【これはいい90s感】25周年「日清ラ王」復刻でふりかえるカップ麺バトル

2018/1/3 11:00 DJGB DJGB


あけましておめでとうございます。バブル時代研究家DJGBです。

日清食品が1月8日から「日清ラ王 復刻版」を全国で発売します。



初代「日清ラ王」の発売は92年9月。最大の特徴は、油揚げ麺とは異なる、レトルトパウチされた「生タイプ麺」。その本格的な食感が支持され93年には1億5360万個を売上げる大ヒット商品に。

今日も今日とて、私の脳裏に浮かんだのはこのCM。ゾノ、結婚おめでとう

●「日清ラ王」(96年)


思えば90年代は、おなかを空かせた団塊ジュニア世代をターゲットに、カップ麺の大型化と本格化が進んだ時代でした。

今日は90年代の「日清ラ王」と、そのライバルたちをふりかえります。



■バブル期、カップ麺は「間食」から「主食」へ

「ラ王」誕生前夜の88年7月、エースコックが麺の量を従来の60gから90gに増量した大盛りカップ「スーパーカップ」を投入します。事前の消費者アンケートでは、バケツのような大型カップは不評でしたが、当時のマーケティング部長の鶴の一声で製品化が決定。CMキャラクターは(たぶん)購買層である主婦層へのアピールを意識した風間杜夫でした。

●エースコック「スーパーカップ」(89年)



年間50万食売れればヒットと言われる中、「スーパーカップ」は4か月で80万食を販売する大ヒットを記録。「日清カップヌードル」の登場以来、主に間食用だったカップ麺は、大容量化によって団塊ジュニア世代の「主食」の座を獲得します。



■「生タイプ麺」先駆者はあの20世紀最後のアイドル

●明星「夜食亭」(92年)


(社)日本即席食品工業協会のデータによれば、「スーパーカップ」のヒットが貢献し、89年、カップ麺の生産量は24億500万食を記録、袋めんの22億2500万食を超え、即席めん合計でも過去最高の46億3000万食を記録します。

91年、明星は中華麺として初の「生タイプ麺」を使った「夜食亭」をリリースし、カップ麺市場に新たな地平を切り開きます。

CMに起用されたのは当時バリバリのアイドルだった高橋由美子。彼女が「チョコラBB」のCMで肌荒れ休暇を申請するのは97年のことなので、当時からぶっちゃけキャラが垣間見えていたんですね。



■「ラ王」、そのネーミングの由来は?

●「日清ラ王」(93年)


そして92年、いよいよ「日清ラ王」の登場です。CMに起用されたのは“浪速のロッキー”こと赤井英和と、バブル期のさえない若者の役をやらせたら右に出るものはいない俳優金山一彦でした。

「日清ラ王」のヒットの要因は、それまでのカップ麺ではあり得なかったツルツルシコシコの歯ごたえが、お湯を注いで1分で楽しめるという点にありました。再び(社)日本即席食品工業協会のウェブサイトから引用。

(前略)生タイプ即席めんは、酸で処理して滅菌するため、アルカリ性のかんすいを利用するラーメンタイプでは当初問題があり、各社とも中華ラーメンの製造に苦労をします。 ようやく、平成4年(1992年)に日清食品が発売した「日清ラ王」が技術的にこの問題を克服し、一挙に需要を拡大させました。(後略)

確かにほぐす前の「ラ王」の「生タイプ麺」には、ほのかな酸っぱさがあったことを覚えています。

ところで「ラ王」というネーミング。公式には「ラーメンの王様」を略したもの、とされていますが、本当のところはどうでしょう。劇画『北斗の拳』のラオウから着想を得たという説もありますが、DJGBとしてはこちらがルーツである説に一票。

●パナソニック「画王」(90年)




■清原、バークレー、エドワード・ファーロング…これはいい90年代感

カップ麺市場の成長と「日清ラ王」のヒットに刺激された競合各社も、矢継ぎ早に新製品を投入します。

●マルちゃん「ホットヌードル」(92年)



王者「カップヌードル」に正面から戦いを挑んだのが、マルちゃん(東洋水産)「ホットヌードル」でした。映画「ターミネーター2」で世界的な人気者となった俳優エドワード・ファーロング詰襟を着用させるという、バブル末期ならではのパワープレイです。

前年の全日本国民的美少女コンテストでグランプリを獲得した今村雅美は、このあと「ポッキー四姉妹」の末っ子に。


●マルちゃん「麺づくり」(93年)


生タイプ麺のトレンドに抗い、ノンフライめんの可能性を信じた東洋水産が92年にリリースしたのが「麺づくり」でした。時あたかもJリーグ開幕から、94年アメリカワールドカップ予選(のちに「ドーハの悲劇」)が進行中。カズもラモスも北澤もいなくても、ヴェルディが5人集えば何とかなった、そんな時代です。


●エースコック「スーパーカップ1.5 豚キムチ」(93年)


「日清ラ王」にシェアを奪われたエースコックが繰り出したのは、マイケル・ジョーダンと双璧を張るNBAのスーパースターでした。その体型から「空飛ぶ冷蔵庫」との異名をとったチャールズ・バークレーが発する“ブタキムチ”は今見ても破壊力抜群。


●エースコック「スーパーカップ」(94年)


極めつけは、そう、あの清原和博です。西武ライオンズは当時、選手個人のCM出演が禁止されていましたが、その解禁第一号がこの清原の「スーパーカップ」CMでした。HideのCMソング「TELL ME」も含め、今となっては切なさを消せやしません。



■団塊ジュニア世代の90年代に伴走したカップ麺たち

バブル期~90年代にかけて、地方から都会に集まってくる若者と、その生活を支えるコンビニの発展により、カップ麺市場は拡大を続けます。95年には、生タイプ即席めんの売り上げは4億8400万食にまで拡大。即席めん全体では51億9000万食という規模に成長を遂げます(出典:日本即席食品工業協会)。

バブル崩壊後の90年代にあってカップ麺は、ミリオンヒット連発の音楽産業と同じく、数少ない景気のいい業界だったのでしょう。お金が集まってくるところには、時代を彩る豪華な顔ぶれも集います。前出のゾノとヒデによる「日清ラ王」のCM(96年)は、そのピークともいえるタイミングでの出来事でした。

90年代のカップ麺の歴史は、そのまま団塊ジュニア世代が大人の階段をのぼる歴史のひとコマでもあるのかもしれません。そういえばいつもカップ麺ばかり食ってたな。。。

(バブル時代研究家DJGB)