テレビ業界「怪」紳士録 関西ローカル編

2018/5/14 11:00 吉村智樹 吉村智樹




ぼくはライターをやっておりますが、もうひとつ別の仕事があります。
それは「関西ローカル」と呼ばれるエリアの放送作家です。


ここでは毎回、関西のユニークな方々を取材して紹介しております。


しかし、ふと、思ったのです。
「自分が働いている関西のテレビ業界こそ、ユニークな、というかヤヴァい人材の巣窟なのでは?」と。


そこで今回は番外編。
テレビ業界「怪」紳士録 関西ローカル編と題し、さまざまなサンプルをお届けします。



その1 「自分がやっている番組の内容を知らない人」






東京のテレビ界ではまず起きえない(というか日本の他の都道府県では決して起きえない)信じられないことが、関西ではありえます。



テレビ局には「人事異動」という、責任者を入れ替えるならわしがあります。
これにともない、プロデューサーも時季ごとにチェンジするのです。



プロデューサーの入れ替わりは、新しい風が吹かせるいい作用にはたらくことも、まれにあります。
しかし悲しいかな、そうではない場合も多いのです。



一本の番組をいちから起ち上げたプロデューサーや、初代の意志を引き継ごうと懸命にがんばった二代目プロデューサーは、その番組に対して強い思い入れがあるのです。



ところが三代目、四代目プロデューサーとなると、なかには単に人事異動でたまたま配属されただけという人もおり、番組への愛着は代を重ねるごとに薄まっていきます。



さらには自分が担当する番組でありながら「これまで一度も当該番組を観たことがない」という“逆ツワモノ”も。



そうしてプロデューサー就任初の会議での第一声が、まさかの「これ……なにをする番組ですか?」。



その言葉を受け、会議室に一瞬ひんやりした空気がただよいます。
が、多くのスタッフは「ああ、またこのパターンか」とあきらめの笑みを浮かべ、数秒後にはなにごともなかったように淡々と会議が始まるのです。



その2 「会議の間、ひたすら他人の陰口を言い続ける人」






さまざまなクリエイティブの現場で、関西のテレビ業界ほど、会議でその場にいない人の悪口が飛び交う世界はないでしょう。



会議では、出演するタレント、ゲスト、ロケに協力してくれた一般人まで、プロデューサーじきじきにとにかく敬称略で「あのアホが」「あの役立たずが」と悪口を言われます。
芸人さんがテレビでする毒舌トークを「人の悪口を言っているから面白い」と額面通りに受け取ってしまっている制作者が本当に、しかもけっこうな数、いるのです。



いったいなぜ、関西のテレビ番組は会議が人の悪口まみれになるのか。



先にも書いたように、プロデューサーはみんながみんな自分が好む番組を担当しているわけではありません。
それどころか番組のテーマも、携わるスタッフたちのタイプも、自分の好きな世界とは正反対な場合さえある。
だから関わる人たちをあざける嗤ってマウンティングすることで、なんとか自分のアイデンティティを保とうとしているのでしょう。
高学歴な人が多いので、「本当は東京でやりたいのに関西なんて……」というコンプレックスの裏返しが、そうさせてしまうのかも。



具体的な人の悪口ではなくとも、基本、謎の上から目線です。
YouTuberやインフルエンサー、Instagramの有名人などは、下に見る存在でしかないみたいですね。
そもそもSNSをやっている人(あるいは続けている人)は極めて少なく、「YouTuber? ネットにいる気持ち悪い人たちでしょ?」という認識で停まっているようです。



困るのは、上がそうすると、下のディレクターたちは同調せざるをえず、ウケなければならないこと。
でないとクビになりますから。
こんな地獄のような光景が毎週、会議室で展開されます。



さらに、もっとも困るのは、自分の悪口に相槌を打ってくれるスタッフや作家をよそから引き連れてくるパターン。
バカ殿と茶坊主のヨイショを目の前で見せられるなんて、たまったものじゃありません。
会議は言わば軟禁状態なので、彼らが吐いた二酸化炭素を同じ部屋で吸い込むしかなく、虫唾が走ります。



その3 「異様な枚数のコピー用紙を配る人」






関西のテレビ番組の会議は、ほぼ例外なく「視聴率をあげるための方法」を考えることに費やされます。
関西の視聴率主義は苛烈を極め、そのおかげ(?)か、視聴率獲得のノウハウはかなりの進化発達を遂げました。
「テレビ離れ」といわれている現今にあっても、こと関西ローカルにおいては、まるでどこ吹く風と言わんばかりに視聴率はどの番組もすこぶる好調です。



それゆえ番組は長寿化し、ここ10年ほど、終わる番組はほとんどないし、新たに始まる番組もめったにありません。
何年経っても同じ、生き残ったいつもの顔ぶれが並んでいるというのが現状です。



ただ、視聴率主義が強すぎるあまりに、なかには「それ……無駄じゃね?」としか思えないことをしでかしてしまう人もいます。



ときどき、会議のテーブルに異様な枚数のコピー用紙が配布される番組に出くわします。
配られるものは主に「視聴率分析票」。
平均視聴率とシェア率、1分ごとの折れ線グラフ、放送前後の番組の視聴率、放送エリア別の視聴率、裏番組の視聴率、C(子ども)、F(女性)、M(男性)の世代別視聴率、さらには公式ホームページの閲覧数まで、ありとあらゆるデータがうずたかく積み上げられます。



週刊誌ほどのぶ厚さになったコピー用紙の束。
多種多彩……といえば聞こえはいいですが、放送作家歴30年を数えたいまとなっても、いまいちどう判断するのが正しいのかわかりません。



ぶっちゃけ、紙の無駄。
これだけのコピー枚数を全員に配る予算で、「ゲストひとり呼べたんじゃないか?」と思うくらい。



低視聴率にあえぐ番組のプロデューサーほど、これをやっちゃうんですよね。
そして会議の貴重な2時間あまりを折れ線グラフとのにらめっこに費やし、そして出した結論は「つまり……がんばろう、ということやね」。



なんやそれ!
こんだけ膨大な分析データを配っておいて、分析せんのかい。
しかも毎週毎週、飽きもせず。

時間も資源も本当にもったいない。



ちなみにこのプロデューサー、「次回の会議を何月何日にするか」を決めるためだけに30分かけました
あのう……我々外注は、そんなにヒマじゃないんですが……。



そもそも「コピー用紙を配る」という点だけでも、他の創造業からはるかに遅れをとっています。
だいたいいまはどこのジャンルも、それぞれのパソコンやタブレットで共有するか、スクリーンやモニターに上映しますよね。




しかも、もともとのレジュメがカラーで作成されているのにもかかわらず、わざわざモノクロに劣化コピーして配布するという。
写真なんて、つぶれてますから。
でも「そうするものだ」という習慣のなかで生きているので、アップデートされることはなさそうです。






みっつの例をあげましたが、これらが異様な光景であることは、ライターとの二刀流で他の分野のクリエイターたちと触れ合う機会があったから、わかったこと。
ずっとテレビどっぷりでいたら、感覚がマヒしてしまい、ぼくもきっとおかしいと気がつかなかったはず。



テレビの制作者たちが、テレビの世界にずっといて、テレビの人としか付き合わず、テレビの常識のなかで、それらを疑わずに生きている。

それこそが世間の感覚との乖離につながり、ひいては「テレビ離れ」の元凶になっていると思うのですが。