【今日はバレンタインデー】『高級チョコ』『義理チョコ廃止』論はいつから?

2018/2/14 08:00 DJGB DJGB

「トラック○台分のチョコが届いた」というエピソードに憧れるみなさんこんばんは、バブル時代研究家DJGBです。

今日2月14日は特別スペシャルデー、1年1度のチャンスことバレンタインデー

先日、ゴディバが日経新聞に掲載した「日本は、義理チョコをやめよう」の広告が話題となりました。


バレンタインデーは「社内の人間関係を調整する日ではない。」

ごもっとも、ごもっとも。

日本でのバレンタイン商戦の発祥が「お菓子屋さんのキャンペーン」であることはよく知られていますが、特に“義理チョコ”に象徴される職場でのチョコレート交換の風習は独特で、外国の方から見るといささか奇異にも映るようです。

こうした職場での風習は60年代ごろにはすでに存在していたようなのですが、一般的に“義理チョコ”という言葉が浸透したのは80年代から。そこで今日は、80年代~バブル時代にかけてのバレンタイン事情をふりかえってみましょう。


■流通の発達が、バレンタインを変えた。

諸説ありますが、日本のバレンタイン商戦の端緒は今からおよそ85年前、神戸のチョコレートショップ モロゾフが出した広告だと言われます。

時を経て、いつしか日本におけるバレンタインデーは「女性が男性にチョコレートをプレゼントし、愛を告白するイベント」として定着。80年代には、すでにスーパーや百貨店のチョコレート売り場が女性でにぎわうようになっていました。

当時の貴重なCMがこちら。

●ダイエー「龍一さんのバレンタイン」(84年)


愛をグラム数で量ろうとする教授。

大手スーパーのダイエーは、バレンタイン商戦になぜだか坂本龍一を起用した前衛的なCMで女性購買層の胸キュンを狙います。確かに、前年には映画「戦場のメリークリスマス」の音楽を手掛け、また出演も果たし話題性十分ではあったのですが。。。


●「セブンイレブンのバレンタイン」(84年)


80年代中ごろから、バレンタイン商戦で急速に存在感を増すのがコンビニエンスストア

このころ、いわゆる「団塊ジュニア世代(71-74年生まれ)」は中学生。子供向けのお菓子からは卒業するいっぽう、恋愛にも興味を持ち始める年ごろです。この世代にとって、お小遣いの範囲で様々なチョコレートを選ぶことのできるコンビニは、格好の品定めの場でした。

国生さゆりwithおニャン子クラブによる「バレンタイン・キッス」の発売はこの翌年、86年2月1日の出来事です。


●「ローソンのバレンタイン」(89年)



バブル期、大量の“義理チョコ”を確保する必要に迫られた若い女性たちを救ったのは、急速に拡大するコンビニでした。88年、国内コンビニ主要8社の店舗数は初めて1万店の大台を突破(1万1617店)。翌89年には一気に5000店舗近く増え、1万6466店へと拡大します(出典:一般社団法人 日本フランチャイズチェーン協会)。

この年、ローソンのバレンタインCMに起用されたのは、おニャン子クラブ出身の生稲晃子。が、このCMはどちらかと言えば「こんな部下からチョコをもらいたい!」というオジサマたちの目線から描かれているようにも。バブル期、生稲晃子が“理想のOL”だった時代が、確かにありました。

“職場の華”とされていたOLが上司や同僚にチョコを贈り分ける文化は、このころには完全に定着していたようです。


■異業種も続々参入!「サン・ジョルディの日」とは?

団塊ジュニア世代をターゲットに過熱するいっぽうのバレンタイン商戦。

異業種も、このビジネスチャンスを黙って見ているだけではありませんでした。


●大阪ガス「バレンタイン大作戦」(87年)


そもそもなぜバレンタインの贈り物が「チョコレート」でなければいけないのか

誰もが抱くそんな疑問に、大阪ガスは真正面から挑みます。

バレンタインには(ガスレンジで焼く)あなただけのオリジナルケーキを。

デビュー2年目の清純派アイドル島田奈美を起用したその挑戦は評価したいところですが、なかなかこの1日のためにガスレンジ導入しない…かな。


●「サン・ジョルディの日」(4月23日)(86年~)


バレンタイン商戦が、よほどうらやましかったのでしょうか。

86年、日本書店商業組合連合会などがスペイン・カタルーニャ地方の風習にヒントを得て、「毎年4月23日には、大切な人に薔薇と本を贈ろう」という「サン・ジョルディの日」を制定します。

そのキャンペーンは、ホリプロスカウトキャラバン出身のアイドル宮里久美に「ふたりのサン・ジョルディ」というシングルまで発売させるほどの入念なものでした。その後も「サン・ジョルディの日に抱きしめて」(93年・西村知美)などのキャンペーンソングが発売されました…が、インターネットや電子書籍の普及とともに、いつしかキャンペーンは下火に。“義理本”“義理バラ”という言葉も聞きませんしね…。


■チョコレートの高級化路線をけん引したロッテ

日本チョコレート・ココア協会の統計によれば、80年に約270億円だったバレンタインデーの国内消費額は、90年には約450億円へと拡大。バレンタインデーの普及により、チョコレートの消費そのものが拡大しました。高いモノから売れていく「シーマ現象」という言葉が新語・流行語大賞(銅賞)にも輝いた88年、チョコレートにも高級化の波が訪れます。


●ロッテ「V.I.Pチョコレート」(88年)


定番のガーナミルクチョコレートが100円(50g)の時代にあって、「V.I.Pチョコレート」の定価はなんと倍の200円。「チョコレートも、ハイテク半生時代」という(意味不明の)キャッチフレーズとともに大きな注目を集めました…が。

おりしもメディアでは連日、昭和天皇の病状に関するニュースが伝えられ、世間には“自粛”ムードが漂っていたころ。CM中の「その日が来ました」というセリフが、天皇崩御の日、いわゆる「Xデー」を連想させるとの配慮から、すぐに新しいバージョンへと差し替えられたという逸話が残ります。


●ロッテ「ティラミスチョコレート」(91年)


続いて投入されたのは、イタメシブームに端を発したその名も「ティラミスチョコレート」。女優・鰐淵晴子の娘で声楽家・タレントとしても活躍した鰐淵理沙は、このCMで華々しいデビューを飾りました。

ロッテの攻勢に対し、ライバル、明治製菓も負けじと応戦。


●明治「ティラミスチョコレート」(91年)


CMに起用されたのはこの年映画「就職戦線異状なし」、ドラマ「東京ラブストーリー」で大ブレイクした織田裕二。もうここまでくると、マスカルポーネチーズが入っているかどうか、なんてどうでもいいような気がしますけどね。


■「義理チョコ廃止論」は、90年代から

消費者の変化に敏感なのは、いつの時代もメーカーではなく流通の側です。

80年代、バレンタインデーが一大イベントに成長・定着した背景には、団塊ジュニア世代の成長と、その消費を支えたコンビニに代表される流通企業の努力がありました。

バレンタイン商戦の過熱とともに“義理チョコ”の慣習は定着。さらにいつしか1か月後のホワイトデーも定着しました。

こうした流れを受け、共栄火災海上保険では93年から、義理チョコの代わりに1口500円を寄付する「“義理チョコ、あげたつもり・もらったつもり”バレンタイン・チャリティ募金」が行われています。有志の女性社員の発案で始まったというこの募金、あくまでも強制ではなく社員の自主的な取り組みだそうですが、昨年までに約3600万円を西アフリカの水田づくり費用などに寄付しているそう。



[出典:共栄火災海上保険株式会社]


ゴディバの「義理チョコ廃止」の提案は、確かに「チョコレートを作るメーカー側がメッセージを発信した」という意味では画期的です。が、いっぽうの日本の消費者は、80年代のバレンタインバブルを経て、すで93年の時点でバレンタイン商戦とうまく付き合う術を見出していた、とも言えるのではないでしょうか。

贈りたい人は心を込めて贈るし、もらった人は、それはそれでうれしい。それでいい。

私も今日は心の中で、ゴディバ社長のバレンタインデーは「社内の人間関係を調整する日ではない。」というメッセージを何度も繰り返し、抑えきれないこの気持ちをやり過ごそうと思います!


(バブル時代研究家DJGB)