バブルブームとともに帰ってきた【スキーリゾート】あの懐かしのスキー場はいま?

2017/12/20 10:30 DJGB DJGB

空前の“バブル時代”ブーム。
なのに全くブームに乗れてない、バブル時代研究家DJGBです。

この冬、「APPI」こと安比高原スキー場(岩手県)でバブリーなイベントが開催されるそうです。 バブル期、なぜか「APPI」というステッカーをクルマのリアガラスに貼るのがオシャレだった、あの「APPI」です。



人選に90年代感があふれているのはご愛敬。個人的には同時開催されるあの頃の輝きを振り返る「バブリー展示コーナー」が気になります。リクルート創業者・江副浩正氏(故人)の肝いりで開発されたという「APPI」だけに、埋もれていたバブル秘話の発掘にも期待が高まります。


前回も取り上げた「JR SKISKI」キャンペーンでも、今年は映画「私をスキーに連れてって」との全面コラボを展開。「私を新幹線でスキーに連れてって」というダイレクトなメッセージでアラフィフ世代を直撃です。


12月16日には日本で14年ぶりのスキー場「峰山高原リゾート ホワイトピーク」(兵庫県)もオープン。どうやらバブル回帰ブームとともに、スキーリゾートブームも帰ってきたようです。

今日は時代を彩ったスキーリゾートとキャンペーン、そして「その後」をふりかえります。



■「JR ski ski」キャンペーンと、「GALA湯沢」

●「JR ski ski」(91年~94年)


バブル末期の90年12月20日、越後湯沢に大規模なスキーリゾート施設「GALA湯沢スキー場」がオープンします。

「上野から新幹線で75分」のスキー場は、瞬く間に新幹線とZOOのCMソングに乗せられた若者たちであふれます。でもなぜだろう、だんだんZOOのメンバーが減っていくように見えるのは。。。

さかのぼること5年前。分割民営化(87年)を控えた旧国鉄の職員提案制度で、遊休地の活用アイデアが提案されます。広大な保線基地だった場所を「スキー場に転用してはどうか」と考えたのは、スキー好きのいち鉄道管理局職員だったそうです。




おりからのバブル景気で、越後湯沢では東京からのスキー客を当て込んだリゾートマンション建設ラッシュも発生。その賑わいは“東京都湯沢町”と揶揄されるほどでした。


現在、それらのリゾートマンションはずいぶんお買い得になっている模様。この冬、新幹線で「GALA湯沢」を久々に訪れた皆様、そろそろおひとつ、いかが?



■室内なのに「風速計」が必要だった「ザウス」


屋内スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」は93年のオープン。屋内施設としては初めてリフトが設置されたスキー場でした。当時の運輸省が法律を杓子定規に解釈し、(屋内で風が吹かないのに)リフトに風速計の設置を求めたというエピソードは有名です。

●三井不動産 スキードーム ザウス(93年)

CMソングは山下達郎による「湾岸スキーヤー」。ザウスのために40秒だけ作られた作品。98年の長野オリンピックの際には少年隊がカバーし、フジテレビのオリンピック中継イメージソングに採用されました。

2002年に惜しまれつつ閉鎖。現在その跡地がIKEA一号店となっていることは、バブル研究家界隈では有名なエピソード。ちなみに「ザウス」ができる前は巨大迷路だったそうです。




実は「ザウス」よりも前に、同じ千葉県内に、日本初の室内スキー場がオープンしていたことは、現在あまり語られません。

●スキーイング in 津田沼 (91年)

91年、習志野市にオープンした「スキーイングイン津田沼」は都心からのアクセスもよく、「ねるとん紅鯨団」のロケ地としても使用されました。

が、「ザウス」開業の影響をもろにうけ、97年に閉鎖。現在その跡地はイオンモール津田沼となっています。



振り返れば国内のスキー人口は1993年の1860万人がピーク。以降、2007年の560万人に下げ止まるまで、ほぼ一本調子で減少を続けます。「ザウス」が当初の予定通り10年間で撤退を決めたのは、英断だったと言えるかもしれません。



■全国各地にスキーリゾートを産んだ、「リゾート法」

ニッサンが「くうねるあそぶ。」のコピーとともにセフィーロを発売し、「花木(ハナモク)」が新語・流行語大賞(銀賞、88年)に輝いたバブル期。スキー場には深夜まで「私スキ」に触発された若者があふれました。


●全盛期の苗場スキー場 (89年)


「私スキ」が公開されたのと同じ87年、都道府県によるリゾート開発を促進するための法律、総合保養地整備法(通称・リゾート法)が施行されます。国土の約20%がなんらかの開発計画に組み込まれ、全国各地でスキー場やゴルフ場の開発が始まりました。

背景には、好景気による開発ブームに加え、米国からの内需拡大圧力がありました。千昌夫よろしく、ありあまる“ジャパンマネー”の運用先として海外不動産を購入するのは、海外とのいらぬ摩擦を引き起こす時代。いろいろ言われるなら国内に、という思惑が、国内のリゾート開発を加速させたようです。前述の「APPI」にも89年、安比グランドタワー・ホテルが開業しています。

が、バブル景気は91年に終焉。

「リゾート法」認定第一号施設だった宮崎シーガイアをはじめ、バブル期に計画され、バブル崩壊後にオープンしたリゾート施設は、開業時から苦戦を余儀なくされました。「GALA湯沢」とほぼ同時に越後湯沢にオープンした加山雄三設計のスキー場「加山キャプテンコースト」も、2011年に閉鎖しています。




観方を変えれば、苦難の時期を経てもなお営業を続けるスキー場には、それだけの魅力が詰まっている、ということなのかもしれません。

バブルから30年、ようやく新しい時代を迎えつつあるスキーリゾート。この冬、あなたも久しぶりにゲレンデに繰り出し、バブルの残り香を探してみませんか?
私も、リアガラスに「APPI」のステッカーを貼ったセリカGT FOURで、船橋のIKEAを巡ってきます!(違)

(バブル時代研究家DJGB)