、嫌いじゃないです。
さっそくご担当を直撃します。
企画を担当されたのは「大藤」の菅野正美さん。顔出しはNGですが、現在41歳の健全・安全・好青年です。
ちなみに菅野さんが初めて自分のお小遣いで買ったCDはKANの「野球選手が夢だった」(1990年=平成2年)。
まず「ありがとう平成まんじゅう」が企画された経緯を教えてください!

菅野さん:国会の売店様と「平成」について雑談していた際に思いつきました。今年の6月に商品化が決定し、8月10日から発売しています。
パッケージは小渕さんの掲げた額縁がモチーフですよね? 本物の「平成」の字は総理府(当時)の官僚の方が書いたものだそうですが、この「平成」の題字は、どなたが書かれたのでしょうか?

菅野さん:依頼したデザイン会社様の女性のデザイナーの方の字です。
国会や議員会館に行ったら、限定グッズ気になりますよね。ぜひぜひ国会傍聴などに来る際はチェックしてください!
— 立憲民主党 (@CDP2017) 2018年10月12日
国会人気は平成まんじゅう(写真でみる永田町):日本経済新聞 https://t.co/QQIHQqF8Lk
おお、しっかり手書きの原本があるんですね! ほかに、特にこだわったポイントがあれば教えてください。

菅野さん:おまんじゅうの美味しさと、すっきりしたデザインですね。
確かにこのシンプルかつ大胆なデザインは「君から目がはなせない」ですね。発売後の反響はいかがですか?

菅野さん:毎月約3,200個ぐらいの売れ行きです。年末から4月にかけて日に日に増えると予想しています。
「平成」は来年4月30日までですが、そこで販売も終了するのでしょうか?

菅野さん:「ありがとう」の気持ちを少し残して、5月末まで販売する予定です。全国の土産物店や大藤のオンラインショップなどでお買い求めいただけます。
来年になれば「平成ふりかえり」ブームもますます過熱するはず。テレビの中の小渕官房長官ゴッコをしたい人は、見かけ次第、即ゲットしておいたほうがよさそうですね。
ところで「ありがとう平成まんじゅう」には「平成のプチ情報しおり」も同封されていますが、菅野さんご自身が印象深い「平成」の出来事と言えばなんでしょう?

菅野さん:荒川静香さんの「イナバウアー」(2006年=平成18年)ですかね。浅田真央さんの年齢問題の中、金メダルをとって世間を黙らせたメンタルの強さと、腰の曲がり方のすごさが印象に残ってます。
「荒川静香の金メダルとイナバウアー」
— 20代後半の人が「懐かしい!」と思うモノ (@20_natsukashi) 2018年10月17日
あれはリアルで見て感動した!!
懐かしいと思ったら、リツイート!!pic.twitter.com/6sJBsA03Ob

菅野さん:それから「小泉劇場」(2005年=平成17年)。弊社の代名詞とも言える「総理大事まんじゅう」のはじまりです。
■時代を真正面から受け止めた世代だからこそ言える「ありがとう平成」
菅野さん、こっぱ短い時間でのインタビュー、ありがとうございました。
菅野さんが初めて買ったCD「野球選手が夢だった」には、KANファンの間で名曲として誉れ高い「1989(A Ballade of Bobby & Olivia )」が収録されています。
「1989年=平成元年」といえば、菅野さん世代がちょうど中学校に進学した年。任天堂から「ゲームボーイ」が発売され、「ザ・ベストテン」と「オレたちひょうきん族」が相次いで終了、川崎市の竹やぶから1億円が発見され、野茂英雄がドラフトで8球団から1位指名された、あの年です。
小学校を”昭和最後の卒業生”として送り出され、中学校に“平成初の新入生”として迎え入れられたこの世代は、大学を卒業するころには“就職氷河期世代”と呼ばれるようになります。
昭和のバブルに乗るには幼すぎ、いざなみ景気(通称:小泉景気。2002年2月~2009年3月)にも間に合わなかったこの世代にとって、平成の30年間は、決していいことばかりではなかったハズ。そんな日々をだいじょうぶI‘M ALL RIGHTと乗り切ってきたであろう菅野さんが、去り行く時代にかける言葉は「さよなら」でも「お疲れ様」でもなく、「ありがとう」でした。
「ありがとう平成まんじゅう」は、平成30年間の浮き沈みを真正面から受け止めた世代からの「言えずのI LOVE YOU」だった…というのは言い過ぎでしょうか。
そりゃ言い過ぎでしょう。
●大藤+江戸うさぎ オンラインショップ
(バブル時代研究家DJGB)