【ンみなさんお元気ですかァ】9月1日は日産「セフィーロ」発売から30周年
こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。
9月1日は、バブル期を代表する名車日産「セフィーロ」発売(1988年)から30周年です。
和田智です。発売30周年を迎えた日産セフィーロ。日産に入社して初めて担当したクルマでした。まだまだ現役で走っている子もいるようで嬉しい限りです。「お元気ですか?」のコピーも話題になりましたが、いつまでも元気でいて欲しいです。 pic.twitter.com/cOlgthfEDf
— 和田智 | Satoshi Wada (@SWdesignTOKYO) 2018年7月21日
今日は、昭和と平成の狭間で人々に鮮烈な記憶を残したクルマと、そのCMをふりかえります。
■落ち着きすぎない、若すぎない。「33歳のセダン」
日産自動車の「セフィーロ」は、バブル絶頂の1988年(昭和63年)9月1日に発売された4ドアセダン。同社の「スカイライン」をベースにしたスポーティな足回りとスタイリッシュさに、ハイグレード車のエッセンスをプラスした、アッパーミドルクラス向けのモデルでした。
この年の1月、日産は「セフィーロ」に先駆け、3ナンバーの大型高級車「シーマ」を発売しています。
Y31 セドリックシーマ XS-II バブルに生まれた日産初の3ナンバー専用高級車 「シーマ現象」は説明不要 高級さだけでなく運動性能も高く作られ255馬力のV6ターボエンジンを搭載し、リアサスを大きく沈めながら加速する。 語彙力0だけどとにかく渋いカッコイイ、欲しくなった。 pic.twitter.com/9zf0erd609
— NEO (@neo_butterroll6) 2017年11月4日
おりしも日本では空前の高級車ブーム。消費者の志向を的確につかんだ「シーマ」は、納車まで半年待ちは当たり前という大ヒットに。高価格商品から売れてゆく「シーマ現象」という言葉は同年の流行語大賞(銅賞)にも輝きます。
「ベンツやBMWには手が届かないけれど、サニー、スカイラインよりちょっと上を選ぶくらいの贅沢はしたい」
当時としては珍しくエンジン・トランスミッション・外装色・内装色・装備を注文時に選択できるなど、ワンランク上の豊かさを提案する「セフィーロ」は、バブル真っ只中のDINKSたちの『“中の上”意識』に応えるクルマでした。
■斉藤由貴に和田勉も…「ティザー広告」のさきがけ
「セフィーロ」はその斬新な広告展開でも注目を集めました。
まず発売数週間前には、斉藤由貴(女優)、和田勉(演出家・作家)、中沢新一(人類学者)といった面々が、「次の日産を見るまでは新しいクルマは買えない」というメッセージだけを投げかける広告を展開。
初代セフィーロ(A31型)が誕生した1988年(S63年)は私がまだ1歳の頃だった。
— 立花佳昭【Arnval Mk2】 (@impreza_15i_s) 2017年5月16日
キャッチコピーは「くうねるあそぶ」、「33歳のセダン」。
井上陽水が出てたCMが印象的だった。 pic.twitter.com/wFNBJwiMb4
発売直前になってようやく井上陽水が登場し、キーワードが「くうねるあそぶ。」であることは明かされますが、ここでもまだ肝心のクルマは出てきません。
そして発売日の9月1日、ようやく「セフィーロ」そのものが広告に登場します。
「くうねるあそぶ」
— YUSUKE247 (@yx78v) 2018年8月23日
こんな台詞が自動車の宣伝に通用した時代だったのか( ゚д゚)
俺はやっぱり生まれてくる時代を間違えたようだ・・・#バブル#日産 #セフィーロ #A31 #昭和最後の年#井上陽水 #糸井重里 pic.twitter.com/M2zdIWgy5T
商品そのものを最後まで見せず“じらす”この手法はティザー広告と言われ、その豪華さも話題に。ひとつの大型製品に潤沢な広告予算がついた、バブル期ならではの手法です。
■「ンみなさんお元気ですかァ」が消えた理由
そして、後世に語り継がれるアノCMの放映がスタートしました。
●日産「セフィーロ」(88年・自粛前)
陽水は当時運転免許を持っておらず、そのため「助手席の窓を開けてあいさつをしたのち、走り去る」という印象的な演出に。
「くうねるあそぶ。」は、当代きってのコピーライター、糸井重里の手によるもの。のちに彼は自著で、自身にとってもこのコピーは最高傑作のひとつだったとふりかえっています。
にもかかわらず、出来上がったCMを見た彼は、自分が練りに練ったコピーよりも、陽水の「ンみなさんお元気ですかァ?」というあいさつのほうがよほど強烈だったことに、ひどく衝撃を受けたそう。
考えてみればあいさつとは、何世代にもわたって受け継がれてきた“コピーの中のコピー”。その強さは、昨日今日できたコピーの比ではない、というのが、糸井が導き出した結論でした。
ところがその“コピー中のコピー”も、意外な形で時代にかき消されます。
同年9月18日、昭和天皇の体調悪化が報じられはじめます。世の“自粛”ムードを受け、日産はCMから陽水のセリフをカットし、“口パク”状態でのオンエアを余儀なくされました。
●日産「セフィーロ」(88年・自粛後)
一説には「みなさん」が「宮(みや)さん」に聴こえかねないという判断もあったとか。
結局セリフ入りバージョンが放映されたのは、9月1日~9月20日ごろまでの、わずか3週間程度。陽水の独特な口調のインパクトが強かっただけあり、その反作用もまた強烈でした。が、結果的に、この「自粛」騒動によってCMの話題性が高まったことも事実です。
自粛の余波は、ライバルメーカーのトヨタにも及びました。やはりDINKSをターゲットに発売された「カリーナ」の「生きる歓び」というコピーも、時節にそぐわないとの判断から使用中止に。
●トヨタ「カリーナ」(88年・自粛前)
自動車大手2社のDINKS向けCMがそろって「自粛」のターゲットとなったのは、当時のDINKSたちをとりまく空気を反映している、とも言えそうです。
■「セフィーロ」とバブル後のDINKSたち
「自粛」ムードからほどなくして、時代は昭和から平成へ。
そして、やがてバブルも崩壊(91年3月)しました。
88年に「カリーナ」のCMに出演していた元祖CM女王松本孝美は、10年後の99年、モデルチェンジした3代目「セフィーロ」のCMに出演しています。
●日産「セフィーロ」(99年)
バブル期、CMを通じて常に若者の憧れライフスタイルを体現していた松本が、10年ののち、ライバルメーカーの同クラスのクルマのCMに出演しているというのは象徴的です。
88年に「33歳のセダン」に乗っていたDINKSたちは、99年なら40代半ば。順調にキャリアアップしていれば、そろそろ最高級車の「シーマ」に乗り換えてもよいころです。
が、バブル崩壊は、それを許してくれませんでした。
松本孝美が「セフィーロ」のCMに出演した99年、深刻な経営危機に陥っていた日産は仏・ルノーとの資本提携を発表。実質的にルノー傘下に入った日産はリストラを進め、「セフィーロ」の国内販売も2003年に終了しています。
日産「セフィーロ」発売から、そして陽水が助手席からわれわれに語り掛けてから、9月1日で30年です。「セフィーロ」初期型は、バブル期のクルマならではの作りの良さが評価され、現在でも中古車市場で一定の人気を誇っています。
うわー、A31セフィーロも今高いんだなー
— だいちゃん (@Babylon_Stage17) 2018年8月23日
タイにでも行くか???? pic.twitter.com/ACKoZ0oKni
あのころ「33歳のセダン」を選んだみなさん、お元気ですかァ?
今日はこのへんで、失礼しまァす。
(バブル時代研究家DJGB)