ナンノから宮沢りえ、観月ありさへ…1989年2月28日は富士通「FM TOWNS」発表の日
バブル時代研究家DJGBです。
29年前の今日2月28日、富士通から世界初のCD-ROMドライブ搭載パソコン「FM TOWNS」が発表されました。
手前味噌で恐縮ですが、1989年の今日、世界初となるCD-ROMドライブを標準搭載した32ビットパソコン「FM TOWNS」を発表しました。発表後には「電脳遊園地」というパソコンのイベントを異例とも言える東京ドームを借りきって開催し、3日間で18万人の方に来場いただきました。 pic.twitter.com/ZrGqljW1az
— 富士通(株)FUJITSU Japan (@FujitsuOfficial) 2017年2月27日
ちょうど時代は昭和から平成へと移り変わったばかり。この4日前には昭和天皇の「大喪の礼」が終了し、世間を覆っていた“自粛”ムードもようやく薄れつつあったころでした。
今日は、バブル景気まっただ中に発売された名作パソコンと、その時代をふりかえります。
■「ハイパーメディア・パソコン」は33万8000円!
「FM TOWNS」は、当時主流だったNECのPC-9800シリーズに対抗しうる高性能機種として、富士通が満を持して投入した「ハイパーメディア・パソコン」。最大のウリは強化されたAV(オーディオビジュアル)機能と、パソコンとしては世界初のCD-ROMドライブでした。
FM TOWNS。中学生の時、これが欲しくて欲しくて堪らなかったんだけど当時の僕には当然買うことができず…。その後、高専に進学が決まった友達が親に買ってもらったのを弄らせてもらったんだよな~。今調べたら当時34万からだったのね。その後僕が自力で買ったパソコンより安くて意外だった???? pic.twitter.com/ksysSpZfnr
— sakamobi (@sakamobi) 2017年9月3日
価格は33万8000円。キーボードやディスプレイは別売りで、一式揃えれば軽く40万円超えです。大卒初任給が16万900円(89年、厚生労働省統計)の時代。ゲームや学習用ソフトも多く用意されましたが、とても少年たちのお年玉で購入できる代物ではありませんでした。
■東京ドーム借り切ったのにナンノが来ない!
富士通のメンツをかけた新製品のCMに起用されたのは、ナンノこと南野陽子。ナンノは当時ブロマイド売上1位(マルベル堂調べ)を誇るトップアイドルで、それ以前から富士通の個人向けパソコンのCMに出演しており、自然な流れでした。
●「パソコンが変わる、FM TOWNSが変える」(89年)
公式Twitterで言及しているように、「FM TWONS」発売にあたり富士通は、前年にオープンしたばかりの東京ドームを3日間借り切り、入場料無料でイベント「電脳遊園地」を開催。周辺機器メーカーやソフトハウスを総動員し、「FM TOWNS」の魅力をアピールします。
当時の貴重な模様がこちら。このビデオの制作が日本ソフトバンク(現・ソフトバンク)であることもまた味わい深いです。
●「FM-TOWNSの世界」(89年)
3日間で18万人を動員したこのイベントには「FM TOWNS」の展示だけでなく、山田邦子、所ジョージ、BaBe、酒井法子といった多くの芸能人のステージも予定されていました。が、ここで事件が起こります。
胸が熱くなります。
— 富士通(株)FUJITSU Japan (@FujitsuOfficial) 2017年2月28日
CD-ROM回ったまま出て来るのかよ!
音楽CD聴けないのかよ!
キーボード別売りかよ!
ナンノ来ないのかよ!
とにかく高けーよ!
などなど・・・
手元に置かれてる方、現役で活用されてる方。
良い思い出も、悪い思い出も。
本当にありがとうございます (T_T)
目玉だった「FM TOWNS」CMキャラクターのナンノ本人が、直前になってイベントをドタキャン。伝説のナンノドタキャン事件です。
あとからわかることですが、当時のナンノは所属事務所との関係悪化により、こうした仕事上のトラブルが頻発していました。このドタキャン騒動の3か月後に発売されたシングルが、ナンノ自ら作詞した「トラブル・メーカー」。意味深です。
【本店2Fサングラスジャケ新入荷】南野陽子自身が作詞を手掛けた'89年のシングル『トラブル・メーカー』。TVアニメ『青いブリンク』の主題歌としてカップリングされた『瞳のなかの未来』と両A面扱いでリリースされました。 pic.twitter.com/HZG3FATPWb
— サウンドパック本店(中古レコード・CD) (@soundpak) 2018年1月22日
が、新製品のお披露目に泥を塗られた富士通としてはナンノとの契約を続けるわけにはいきません。ひとまず代打、カケフくん。
同じくバブリーな1989年の富士通パソコンFM-TOWNSの広告
— 骨まで大洋ファンby革洋同 (@FanTaiyo) 2017年11月26日
カケフくんだ。 pic.twitter.com/DzrNW4HSPD
■B’zの出世作にもなった「FM TOWNS」CMソング
ナンノにはドタキャンされましたが、強力な広告展開も後押しした「FM TOWNS」は発売1か月で累計1万2000台を出荷する順調な滑り出しを見せ、富士通は初年度の販売目標を10万台とブチあげます。
秋になるころ、富士通はようやく次のイメージキャラクターを見出します。スーパーアイドル、宮沢りえです。
Japanese advert for the awesome PC......
— Nostalgia Troy (@The_Real_TroyS) 2018年2月14日
FM TOWNS #vintagecomputing #retrocomputing pic.twitter.com/2WAOI3cy8M
●「君に、ドリームラッシュ」(89年)
宮沢りえのデビュー曲を想起させる「君に、ドリームラッシュ」というキャッチコピーにも関わらず、CMソングに使われているのはなぜかB’zの「BAD COMMUNICATION」。
のちにB’zの松本孝弘が明かしたところによれば、この曲が「FM TOWNS」のCMソングに採用されたのは偶然でした。「BAD COMMUNICATION」レコーディングのさい、たまたま隣のスタジオで行われていた「FM TOWNS」CMソング=宮沢りえの「ドリームラッシュ」の制作がうまくいっておらず、近くにいた松本(「ドリームラッシュ」ではギターを担当)に声がかかり、自分たちの曲を提出したところ、CMへの採用が決定したそう。
バブル時代ならではの、おおらかなエピソードです。
何はともあれ、翌90年の「電脳遊園地」では、宮沢りえが主役に。「FM TOWNS」も目標から1年遅れたものの、年末までに累計10万台の受注を達成しています。
今日、木木屋さんと話していて思い出した電脳遊園地の件。 pic.twitter.com/yqZXjmyne5
— 他故壁氏@文房具ユーザー (@takokabeuji) 2015年7月8日
■観月ありさへの交代の背景にはあの写真集が?
91年のクリスマス商戦に向けて「FM TOWNS II」が発売されると、CMキャラクターは観月ありさへとバトンタッチ。いわゆる“3M”のうち2人を起用したところに、富士通の意気込みを感じます。以降観月は93年まで「FM TOWNS」のCMキャラクターを務めました。
●FM TOWNS II 新登場(91年)
同時期に公開された彼女の主演映画「超少女REIKO」(91年11月公開)にも「FM TOWNS(IIではなく初代ですが)」が登場しており、そのプロモーション戦略も最初からマルチメディアだったことがうかがえます。
一説には宮沢の『サンタフェ』発売(91年11月13日)が、観月への交代のきっかけとなったとも言われます。が、真相は定かではありません。
■パソコン普及のカギは、アイドルより“おじさん”だった。
富士通は89年から3年間、東京ドームの貸し切りイベントを継続していましたが、バブル崩壊を受け92年からは規模を縮小し、お隣のプリズムホールでの開催に。
93年にはパソコンのゲームやCD-ROMがテレビでも楽しめることをウリにした「FM TOWNS マーティー」が登場。3年で100万台という販売目標を掲げたものの、なにせ税込み10万円以上という高価格がネックとなり、出荷は4万5000台にとどまります。
●FM TOWNS マーティ(93年)
時を同じくして、パソコンにはWindowsに象徴される国際標準化の波が訪れます。富士通も93年、国際規格に対応した新シリーズ「FMV」を投入。これを境に、「FM TOWNS」は富士通のラインナップからフェイドアウトしてゆき、CMに女性アイドルが起用されることもなくなりました。
バザールでござーるも流行っていたが、自分はタッチおじさん派でした(笑)#タッチおじさん#富士通 pic.twitter.com/Vq7PAztMoU
— 星ときどき牛 (@baystars7braves) 2018年2月3日
代わりに登場したのは「タッチおじさん」。ライバルのNECが「バザールでござーる」で人気を集めたことへの対策として編み出された自社キャラでした。これならドタキャンしたり、突然ヌード写真集を発売したりすることもありません。
Windows 95の登場とともに、新たに富士通のパソコンCMに起用されたのは、国民的俳優の高倉健です。
●「FMV DESKPOWER C」(95年)
不器用な健さんが、慣れない手つきで「簡単じゃねえか。。。」とパソコンをいじる姿は、日本におけるパソコンとインターネットの普及に大きな役割を果たしました。ことパソコンについて言えば、宮沢りえより観月ありさより、おじさんたちのほうが影響力を持っていたようです。
「FM TOWNS」発売から間もなく30年。パソコンメーカーの再編が進む中、富士通も昨年、パソコン事業を中国レノボグループに売却し、新たな時代を歩んでいます。
ふりかえれば、子供に40万円ちかいパソコンを買い与えられたのは、相当裕福なご家庭だけだったことでしょう。バブル崩壊を境に宣伝費が削減されると販売が落ち込み、シェアが伸びないため、魅力的なソフトの開発が滞ります。事実「FM TOWNS」後期の93年以降は、開発中とされながら、結局発売されなかったソフトが多数ありました。代わりに市場を席巻したのは国際標準だった、という構図は、のちのガラケーvsスマホの戦いにも通じるものがあります。
富士通さん、いやレノボさん、来年の「FM TOWNS」発売30年記念日には今度こそナンノを東京ドームに召喚しませんか!平日なら100万円もかからないハズ。その日のために、いまから幻の「R-TYPE」の開発を再開しておいてください!
あ、ナンノがダメでもハイパーメディアフリーターこと黒田勇樹ならOKかも!
(バブル時代研究家DJGB)