とんねるずから平野ノラへ…荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」リバイバルヒットの陰にお笑いとのコラボ史あり!

2018/1/17 11:00 DJGB DJGB

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こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。

昨年のバブル界最大のニュースと言えば、オギノメちゃんこと荻野目洋子による「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」のリバイバルヒット。今年1月15日付のオリコン週間カラオケランキングでも初の1位を獲得するなど、今年に入ってもその勢いは止まりません。


ところでよく指摘される通り、「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」の発売はバブル前夜の85年11月21日。経済統計上の「バブル景気」は86年12月~91年2月までの4年3か月なので、発売日的には「バブル時代の曲」とは言えません。

では、この曲にバブルを感じるのはなぜでしょう。そしてなぜこの曲が今、高校生たちにもウケているのでしょうか

今日は当時まだ生まれてもいない大阪府立登美丘高校ダンス部のみなさんにもわかるようにバブル期の荻野目洋子の活躍を動画でふりかえりながら、その秘密を探っていきましょう。


■確かな歌唱力で日本語ユーロビートブームを先取り



荻野目洋子にとって「ダンシング・ヒーロー」は7枚目のシングル。それまでヒット曲に恵まれなかった彼女がアイドルポップス路線と決別し、持ち前の歌唱力を武器に勝負を挑んだ1曲でした。

発売直後の12月に「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」コーナーで初披露すると、翌86年には自身初のベスト10入り、2月6日には最高位となる2位をマークします。

バブル景気がスタートした年末12月には、念願のNHK紅白歌合戦に初出場。紅組トップバッターを務めます。

●NHK紅白歌合戦(86年)



この直後に登場した白組トップバッター少年隊の「仮面舞踏会」を、司会の加山雄三が自信満々に「仮面ライダー!」と曲紹介したのは記憶に新しいところ。

翌87年も「六本木純情派」で紅白に出場したオギノメちゃん。88年は出場を逃すものの、89年には「ユア・マイ・ライフ」で返り咲きます。


■CMにも引っ張りだこ、そして朝ドラ女優へ

清楚な笑顔に加え、他のアイドルとは一線を画す確かな歌唱力をもった彼女は、バブル期、オジサン受けも抜群でした。企業のCMにも引っ張りだこの存在に。ここではその一部をご紹介。

●森永「チョコフレーク」(86年)



●サークルK(87年)



●サッポロ一番「カップスター」(87年)



●共同石油 「共石シエットGP-1」 (89年)



ちなみにオギノメちゃんが起用される直前の「共石シエットGP-1」CMキャラクターは、あのベン・ジョンソンです。

歌にドラマにCMに活躍を続けた彼女は、とうとう90年、NHK朝の連ドラヒロインに起用されます(主演は田中実)。

●NHK連続テレビ小説「凛凛と」(90年)



活動のフィールドをドラマやライブに移したことや、姉・荻野目慶子のスキャンダルなどの影響もあってか、91年は紅白出場を逃したものの、92年には覆面歌手「YO-CO」名義リリースしたダイドーのCMソング「コーヒー・ルンバ」がスマッシュヒット。オールディーズのカヴァーという新境地を開拓し、同年2度目の返り咲きとなる通算5度目の紅白出場を果たしています。

こうしてみると、バブル期の彼女は確かに忙しく仕事をしていますが、いずれも正統派アイドル/アーティストのお仕事ばかり。プライベートでの浮いた噂もほとんどなく、だからこそCMの仕事がこれだけ殺到しています。

ソバージュでもなく、トサカ頭でもない。ジュリ扇は世代が違う。たとえばW浅野のようなイケイケ感もない。現在彼女が“元祖バブル世代アーティスト”的に紹介されていることには、少々違和感があります。


■体を張ったコントが、リバイバルヒットを生んだ

そんな彼女と「ダンシング・ヒーロー」が、なぜバブル時代の記憶と重なるのか。その理由は、当時テレビを席巻していたとんねるずとのコラボにありました。

●貧乏家の人々(「とんねるずのみなさんのおかげです」89年~)



「ダンシング・ヒーロー」のヒットから3年後の89年、オギノメちゃんはスリッパで頭をはたかれることも厭わずコント「貧乏家の人々」に挑戦。当時彼女はバブリーファッションではなく、貧乏な服装で「ダンシング・ヒーロー」を踊っていました

とんねるずは、誰もが耳なじみのあるヒット曲のイントロをギャグにすることでオギノメちゃんの新たな魅力を引き出すとともに、「ダンシング・ヒーロー」に新しい命を吹き込みます。

が、彼女のすごいところは、このコントを黒歴史にせず、むしろ公式に取り込んでしまったところ。

●ダンシング・ヒーロー(Eat You Up) MV [New Dance Ver.](2014年)



2014年のデビュー30周年にあたり、彼女はとんねるずの了承を取り付けたうえで“貧乏家”バージョンのニューダンスPVを公開。そう、この振付はオリジナルのものではないのです。このビデオのバブリーな演出が、のちの平野ノラのパロディや登美丘高校のダンス動画、そして昨年の「めちゃイケ」へとつながりました。


■『「ダンシング・ヒーロー」は、もはやみんなのもの』

30年前のとんねるず、平野ノラや「めちゃイケ」…「ダンシング・ヒーロー」リバイバルの陰には、節目節目にお笑いとのコラボがありました。実は「オギノメちゃん」という愛称の生みの親も、あの片岡鶴太郎だそう。



自身の世界観を大切にするあまり、パロディを嫌うアーティストも少なくないですが、オギノメちゃんは「ダンシング・ヒーロー」はみんなのものと公言。平野ノラのネタや高校生たちのビデオを楽しむだけでなく、選曲にも感謝すらしています。



そういえば「コーヒー・ルンバ」のあとの「ウゴウゴ・ルーガ」とのコラボ(荻野目洋子 with ウゴウゴ・ルーガ「夢見るPLANET」)も意外性十分でした。

「ダンシング・ヒーロー」がリバイバルヒットを果たした最大の理由は、人々が笑顔になるのであればお笑い芸人とも高校生ともコラボを厭わず、“バブル世代の代表”としての役割も積極的に受け入れる、荻野目洋子というアーティストの自然体な姿勢にあるのではないでしょうか。

そんな彼女は、現在も主婦として自然体で仕事に向き合っているようです。


バブル世代に限らず、彼女の柔軟さに学ぶことは多いかも、ですね。


(バブル時代研究家DJGB)