バブルブームとともに帰ってきた【スキーリゾート】あの懐かしのスキー場はいま?
なのに全くブームに乗れてない、バブル時代研究家DJGBです。
この冬、「APPI」こと安比高原スキー場(岩手県)でバブリーなイベントが開催されるそうです。 バブル期、なぜか「APPI」というステッカーをクルマのリアガラスに貼るのがオシャレだった、あの「APPI」です。
APPI BUBBLY DISCO NIGHTの記者会見発表が本日行われました。
— 安比高原 (@appi_kogen) 2017年12月14日
12月のスペシャルゲスト「MAX」も登場!詳しくはHPをご覧ください。https://t.co/dBIOnGZE0B pic.twitter.com/5Piw3EqWzg
人選に90年代感があふれているのはご愛敬。個人的には同時開催されるあの頃の輝きを振り返る「バブリー展示コーナー」が気になります。リクルート創業者・江副浩正氏(故人)の肝いりで開発されたという「APPI」だけに、埋もれていたバブル秘話の発掘にも期待が高まります。
前回も取り上げた「JR SKISKI」キャンペーンでも、今年は映画「私をスキーに連れてって」との全面コラボを展開。「私を新幹線でスキーに連れてって」というダイレクトなメッセージでアラフィフ世代を直撃です。
JR SKISKI2017-2018キャンペーンは、JR東日本発足30周年と「私をスキーに連れてって」公開30周年の特別企画として実施!CMギャラリーもご用意!今すぐ「JRSKISKI」サイトへ! https://t.co/srhxP7g99p pic.twitter.com/9dhRsnN9hS
— JR東日本(公式) (@JREast_official) 2017年12月6日
12月16日には日本で14年ぶりのスキー場「峰山高原リゾート ホワイトピーク」(兵庫県)もオープン。どうやらバブル回帰ブームとともに、スキーリゾートブームも帰ってきたようです。
今日は時代を彩ったスキーリゾートとキャンペーン、そして「その後」をふりかえります。
■「JR ski ski」キャンペーンと、「GALA湯沢」
●「JR ski ski」(91年~94年)
バブル末期の90年12月20日、越後湯沢に大規模なスキーリゾート施設「GALA湯沢スキー場」がオープンします。
「上野から新幹線で75分」のスキー場は、瞬く間に新幹線とZOOのCMソングに乗せられた若者たちであふれます。でもなぜだろう、だんだんZOOのメンバーが減っていくように見えるのは。。。
さかのぼること5年前。分割民営化(87年)を控えた旧国鉄の職員提案制度で、遊休地の活用アイデアが提案されます。広大な保線基地だった場所を「スキー場に転用してはどうか」と考えたのは、スキー好きのいち鉄道管理局職員だったそうです。
おりからのバブル景気で、越後湯沢では東京からのスキー客を当て込んだリゾートマンション建設ラッシュも発生。その賑わいは“東京都湯沢町”と揶揄されるほどでした。
僕の地元、バブルの残骸マンションが卒塔婆立ちしてるんですけど軒並みガラッガラで
— ヒュージ (@HUJI7531) 2017年12月10日
「スキーし放題」
「温泉付き」
「温水プール付き」
「虚無広い部屋」
とかで売値10万からなので
世界に疲れた人におすすめしてます pic.twitter.com/PADGLVH2WR
現在、それらのリゾートマンションはずいぶんお買い得になっている模様。この冬、新幹線で「GALA湯沢」を久々に訪れた皆様、そろそろおひとつ、いかが?
■室内なのに「風速計」が必要だった「ザウス」
本当にあった怖い話。
— 華刹 (@kasetsu) 2015年12月21日
若い子の「私、変な記憶があって…家族で千葉へドライブに行くんですけど、その先でスキーしたような気がするんですよ。おかしいですよね、千葉でスキーなんてw」
って話聞いて千葉県民の私、思わず涙しましたね。 pic.twitter.com/F7S09HYN4s
屋内スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」は93年のオープン。屋内施設としては初めてリフトが設置されたスキー場でした。当時の運輸省が法律を杓子定規に解釈し、(屋内で風が吹かないのに)リフトに風速計の設置を求めたというエピソードは有名です。
●三井不動産 スキードーム ザウス(93年)
CMソングは山下達郎による「湾岸スキーヤー」。ザウスのために40秒だけ作られた作品。98年の長野オリンピックの際には少年隊がカバーし、フジテレビのオリンピック中継イメージソングに採用されました。
2002年に惜しまれつつ閉鎖。現在その跡地がIKEA一号店となっていることは、バブル研究家界隈では有名なエピソード。ちなみに「ザウス」ができる前は巨大迷路だったそうです。
IKEA船橋 (1号店)
— 日本のイケア(IKEA)店舗紹介 (@ikeajapan) 2017年12月16日
2006年4月24日開業
千葉県船橋市 浜町2-3-30https://t.co/bHjluenefl pic.twitter.com/gTty10BRL3
実は「ザウス」よりも前に、同じ千葉県内に、日本初の室内スキー場がオープンしていたことは、現在あまり語られません。
●スキーイング in 津田沼 (91年)
91年、習志野市にオープンした「スキーイングイン津田沼」は都心からのアクセスもよく、「ねるとん紅鯨団」のロケ地としても使用されました。
が、「ザウス」開業の影響をもろにうけ、97年に閉鎖。現在その跡地はイオンモール津田沼となっています。
【タワレコ津田沼店はココにあります】JR総武線 津田沼駅パルコ側出口より徒歩5分、イトーヨーカドー横。新京成電鉄 新津田沼駅 北口直結のイオンモール津田沼の2階奥側(さくら公園側)にございます ご来店お待ちしております! pic.twitter.com/2nAUKaJpI5
— タワーレコード津田沼店 (@TOWER_Tsudanuma) 2017年12月2日
振り返れば国内のスキー人口は1993年の1860万人がピーク。以降、2007年の560万人に下げ止まるまで、ほぼ一本調子で減少を続けます。「ザウス」が当初の予定通り10年間で撤退を決めたのは、英断だったと言えるかもしれません。
■全国各地にスキーリゾートを産んだ、「リゾート法」
ニッサンが「くうねるあそぶ。」のコピーとともにセフィーロを発売し、「花木(ハナモク)」が新語・流行語大賞(銀賞、88年)に輝いたバブル期。スキー場には深夜まで「私スキ」に触発された若者があふれました。
●全盛期の苗場スキー場 (89年)
「私スキ」が公開されたのと同じ87年、都道府県によるリゾート開発を促進するための法律、総合保養地整備法(通称・リゾート法)が施行されます。国土の約20%がなんらかの開発計画に組み込まれ、全国各地でスキー場やゴルフ場の開発が始まりました。
背景には、好景気による開発ブームに加え、米国からの内需拡大圧力がありました。千昌夫よろしく、ありあまる“ジャパンマネー”の運用先として海外不動産を購入するのは、海外とのいらぬ摩擦を引き起こす時代。いろいろ言われるなら国内に、という思惑が、国内のリゾート開発を加速させたようです。前述の「APPI」にも89年、安比グランドタワー・ホテルが開業しています。
が、バブル景気は91年に終焉。
「リゾート法」認定第一号施設だった宮崎シーガイアをはじめ、バブル期に計画され、バブル崩壊後にオープンしたリゾート施設は、開業時から苦戦を余儀なくされました。「GALA湯沢」とほぼ同時に越後湯沢にオープンした加山雄三設計のスキー場「加山キャプテンコースト」も、2011年に閉鎖しています。
ここがすごかったよ加山キャプテンコースト
— 井口さんも絶賛のcielo河北 (@cieloazul) 2017年2月4日
・スキー場なのに「コースト」
・ゲレンデに堂々と設置されたヨット
・ゲレンデに響く加山キャプテンの歌声
・吹雪いている山間のゲレンデに「海よ~俺の海よ~♪」という歌声が響きわたった時は笑死するかと思った
観方を変えれば、苦難の時期を経てもなお営業を続けるスキー場には、それだけの魅力が詰まっている、ということなのかもしれません。
バブルから30年、ようやく新しい時代を迎えつつあるスキーリゾート。この冬、あなたも久しぶりにゲレンデに繰り出し、バブルの残り香を探してみませんか?
私も、リアガラスに「APPI」のステッカーを貼ったセリカGT FOURで、船橋のIKEAを巡ってきます!(違)
(バブル時代研究家DJGB)