街の「猫よけペットボトル」を撮影し続ける放送作家の米井敬人(よねいたかひと)さん
▲殺風景な建物も、ペットボトルを置かれることでヴェルサイユ宮殿のようなゴージャス感がうまれる
こんにちは。
関西ローカル番組を手がける放送作家の吉村智樹です。
この連載では、僕が住む関西の耳寄りな情報をお伝えしてゆきます。
今回はその第17回目となります。
■街の「猫よけペットボトル」の写真を撮り集める放送作家がいた
皆さんは、街の片隅に、水が入ったペットボトルが置かれているのを見たことがありませんか?
たとえば、こういうものを。
立てられていたり、並べられていたり、横たわらせていたり。
これらは「猫よけ」のために据えられており、ずいぶん永くこの習慣が続いています。
発祥には諸説紛々ありますが、「60年以上前からハワイでは犬よけのためにペットボトルが置かれた」という文献が日本に伝わり、用途が犬よけ→猫よけとなった模様。
その後「実際には猫よけの効果はない」「それどころか水が入ったペットボトルがレンズと化し、火災の原因になる」と有効性をあやしむ声もあがりはじめました。
しかしながら、いっこうに街からなくなる気配はありません。
それどころか、ディスプレイがどんどん複雑化しているような気が……。
そんな街の「猫よけペットボトル」の写真を撮り集めている人がいます。
それが米井敬人(よねい たかひと)さん(40歳)。
米井さんは『今ちゃんの「実は…」』『なるみ・岡村の過ぎるTV』『特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル』など手掛ける、関西を中心に活動している放送作家。
▲「猫よけペットボトル」の写真を撮り集めている放送作家の米井敬人さん
そんな米井さんのもうひとつの顔が「猫よけペットボトルハンター」。
猫よけペットボトルの撮影をはじめ、10年を超えるというから驚きです。
米井さんの定義によると「猫よけペットボトル」とは「猫が近づかないように路上や電柱の脇などに置くペットボトルのこと」。
垣根の足元や電柱のそばにたたずむ彼らを誰しもが必ず一度は目にしたことがあると思います。
米井さんの捜索範囲は基本的に近畿一円。
街の片隅に突如現れる「猫よけペットボトル」の写真を撮影し、「整列型」「城壁型」「宮殿型」「カラフル型」「リノベーション型」「儀式型」「メッセージ系」「エンタメ系」などなど細かく分類をし、その研究の成果をイベントなどで上映発表しています。
▲まるでエレクトリカルパレードな華やかさ
▲もうすぐ神が降臨する予定
▲夏のニュース番組の風物詩的映像を思わせる
さらに系統立てるだけにとどまらず、アクション映画や刑事ドラマ、格闘技などに見立て、「なぜこんな状況になったのだろう」「このペットボトルはこれからどうなるんだろう」とペットボトルが置かれたドラマのビフォーとアフターに思いを馳せるのです。
▲「確かこんなシーンありましたよね」
▲タカとユージの危機的状況
▲もっとあぶない状況に
▲いよいよ危機一髪!
野良猫を排他するかわりに、景観という大事なものを神に差し出している気がするこの路傍のオブジェたち。
いったいどこに魅力を感じて10年もの月日を費やし観察を続けているのか、ご本人にうかがってみました。
■「猫よけペットボトル」の配置にはパターンがある
――米井さんは膨大な量におよぶ街の「猫よけペットボトル」をお撮りになられていますが、もともと猫はお好きなんですか?
米井
「猫はかわいいなと思うんですが、実は僕、中学生の頃からずっと猫アレルギーでして……。猫がそばにくるとくしゃみが出ます。なので飼ったことはないですし、写真を撮るときも気持ちは猫よりもペットボトルの方へ傾いています」
――では猫アレルギーな米井さんが「猫よけペットボトル」の写真を撮るようになったきっかけは、なんだったのでしょう。
米井
「むかしからVOWとか好きやったんで、『街の変わった看板でも撮ってみようか』という軽い動機で、10年ちょっと前にデジカメを買いました。でも実際にカメラを持ち歩くようになると、はじめの目的だった看板よりも、もっと地面に近い位置にある猫よけペットボトルのほうがむしょうに気になりはじめたんです。『猫よけペットボトルの置き方って、こんなにいろんなバージョンがあるんや』って驚いてしまって。しまいには、街を歩くたびにどんどんどんどんペットボトルが視界に入ってくるようになり、見つけたら撮るという習慣ができてしまいました。そうやって撮るうちに、次第に『いくつかのパターンがあるな』と気づきはじめたんです。それ以降、撮影だけではなく分類をするようになりました」
■同じ「猫よけペットボトル」でも日々変化している
――これまで、どれくらいの量をお撮りになられたんですか?
米井
「ちゃんと数えたことはないんですが、ざっくり1000枚以上は撮っていると思います」
――ペットボトルを撮るために街を歩いたりしますか?
米井
「それは、ほぼほぼないです。僕は仕事で番組のロケハン(ロケーションの下調べ)をよくするので、そのときにペットボトルのことも気にしながら歩くという感じです。ダブルミッションというか(笑)。ペットボトルを撮るためのローラー作戦的なことはしない。狙って行かず、偶然に出会うのが面白いなって思うんです。わざわざペットボトル撮影のために事前に計画を立てたりしないので、同じ場所を何度も歩いてしまうこともあります。同じ道を行き来するため無駄足も多いし撮る範囲も拡がらないですが、反面、同じペットボトルでも様子が日々変化していることに気づく場合もあるんです」
――変化とは?
米井
「猫よけペットボトルって一回撮ったらけっこうその場所と様子を憶えているものなんですよ。再び同じ道を通ると、ペットボトルが増えていたり、減っていたり、きれいさっぱりなくなっていたり。新しいものと取り換えられていたり、配置が変わっていたり。そういう変化に気がつきはじめると、だんだん親戚の子の成長を見るような感情をいだいてくるんです。ペットボトルが人間のように思えて、『いろんなところに知り合いがいる』、そんな感覚になってきますね」
――ペットボトルに感情移入してくるんですね。猫よけペットボトルが出現する街の傾向ってありますか?
米井
「地元の人しか通らないような生活感が溢れる路地裏や私有地に多いですね。“油断してる街”というか。住民もその光景を見慣れてしまって、なんとも考えなくなっているんやないかな。普通は誰かが苦情を言ったり、『おかしいんじゃないか』と訴えたりするんでしょうけれど、どんどん数が増えても誰も突っ込まない環境があるのではないかと思うんです」
――関西だと、どのあたりが多いのでしょうか。
米井
「よく歩くこともあって、大阪市が多いように感じます。一方、神戸にはあんまりなかったですし、兵庫県の宝塚なんてぜんぜんなかったです。でもなぜか西宮ではたくさん見つけています。あくまで僕の感想ですが、大阪市に近いほど猫よけペットボトルがたくさんあるし、離れるほどなくなる。10年近く歩いてみて、そんな気がしました」
▲西宮で見つけたというペットボトルだらけの神社
▲猫だけではすまない鬼気迫る結界パワーを感じる
――大阪市が多いのは、なぜなんでしょう。
米井
「大阪市は路地が多いからとちゃいますかね。あと、ご近所づきあいが密接やからかなとも思うんです。大げさではなく本当に各お宅が置いているエリアもある。『あそこの家がやってるんやったら、うちもせな』って伝播していくのでは」
■「猫よけペットボトル」という名のアート
――単純に野良猫が多い街にはペットボトルが多い、というわけではないのですか?
米井
「野良猫の数とペットボトルの数って実際にどこまで比例しているのか、わからないですね。ペットボトルのそばに猫がいることはほとんどないです。ペットボトルは猫なんて関係なく存在するんじゃないかと思うくらい。まれに猫がペットボトルの隣で眠っていたり、ひゅっ! とまたいでいった姿を見たこともあるけれど、それはレアケース。これまで撮った写真に猫が一緒に映っているものは1枚もないです。そういう点で、やっぱり猫よけの効果があるのか、それとも猫よけはもうペットボトルを置く理由でも目的でもないのか」
――確かに米井さんがお撮りになられたペットボトル写真の数々を見ていると、本来の猫よけの目的から逸脱し、アートに昇華していると思わしきものがたくさんありますよね。モニュメントとして鑑賞の対象になっているように思えます。
米井
「そうなんです。以前、ペットボトルをすごくきれいに並べてはるお宅があって、それを撮影したことがあったんです。するとおうちの方から『なに写真撮ってんの?』と声をかけられて。僕が『ペットボトルが気になって』と答えると、誇らしげに、いかに自分がディスプレイに凝っているかを説明してくれたんです。もう猫よけという目的はとうになくなっていて、『たくさん並べる』『きれいに並べる』『びしーーっと並べる』という行為そのものに満足感をおぼえていらっしゃるんだろうなという印象を受けました」
――ペットボトルを並べているうちに潜在していた美術家としての才能が芽生えている?
米井
「一種の現代美術ですよね。ボトルのなかに水中花が挿してあって、『こんなパターンもあるんか』と驚いたこともあります。通行人から見られることを意識しているのでしょう。でも、花はきれいやけれど猫よけと関係ないですもんね。ほかには、不透明な洗剤のボトルなど、ペットボトル以外のものが並べられている場合もあるんです。透明のペットボトルに水を入れると太陽光が乱反射するから猫よけの効果があると言われているのに、その機能すらない。もう『ボトルの色がきれいや』という理由だけで並んでいる状態。ああいうのを観ると、『これはちゃんと作者がいるアート作品なんやな』と思います」
▲確かに動物たちが草原を駆け抜けているように見える
▲確かに向かって左側のペットボトルだけがいじめに遭っているように見える
▲ペットボトルが一本立っているだけなのに、確かに義経の盾となって全身に矢を浴びているように見える
▲確かに「100人乗っても大丈夫」そうに見える
▲確かに「超大型巨人」がウオールを破壊しているように見える
――米井さんは10年以上、猫よけペットボトルの撮影をされていますが、そ こまで続ける魅力はなんなのでしょう。
米井
「ひとつとして同じものがないところですね。『人の数だけ猫よけペットボトルがある』というか。派手に並んでいる場合もあれば、目を凝らしながら植え込みや植木鉢とかを観るとまぎれている奥ゆかしいものもある。人間性が現れているんです。猫よけペットボトル撮影のおもしろさは、そういう『出会い』ですよね。だから歩くのが楽しい。初めての道を歩くときはわくわくドキドキします。道を歩くだけでドキドキできるなんて、こんないいことはないなと思うんです」
米井さんがおっしゃるように、ペットボトルが街に置かれる理由は、光を乱反射させることにありました。
そしてどうやらペットボトルが乱反射させたのは、市井の人々に内在する芸術の才能だったようです。
ストリートは美術館。
皆さんも街を歩くときは、猫よけペットボトルという名のアートを鑑賞してみてはいかがでしょう。
(吉村智樹)
https://twitter.com/tomokiy