明治150年のアニバーサリーイヤーに日本を強く育てた「絹」を知る。シルク博物館へ。

2018/6/4 14:05 朝香沙都子 (satoko asaka) 朝香沙都子 (satoko asaka)

2018年は明治維新(1868年)から150年のアニバーサリーイヤーです♪

 

日本人にとって大変革であった明治維新。鎖国後、多くのアジア諸国のように西洋諸国列強の植民地とならずに独立国家として歩むため、明治政府が行なった政策は、文明開化、富国強兵、そして殖産興業。そしてそれを支えたのは日本の絹「シルク」でした。

 

1859年(安政6年)に横浜港が開港されると、日本のシルクを求めて世界中から船が来航し大量の生糸と蚕種が輸出されるようになります。当時ヨーロッパでは微粒子病といわれる蚕の病気が大流行し、養蚕は壊滅状態であったため、大量の蚕種と生糸が必要とされたのです。生糸は信州上田や岡谷、群馬、栃木の養蚕農家から横浜へ運ばれこれらは鉄道や交通網が整備されることになり、日本の絹の道となっていきます。横浜は絹と深く関わりがある街なのです。

 

横浜港開港100年を記念して建てられたシルクセンター。
 
開港当時には英国商社ジャーディン•マセソン商会の横浜支店があった場所であり、居留地第一号の商館となった英一番館がありました。これが日本進出をした外資系企業の第一号といわれています。建設したのは鹿島建設の創業者である鹿島岩吉。

 

シルクセンターの中に、「シルク博物館」があります。
 
常設展にはシルクにまつわる情報が満載です。
 
まず繊維には天然繊維と化学繊維、植物繊維と動物繊維とあります。
シルクはなんでしょう。
 
天然繊維であり動物繊維です。シルクは蚕がつくる繭から糸を引き出してつくります。
こちらでは蚕も飼育されています。
 
繭にもさまざまな種類があります。
 
そして、着物を1反つくるために必要な蚕の量はどれくらいでしょうか。
蚕や着物にもよりますが、目安としては、3000粒の繭が必要となります。
そして、着物の胴裏、八掛、帯、長襦袢、伊達締め、帯あげなど、一式につかわれるのは9000粒

ネクタイやブラウスと比べると、圧倒的に繭が必要となります。

 

糸にするまでに必要な道具や

 

織機も展示されています。織りの体験もあります。

 

他に、特別展や企画展では、組紐や友禅挿しの体験コーナーがあることも。

 

シルク博物館は貴重な染織品も多く所蔵しており、特別展も開かれます。

「江戸の粋とデザイン展」では、現代の着物の原型である江戸時代の小袖が前期と後期にわけて65領展示されました。

秋には「第25回全国染織作品展」が開催されます。(10月20日〜11月25日)

 

横浜にある有名な観光名所は生糸と深い関わりをもっています。

 

三渓園
三溪園創設者である原三溪は生糸貿易で財を成します。富岡製糸場を所有し経営していたこともあります。そしてそこでつくられた生糸を横浜から輸出していました。約53,000坪に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された建築物があり、豊かな自然と調和しています。生糸が生みだした豊かな富みが現代の私たちに残してくれたものです。

 

氷川丸

1930年(昭和5年)にシアトル航路に建造された貨物船です。ニューヨークへ生糸を運ぶ役割も果たしていました。その名残から現在も生糸の梱包方法が船内で展示されています。

 

現代の多くの日本人にとって着物は特別なものになってしまいましたが、西洋化が進む中で日本を育ててきたのは横浜を玄関口として世界へ飛び立った日本のシルク。明治維新から150年の記念すべき年。ぜひ「シルク」について知ってください。