恐ろしくも人を惹きつけてやまない「うらめしい絵」とは
突然ですが、皆さんは誰かをうらめしいと思ったりしたことありませんか?もしかして今まさにそんな心情だったり…
どんな聖人君子であっても、時に他人をそう思ってしまうのが人の心というもの。愛情とは裏腹に憎しみもまた同じ心の中に巣くっているものです。
そんな誰しもが持ち合わせるうらめしい感情を絵画化した作品が日本美術には多くみられます。例えばとても有名な上村松園のこの作品などその極み。
上村松園上《焔》1918年
東京国立博物館蔵
謡曲「葵の上」に想を得て源氏物語に登場する六条御息所の生霊を描く。美人画作家といわれる松園の作品の中では異色の主題。髪の端を噛んで振り返る青い顔には嫉妬に翻弄される姿が現われ,白地の着物に描かれた清楚な藤の花にからむ大きな蜘蛛の巣が,執拗な怨念を不気味に暗示させる。嫉妬の化身となった生霊を品格を損なわずに造形化した本図は,近代日本画の水準を高めたと評価される松園の実力を鮮やかに証明している。https://www.tnm.jp/より。
解説にあるように、ここでは嫉妬という心情を見事視覚化しています。ここまで強烈な情念でなくても、嫉妬は日常生活の中でもしばしば心の中に現れてくるものです。
そうした嫉妬ややっかみ、怨嗟といった嫌だけれども誰しもが持つ負の心情を描いた作品を紹介する本があります。その名もズバリ『うらめしい絵』
『うらめしい絵: 日本美術に見る 怨恨の競演』
田中 圭子 (著)
東洋の五行思想では人間の感情を「喜」「怒」「哀」「楽」「怨」の5つに分かれるとされているそうです。しかしご存知の通り、日本人は「喜怒哀楽」の4つしか普段用いていません。
「怨」が欠落しているのです。
それは日本人が感情をぐっとこらえ、表に出すことをよしとしなかったことに起因しているようです。相手に対して不満はあるものの、それを直接言葉に出して正すことを現代社会でも行いませんよね。
不満を表面に出さず自分で抱え込んでいるといつしか相手に対する執着心が堆積しそれを晴らしたいと思うようになるものです。
そのじっとこらえて表に出さない日本人独特の感情表現が、「怨」を欠落させたのではと著者の田中氏は推察しています。そして「そうした内に秘めた情動は、人間の本質に迫りうるものではないでしょうか。」と述べられています。
あらためて、うらめしい【恨めしい/怨めしい】の言葉の意味をgoo辞書で調べてみるとこう定義されています。
1 恨みに思われる。にくらしい。「彼の裏切りが―・い」
2 残念に思われる。情けない。「役にも立たないわが身が―・い」
鏑木清方《朧駕籠》
夫婦心中で死に切れなかった夫の無事を願う若妻。愛慕と未練がその表情で交差しています。鏑木清方こんな文学的な作品も描けるのですね!
そして日本美術の多様性もこの本からあらためて知ることが出来ます。うらめしいと思うのはどうやら人間だけではないようです。
楊洲周延《東錦昼夜競 佐賀の怪猫》
非業の死を遂げた飼い主の仇を討とうとする猫。手前の人物に目が行ってしまいますが、その背後を見ると巨大な猫のシルエットがもくもくと立ち込める煙のように描かれています。
人の恨みより、猫の恨みの方が恐ろしいように思えてしまいますね。
このような、負の感情を描いた絵に秘められた、"物語"をひもとき、画家たちが描いた、恐ろしくも人を惹きつけてやまない「うらみ」の世界を、様々な日本画とともに紹介している。『うらめしい絵』
幽霊たちも現れるのをためらった?!今年の夏の猛暑もようやくひと段落しました。読書の秋もやってきます。乱世のなかで、非業の死を遂げた者たちや怨嗟の念を抱えた女性たちのバックストーリーを読み解いてみましょう。
きっと、うらめしい絵、一枚一枚の絵のなかに隠された、さまざまな想いや物語を、堪能できるはずです。
『うらめしい絵: 日本美術に見る 怨恨の競演』
田中 圭子 (著)
株式会社誠文堂新光社