ピップ、ツカサ、原ヘルス…“CMに出る社長”が増えるとバブル再来?ああバブル期の懐かし社長たち!

2018/3/28 10:30 DJGB DJGB

こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。

先日友人から「アパ社長カレー」なるものをプレゼントされました。



さきごろ300万食を達成したというこのカレー。なんでもアパホテル発祥の地、金沢のカレーをベースにした、隠れたヒット商品だそう。

パッケージで微笑むのはアパ社長こと元谷芙美子氏。近頃はインパクト抜群のルックスのみならず、その経営手腕でも注目を集めています。

ライブドアのホリエモン、ジャパネットたかたの高田社長(現在はJリーグ・V・ファーレン長崎の社長)、高須クリニックの高須院長…、いつの時代にも、自ら広告塔の役割を進んで買って出る経営者が一定数存在します。

が、思い起こすとバブル期には、さらに濃いキャラの社長たちが活躍していたような記憶が。あのアクの強い人たちは今、どうしているのでしょうか

今日は、懐かしの「経営者出演CM」をふりかえってみます(肩書はすべて当時)。


■CMでムーンウォークを披露した“バブル社長”も!

●ピップフジモト 横矢勲 会長


ピップエレキバンのCMといえばこのおじいちゃん、横矢会長です。会長は70年代~86年までCMに出演し続け、共演の樹木希林の「このしぶとさが、会社を反映させるワケですね」のセリフは流行語にもなりました。86年に横矢会長が死去したことでこのシリーズCMは終了しますが、ピップはその後も「ダダーン、ボヨヨン、ボヨヨン」(91年、「ダダン」)などのユニークなCMを世に送り出し続けています。


●徳島製粉 田中殖一社長


東海以西の地域ではピップフジモトの横矢会長と並ぶ認知度を誇ったのが「金ちゃんヌードル」でおなじみ徳島製粉の田中社長。氏の味わい深い棒読みセリフと、フィルム撮影による独特の空気感を憶えている方も多いでしょう。

2008年、田中社長は在職のまま101歳で天寿を全うされています。今いくよ・くるよとCMやっていた頃はもう80歳だったのか…。


●永井海苔(ナガイの海苔)永井社長


こちらも東海以西の方におなじみ「ナガイの海苔」永井社長はアニメキャラ化。加えて後期のCMではCMソングまで歌う多才ぶりを発揮しています。

なぜだか社長がロボットに追いかけられるアニメCMの作画は「イデオン」「ザブングル」「ダンバイン」といった名作アニメを手掛けた名アニメーター湖川友謙氏であるとの説も。


●原ヘルス工業 原善三郎(全三郎)社長


文字通りバブル社長の代表格と言えばこの人、「バブルスター」の原社長。86年に発売した超音波温水機器「バブルスター」は当初、千葉真一、財津一郎、松方弘樹、山城新伍、梅宮辰夫ら豪華スターによる派手なCM展開で話題を呼びましたが、次第に原社長自身が目立つように。88年にはマイケル・ジャクソンばりのムーンウォークを披露してお茶の間に衝撃を与えました。

健康によいとの触れ込みで販売されていた「バブルスター」でしたが、実際には科学的な根拠がないことが明らかになり、90年、原ヘルスは薬事法違反で業務停止の憂き目に。原社長も2008年に香港で客死したことが伝えられています。


●ウィークリーマンションツカサ 川又三智彦社長


80年代後半~90年代にかけ、このCMを見ない日は無かった「ツカサのウィークリーマンション」。毎回、絶妙な素人感を醸しだす女性たちと、なぜか必ず猫を抱いている川又社長が印象的でした。ツカサは99年、バブル崩壊後曲がり角にさしかかったウィークリーマンション事業をあのリーマン・ブラザーズに譲渡。残った会社も2009年に経営破綻しています。

耳に残る「ヨンヨンマルマルワンワンワン」の歌声は、「JAROってなんじゃろ」「カ~ルビ~の~ポテトチップス」「フジっこ~のオマーメさん!」といったサウンドロゴを一手に引き受けたCMソング界のレジェンド、藤本房子によるもの。


●セガ・エンタープライゼス 湯川英一専務


バブル崩壊後の98年、なぜだかひとりのおじさんがゲーム機のCMキャラクターに駆り出されます。「湯川専務」こと湯川英一氏が滝沢秀明と共演した一連の自虐CMは大いに話題となりましたが、同時期に発売されたプレイステーション2やNINTENDO64との争いに敗れ、ドリームキャストを最後にセガは家庭用ゲーム機から撤退します。のちに湯川氏は関連会社の社長・会長を務めました。

この人を食ったような広告戦略の仕掛け人は、当時セガの社外取締役としてドリームキャストの広告を任されていた、あの秋元康氏。このとき彼がプロデュースしたアイドルが「チェキッ娘」でした。


■悪目立ちする社長の会社は危ない!?

CM出演こそ無かったものの、80年代~バブル期には、他にもキャラの強い“社長”たちが多く存在しました。

●城南電機 宮路年雄社長(米不足の時に格安で国産米を販売し一躍ヒーローに!)



●杉山グループ 杉山治夫会長(テレビカメラに向かって札束を投げる!)



●投資ジャーナル 中江滋樹社長(倉田まり子引退の引き金に)

●東京マハラジャ 成田勝社長(ディスコの社長が歌手デビュー!)


視聴者も企業もまだ素朴だった80年代、メディアにおいて“社長”という肩書は今より価値がありました。“社長”の側も、お声がかかれば喜んで出てゆく人も少なくなく、(ふりかえればバブルによって)好調だった企業の業績も、積極的なメディア露出を後押ししたことでしょう。テレビ朝日「モーニングショー」の名物コーナー「宮尾すすむのああ日本の社長」は、そんな時代の象徴と言えます。

●モーニングショー 「宮尾すすむのああ日本の社長」



メディアで脚光を浴びた“社長”たちは、彼らが好む好まざるとにかかわらず、メディアによって「社長=金持ち=札束=豪遊」といったステレオタイプに落とし込まれてゆきました。

暴走したイメージはいつしか制御不能なり、結果、本業がおろそかになったり、スキャンダルに巻き込まれたりする“社長”たちも続出。85年には豊田商事会長刺殺事件のような惨劇も発生しています。

バブルから30年。さすがに札束を人前で見せびらかすような無邪気な“社長”たちは見かけなくなりました。が最近、また社長を持ち上げるような番組やCM、増えてきてきたような気がするんですよね。社員のみなさん、気を付けてあげてくださいね!


(バブル時代研究家DJGB)