ここがムズカシイぞ! 京都取材

2018/6/11 12:19 吉村智樹 吉村智樹




こんにちは。
関西在住のライター、吉村智樹です。


いらっしゃいませ。
旅するライター、吉村智樹です。


おおよそ週イチ連載「特ダネさがし旅」
特ダネを探し求め、私が全国をめぐります。





■取材のハードルが高い街「京都」


この「いまトピ」の連載をはじめ、僕は仕事でほぼ毎日、取材で近畿二府四県を飛びまわっています。
カメラを携え、お店、アトリエ、サークル、会社、行政、個人宅などなど、いたるところへおじゃまをさせてもらっているのです。


貴重な時間を割いていただいているにもかかわらず、どの街の皆さんもあたたかく迎えてくださるので本当に感謝をしています。


ただ一か所……取材のハードルがとても高い街があるのです。
それが「京都」


京都は、とにかく取材が難しい
観光都市ではありますが、だからといって「よそさん」に対して開放的かといえば、むしろ正反対
硬い殻で覆われていて、そう簡単に中身にまではたどり着くことができません。


特に我々プレス関係者はお客さんではありません。
「取材? うちは宣伝なんぞしていただかなくとも何の問題もありませんよってに」とおっしゃるところをなんとか切り込もうとしているわけですから、それなりの逆アップは覚悟しなければなりません


ではいったい、なにが難しいのか。
いくつか例をあげてみます。


■「電話で取材の申込み? ええ度胸してはりますなあ」


まず「取材の申込み」が難しい
電話で取材を申し込むと、





「取材? 申し込みを電話で? ほほほ。おたくさん、ええ度胸してはりますなあ。あんさん、どこに住んではりますの? 京都? 同じ京都なんやったら、普通は直接挨拶にいらっしゃるんが人の道の常(つね)なんと違いますかろか? ○○さんとこなんかはわざわざ菓子折り持って訪ねてきはりましたえ」とお説教。


あの……京都といっても、広いんだけど……。
とはいえこちらは取材を申し込んでいる側、強くは出られません。
「これは失礼しました」と後日、改めてご挨拶に出向くと「あらあら、時間ぴったりに来はって。普通は先様のことを思って、毛ぇ一本ほど(数分の意味)遅れてくるもんやけどなあ」と再度イヤミ。


うぅ……。


でもこれ、意地悪でおっしゃっているのではないのです。
こちらの「取材させてほしいという意欲」をそうして測っていらっしゃるのです。
僕は京都在住ですが大阪出身なのでその習わしを知らず、「京都の洗礼」にずいぶん凹みました。


■「あの店を取材するのなら、うちはお断りどす」


続いて「ほかにどこの店が載るのかを異様に気にする」


京都には製菓や工芸品など、さまざまな老舗があります。
そして永い歴史のあいだには、のれん分け、枝分かれ、ライバルとの敵対、血族どうしのいさかいなどなど血で血を洗う、きれいごとでは済まないドラマがあるのです


なので必ずと言っていいほど訊かれるのが「取材? ほかは、どちらのお店を載せはりますの?」。


そして「○○と○○です」と答えると、





「あ、じゃあ、うちはけっこうです」と。


「あそこは、応仁の乱のあとにできたお店ですやろ。よそから来はって、京都の方やおへんなあ。そんな新しいお店さんと一緒にされると、うちとしましても……ねえ。ははは」と電話をガチャン。
「あの店」と「うち」を一緒にするな、ということです。


紙媒体の場合は「取材はOKだが、他店の記事も事前チェックさせろ」と要求されることもあります。
とにかく「記事でどこの店と並ぶのか」を気にする。
京都にはこういったお店どうしの「共演NG」が少なからずあるのです。


そういえば先ごろ「八つ橋」の老舗どうしがおよそ300年以上も前の創業年について訴訟問題に発展したことがニュースになりました。
京都には本当にこういうことがあるのです。


■「おたくのサイト、芸能ニュースとか載せてるんですねえ」


やりにくいのは老舗だけではありません。
「ええとこのお嬢さんが始めた雑貨店」なんかも、なかなか手ごわい。
プライド高い高い。


取材の申し込みを快く引き受けてくれたのでほっとしていたものの、約束の日にうかがうと、どうも態度がおかしい。


「取材依頼を受けたあなたのWeb媒体、あとで見返したら、芸能ニュースも扱っているんですねえ。うち、そういうサイトで下衆な記事と並べられると困るんですけど」と取材を請けたくない様子。
Webメディアと聞いて、どうも「ことりっぷ」みたいな感じを想像していたようです。


彼女の豹変ぶりに、こちらも慌てて「確かにコンテンツ一覧では芸能ニュースと並ぶけれども記事自体は独立したものだから」となだめ、なんとか取材を続行。


しかし取材中も、汚いものでも見るように「カメラマンさんいないんですね。ライターが写真も撮るんですか。もしかしてうちのこと、ナメてます?」「へえ、うちの商品をそんなに小さなカメラで撮るんですね」「あ、それ、触らないでもらえます?」「このブランドはなにか、ですか? 説明して、あなたはわかるんですか?」と延々チクチクやられます。





そして原稿チェックをお願いすると、なんとこちらの地の文章はオールカット
お店の説明文と美辞麗句だけが残った、プレスリリースの出来損ないみたいなものに。
さらに「こういうお仕事ってあるんですね。いいですねラクそうで。記事が掲載されて、うちにもなんかメリットがあったらいいですね」と、ネチッとした一文が添えられていました。


あれは「京都のイケズ」を全身に浴びた経験だったなあ。


とはいえ、こういった閉鎖性は決して悪いことではありません。
老舗は、あるいは老舗にならんとしているお店や工房は、そうやって永い年月、ブランドイメージを守り続けてきたのですから。


最近では代替わりをして、若い主人によって取材に快く対応する方針に変更したところも多くなってきました。
とはいえ防御の態勢が緩んだかといえば、さにあらず。
VIPのみが入れて取材には絶対に応じない「表に看板を出さない真の本店」をもったり、「店の奥にもう一軒のお店がある」など構造を複雑にすることで正体を明かさない方法をとったり。
このように取材する側とされる側が双方に「五割ゆずりあう」ことで円滑に進むスタイルが増えてきました。
撮影厳禁が条件の開かずの間に足を踏み入れると、古い町家の外観からは想像すらできなかったお宝満載の真っ赤な骨董BARが現れたときは改めて「京都すげ~(そして、こえ~)」とたじろいだものです。


どんなに笑顔で接しても決して腹の内だけは見せない。
京都人のこの美学を理解するかしないかで、印象が大きく変わります。


反面、何百年と続く老舗にダメもとで取材を申し込んでみたら、拍子抜けするほど心やすく引き受けてくれたこともあります。
おそるおそる「平安時代初期から伝わる包丁の儀式を撮影取材させてほしい」とお願いしたら「了解です~。用意しておきます~」と、いともたやすく。
え! 平安時代の儀式がそんなに簡単に?
悠久の歴史をいだくあまり、平安時代も昭和平成も、感覚的にそんなに変わらないのかもしれません。


他都市に較べていろいろヤヤコシい京都。
でも、筋さえ通せば、どこよりも真摯に対応してもらえるのもまた京都。
今後、京都を取材する方の参考になれば幸いです。


イラスト せろりあん




TEXT/吉村智樹
https://twitter.com/tomokiy


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