悠久の時を経て残るもの 東京国立博物館法隆寺宝物館
はじめまして。
365日着物で過ごす着物コラムニスト朝香沙都子です。
どうぞお見知り置きくださいませ。
ご紹介する宝物館からみた風景、まるで異国の地のようですが上野にあります。
東京国立博物館にある法隆寺宝物館です。
奈良国立博物館の秋の正倉院展は大行列をなすことで有名です。
あまり知られていませんが、こちらでは正倉院の宝物より100年前の法隆寺伝来の宝物をみることができます。1878年(明治11年)に法隆寺から皇室へ献上され戦後に国へ移管された300件あまりの宝物を収蔵、展示しています。
さて、人間と動物の最も大きな違いは何でしょう。
それは衣服を纏うことです。身体を保護するため、身分を表すため、自分を表現するため、理由は様々ですが、人は古の昔から自然から繊維を採取し糸をつくり織物をつくっていきました。
世界でも最も古い伝世の染織品で当初の形をとどめているものは、日本の上代裂(古代裂)である法隆寺裂といわれています。法隆寺裂は7世紀後半から8世紀前半のものが大半ですが(その後のものもあり)、法隆寺裂と共に上代裂の双璧とされる正倉院裂は8世紀中期以降のものなので、法隆寺裂は正倉院裂よりも約120年前のものとなります。悠久の昔の100年は同じように捉えがちなのですが、100年という年月は実はとても長いです。
奈良国立博物館の秋の正倉院展は大行列をなす人気ですが、あまり知られていませんが、東京で正倉院の宝物より100年前の法隆寺の宝物をみることができます。東京国立博物館にある法隆寺宝物館です。1878年(明治11年)に法隆寺から皇室へ献上され、戦後に国へ移管された300件あまりの宝物を収蔵、展示しています。
「法隆寺裂」と「正倉院裂」は年代が一部年代が重なっていたことと、皇室から法隆寺裂が献納された時に東京国立博物館はまだなく、法隆寺裂が正倉院に仮置きされることになったため、1882年(明治15年)に東京国立博物館が完成し移送される時に、染織品が納められた唐櫃の一部を正倉院所蔵のものと間違えて運ぶということがあり、法隆寺裂と正倉院裂は混同されてしまいました。しかし2010年から行なわれている献納宝物の修理に伴って行なわれた調査の結果、染織品の技法と文様の違いから両者の判別が可能となり、今もその調査はつづいています。上代裂の双璧といわれる「法隆寺裂」と「正倉院裂」。法隆寺裂は経錦が中心です。
服飾史では、錦織の技法は経錦が先に考案され、後に色数、文様の多様性から緯錦が織られるようになったといわれています。経錦は二本以上の複数の色糸を一組として綜絖を組み、文様の部分を生地の表面に浮かせて織りだします。経糸にする生地の幅には限度があるので色数は限られるのです。
織り、組紐、刺繍といった技法でみていきましょう。
○織り○
「縹地連珠襷花文錦裂 」◇ 奈良時代 8世紀
経糸の浮き沈みで文様を表した経錦です。連珠の襷の中に意匠化された花文があります。
「赤地山菱文錦裂」 ◇ 飛鳥時代 7世紀
経錦に対して緯錦は開口した経糸に緯糸を通すことになるので多くの色数をつかうことが可能となります。
法隆寺裂は経錦が中心ですが、緯糸を浮かせた浮文錦も織られています。
緯糸を浮かせることで文様が織られているのがわかりますでしょうか
○組紐○
「金銅装唐組垂飾」 ◇ 飛鳥時代 7世紀
金銅製の鈴や金具で飾られた帯紐。中央部で縛ると両端に金具と鈴が垂れ下がるようになっています。
有職組紐の道明が「幡垂飾」という組紐をつくっていますが、その元になったものです。
○刺繍○
「繍仏裂」
刺繍につかわれている糸は強い撚りがかかったもので継ぎ針繍の技法という両面刺繍の技法が施されています。
法隆寺裂は正倉院裂よりも約120年前のもの。古代の100年という年月はその頃の生活や寿命を考えるととても長い長い年月なのです。その間に織りの技法が多様性を求めて、さらに発展を遂げたと推察されています。
ひっそりとしたこの空間で、悠久の時の流れを経ても残った染織から、飛鳥時代に想いを馳せてみてはいかがでしょう。
東京国立博物館法隆寺宝物館
「 書跡―国宝 細字法華経と古経典―、染織―金銅装唐組垂飾とさまざまな技法の染織品― 」
2018年4月17日(火) ~ 2018年5月13日(日)