【格好悪くない年の取り方】大江千里、ジャズアルバムでもチャート1位獲得!10月にトークショーも

2018/9/26 10:30 DJGB DJGB

ワラビー脱ぎ捨ててますか。

こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。

大江千里がリリースしたジャズアルバム、「Boys & Girls」が、9月17日付オリコンの「アルバムウィークリーランキング・ジャズ・クラシック他ジャンル」で1位を獲得しました。




アルバムチャート1位はポップス歌手時代の1990年9月21日にリリースしたアルバム「APOLLO(アポロ)」がオリコン週間ランキング1位を獲得して以来のこと。




2008年に47歳で単身渡米。現在はニューヨークを拠点にジャズピアニストとして活躍する大江千里。およそ30年ぶりの吉報に本人も、

「やった!もう順位は考えないって悟ってから随分経つけれど、みんなで頑張って1位って。やっぱり嬉しい。今週はNYと東京で離れてはいるけれど、みんなで同じ時間に乾杯しましょう。」

と興奮を隠しきれません。


今日はそんな大江千里が「国民のボーイフレンド」だった時代をふりかえります



■日本一忙しい大学生は「私の玉子様」!

大江千里のブレイクのきっかけとなったのが、デビュー2年目のスマッシュヒット「十人十色」と、本人出演のこのCM。

●味覚糖「デートキッス」(84年)


音楽やってる=ロック=不良、といった偏見も強かった80年代。ボタンダウンシャツにネクタイ、そしてべっ甲眼鏡といういで立ちで登場した現役大学生シンガーソングライターは、たちまち同世代の女子大生やOLの支持を集めます。

デビュー当時のキャッチフレーズは

「私の玉子様、スーパースターがコトン」

子様、ではなく子様。

大江の清潔感と育ちの良さ、そして少し三枚目的なキャラクターを表現した秀逸なコピーは作家・林真理子の手によるもの。

関西学院大学に在学中だった彼は仕事のために頻繁に新幹線で東京~大阪を往復。日本一忙しい大学生との異名をとるほどの人気者でした。



■この「安心して親に紹介できるボーイフレンド」感!

1987年に初の武道館ライブを成功させると、大江の人気はいよいよ沸騰。その活躍の場はライブハウスにとどまらず、バラエティ番組やドラマ、CMなどにも広がりました。

●NEC「98 note」(89年)


デビュー当時「玉子様」だった大江は数年後、若手ビジネスマンへと成長します。この新人類感も、当時の大江らしさ。


●不二家「アメリカンバー」(90年)


自身が楽曲を提供(「太陽にいっぱい」89年)したスーパーアイドル光GENJI(正確にはGENJIの5人)から、翌年にCMを引き継ぐという珍しいパターン。


●スズキ「カルタス」(91年)


前任者は「オ・レ・タ・チ、カルタス」こと舘ひろし。キャラクター的には劇的な方針転換に見えますが、ダジャレ交じりのキャッチコピーはあまり変わりません。


映画「君は僕をスキになる」(89年)では山田邦子、斉藤由貴、加藤雅也(当時昌也)らとともに主演。



この映画の撮影がきっかけで意気投合し、同年には「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の初期メンバーにも抜擢され、まさにお茶の間の人気者に。その後のドラマ「十年愛」(90年)での衝撃的なエンディングなどのキャリアを経て、現在に至ります(すっ飛ばしすぎ)。





余談ですが、当時私のいとこ(女性)は、地方都市でただただTV越しに見つめ、CDを聴きあさるだけのいちファンにもかかわらず、大江千里を「将来の結婚相手」として両親に紹介したことがあります(本気で)。

ミュージシャン・シンガーソングライターの領域を超え、大江がバブル期に人気者となった要因はこの「安心して両親に紹介できるボーイフレンド」感に集約されているような気がするのです。



■ジャズピアニストとして新境地!

前述のとおり、現在はジャズピアニストとして活躍中の大江。現在は活動の拠点がアメリカであることから、日本のファンとはTwitterなどで気さくにコミュニケーション中。



が、このたび10月13日(土)に東京・御茶ノ水のディスクユニオン JazzTOKYOでトークショー&サイン会の開催が決定!



「もう一度キミにあいたい」

というファンはイベント公式サイトをチェック!


(バブル時代研究家DJGB)