くだらないアートを作り続けて25年。現代美術二等兵の「駄美術」の世界
▲胸に「悪」と書かれたリーゼントヘアのだるま「ぐれダルマ」。どこかで見たことがある方も多いのでは?
こんにちは。
関西ローカル番組を手がける放送作家の吉村智樹です。
この連載では、僕が住む関西の耳寄りな情報をお伝えしてゆきます。
今回はその第7回目となります。
■25年に渡り”駄美術”を作り続けた「現代美術二等兵」とは?
2017年も残りわずかとなりました。
今年のニュースを振り返れば、度胆を抜かれたのは、なんといっても安室奈美恵さんの引退表明。
25周年、四半世紀という大きな節目での重大発表。
「25年目」という区切りは、人を所信に立ち返らせる力があるのかもしれません。
そして今年、同じく25周年を迎えられた方々がいます。
それが芸術家コンビ「現代美術二等兵」。
「現代美術二等兵」。
たとえ「現代美術二等兵」の名を知らなくても、現代美術に詳しくなくとも、実は多くの人が彼らがうみだした作品を目にしています。
たとえば、松本人志さんがコメンテーターをつとめるテレビ番組『ワイドナショー』(フジテレビ系)。
この番組の小道具として置かれたリーゼントヘアのだるま、その名も「ぐれダルマ」は、決してANZEN漫才のみやぞんをモデルにしているわけではなく、現代美術二等兵がデザインしたオブジェなのです。
また「ぐれダルマ」や、こけしと鉄アレイが合体した「こけしアレー」など「ネオ民藝」シリーズはガチャガチャにもなり、おおいに話題となりました。
▲民芸品に遊び心を加えた「ネオ民藝」シリーズはガチャの大ヒット作品となった。現代美術二等兵は「ぐれダルマ」と「こけしアレー」で参加
▲現代美術二等兵の名が巷に知られるきっかけとなった「こけしアレー」。はじめは本物の鉄アレイに塗装したオブジェだったが好評を得てその後は商品化された
そんな、思わず「ぷっ」とふきだしてしまう、くだらないアート作品、名づけて「駄美術」を制作しているのが現代美術二等兵なのです。
そして彼らの駄活動は遂に25年目を迎えました。
今年は神戸で開催された「六甲ミーツアート大賞」において鯉のロカビリー歌手が演奏するたびに本物の鯉が寄ってくる「KoiのRock 'n' Roller」で準グランプリを受賞するなど、引退なんてどこ吹く風な活躍ぶりを見せています。
▲鯉のロカビリー歌手が「恋するフォーチュンクッキー」などタイトルに恋がつく曲を演奏するたびに本物の鯉が寄ってくる「KoiのRock 'n' Roller」。この作品で2017年度「六甲ミーツアート大賞」準グランプリを受賞した
■「現代美術二等兵」は東西をまたにかけた遠距離アートユニット
「現代美術二等兵」は大阪在住で印刷会社に勤めるデザイナーの籠谷(かごたに)シェーンさん(50歳)と、東京在住で造形制作会社を営むふじわらかつひとさん(49歳)からなる遠距離アートユニット。
おふたりはともに大阪出身ですが、現在は東西に分かれて活動しています。
▲向かって右が籠谷シェーンさん。左がふじわらかつひとさん
役割分担は籠谷さんが「大阪営業所」、ふじわらさんが「東京営業所」。
西日本、東日本それぞれのエリアから企画展などの依頼があった場合、「発注元に近い方が窓口を担当する」というアメーバなスタイル。
オブジェも合作ではなく、おのおのが自分のアトリエで制作。
ゆえに「展覧会の搬入の日に初めてお互いの新作を知った」ということもあるのだそう。
この25年間でつくった「駄美術」オブジェは、およそ250作品。
そして25周年を記念し、集大成となる展覧会「駄美術の山」が開催されました(MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w 12月9日 土曜日に閉幕)。
開催に寄せて
“駄美術一筋25年”
▲シンガポールの「マーライオン」、コペンハーゲンの「人魚姫」、ブリュッセルの「小便小僧」の「世界三大がっかり有名観光地」を合体させ、一ケ所で三ケ所分のがっかりを体験できるお得なオブジェ「がっかりトリプル」
20周年のときは、もうそんなに経つのかと思い、感慨深かったのですが、それから5年経っただけで、それは感慨から驚嘆に変わっていました。
人が25年かけて成し遂げる事を考えたとき、現代美術二等兵が25年かけて何を築いたのか……。
それは無駄にそびえる駄美術の山ではないのかと。
「チリも積もれば山となる」や「枯れ木も山のにぎわい」等、山になれば相応の価値になると古の言葉にありますが、今現在、価値ある何かを築いてこれたのか?
自分たちでは分からない始末。
今回ギャラリーに枯れ木やチリならぬ25年分のありったけの駄美術を並べてみます。
行けども行けどもそこは駄美術。
どんな山になっているかご高覧頂けたら幸いです。(現代美術二等兵)
■ふざけた作品がかもしだす心地よい脱力感
会場に足を踏み込めば、おお! まともなものがひとつもない!
▲おびただしい数の「駄美術」およそ200点が展示された
▲ストリートダルマ
▲スフィンクスだるま
▲オープニングヴィーナス
▲C C TRAIN
▲脱ぎ捨てこけし
▲アラブのアブラ取り紙
背中に手羽先が映えた天使像や、「めしぬき」と染め抜かれた「懲罰のれん」、勝訴の「夏用」、フードをかぶったいかつい「ストリートダルマ」、東芝がスポンサーを降りることで今年話題となったあの名作アニメのオープニングを思いだす、その名もずばり「オープニングヴィーナス」などなどなどなど、どれもこれも関西弁で云う「ちょけた」(ふざけた、おどけた)作品ばかり。
およそ200点がひしめいています。
▲勝訴「夏用」
▲テキスタイル、タイル、写真、金属、木工などなど実は素材も技法も多彩なテクニシャンコンビであることがわかる
これは確かに「“駄”美術の山」。
これほど膨大な数のあほらしいものに囲まれていると、ここちよい脱力感に包まれ、「大人だってふざけていいんだ」とすがすがしい気持ちになり、こころの澱が剥がれ落ちるデトックス作用があるように思いました。
それどころか得体のしれない勇気さえもらえる気が。
人は年齢を重ねるにつれ、次第にふざけなくなってゆきます。
こういったばかばかしい「駄美術」を25年間つくり続けられたのは、それはそれで強靭なハートが必要でしょう。
「大阪営業所」の籠谷シェーンさんに、作風を貫いた秘訣などをお訊きしました。
▲現代美術二等兵の「大阪営業所」こと籠谷シェーンさん。現代美術二等兵には「懲罰のれん」など染色作品も多く、素材や技法の幅がとても広い
■きっかけは「現代美術界への恨み節」だった
――「現代美術二等兵」は、どのようないきさつで発足したのですか?
籠谷
「はじめは……恨み節からスタートしたんです」
――う、恨み節ですか?
籠谷
「はい。僕らは京都市立芸術大学彫刻専攻を卒業した同級生なんです。学生時代はこれといって目立った活躍はできませんでした。『現代美術二等兵』はみんなサラリーマンになって、3回目のグループ展のタイトルだったんです。美術界で頭角をあらわすことができない3人(当時は3人)が集まって『俺らは、いったいなんやろう?』『現代美術の世界で、竹やり持って戦ってる二等兵や』という気持ちで名づけた展覧会が、そのままユニット名になりました」
――自分たちに注目しない現代美術の世界に不満を抱いていたのですか?
籠谷
「当時、僕らはまだ社会人になったばかりの若僧で、とがってたんです。あの頃に評価された現代美術の作品は、僕らの目には、おもろくもないし、自己満足やし、きれいでもないし、作家は屁理屈ばかり言うし、どこがいいのかわからなかった。そんな彼らがエリート待遇で大学院へ進んだり美術の専門誌で評価が高かったり。僕らは実家が裕福ではなく、サラリーマンになるしかなかったから、嫉妬もあったんです。そういったコンプレックスが、高尚で難解な作品へのアンチに転じていった部分もあります。お客さんもギャラリーでしかめつらして鑑賞するのではなく、作品を見て笑ってもええやんって。権威を茶化したような提示を始めたのも、当時の現代美術界への反抗心からでした」
――現在は、どういうお気持ちですか?
籠谷
「いまは、恨みに思う気持ちは、さすがにないです。『ええ大人がなにしてんねん』とあきれて笑ってくれたら、それでいいし、みんなから好かれたい(笑)。お客さんの笑顔が嬉しいという純粋な気持ちでやっています。現代美術界への嫉妬? いまだにないとは言えないけれど、『まあ、もうどうでもええかな』って。そんなに考えなくなりましたね」
――ご自身たちのなかで恨み節が抜けたのは、どういう時期ですか?
籠谷
「マガジンハウスから作品集『駄美術ギャラリー』(2007年)が発売されたときですね。イベントで知り合った方に紹介されてマガジンハウスの編集者と会ったんです。僕らは『雑誌の記事になればいいな』くらいに考えていたんですが、いきなり『作品集を出しましょう』ということになりました。そして本が出たとき、それまでの鬱屈した気持ちが晴れました。だって、どんなに現代美術の世界で評価が高くても、マガジンハウスから作品集を出す人は少ないやろうと。知人も『POPEYEを出してる出版社から作品集を出せるなんて痛快や』と喜んでくれて。そういうのもあってネガティブな気持ちは消えました」
――作品集を上梓され、現代美術の世界からの評価も一変したのではないですか?
籠谷
「それはないです(笑)。美術畑から褒められたリ、催しに呼ばれたりということは、いまだにないです。ただデザインの世界に『いい』と言ってくださる方が多く、商品化など、さまざまな展開がありました。それはちょっと意外ではありました」
▲寝室は枯山水
▲ヤングマン Y.M.C.A
▲「ナスカの夏、ペルーの夏」。あまりにもよくできているためTwitterにアップした時は「CGだろこれ」というクソリプが飛んできた。「僕ら造形の人間にはCGでつくる方が難しいです」
▲餅に描いた絵
▲危機回避ならず
■えらそうな大人たちへの対抗心から生まれた「駄美術」
――ご自身たちの作品を「駄美術」と呼ぶようになったのは、いつからですか?
籠谷
「活動を始めて6年目くらいのときに『駄美術宣言』をしました。だんだんと僕らの作品を『おもしろい』『ほっとした』と評価してくれる方が増えてきた半面、批判も多くなってきたんです。ギャラリーに偉そうなおっさんが現れて、『このオブジェをつくったのは君たちか? そこに立て!』って怒られて、立たされて」
――大人が立たされるって! その「おっさん」は美術の世界で高名な方なのですか?
籠谷
「いや、ぜんぜん知らんおっさん(笑)。そんなおっさんから『これをつくったのは君らか? いいか、ユーモアとはな……』と延々と高説を聞かされて。そうやって、いろんな人たちから『こんなものは美術じゃない』『ユーモアとはこういうことではない』と説教されるわけです。いきなり知らない人から。有料イベントでもないのに。そういったうるさい人たちに対抗するために『自分たちの作品を定義する必要があるんじゃないか?』と思ったんです」
――なるほど。無理解な人たちに対し「我々はこうである」という定義を設けたのですね。それが「駄美術」になったのは、どうしてなのですか?
籠谷
「たこぶえ、ですね」
――「たこぶえ」? たこぶえって、あの「VOW」の?
籠谷
「そうなんです。VOWの投稿作品『たこぶえ』を初めて見たとき、ガーンときて。きっと駄菓子屋で売っている商品のラベルだと思うんですが、まずイラストが衝撃的すぎるし、フォントもいい味してる。そもそも『たこぶえ』ってどういうものやねんと。これを見て当時『どんな現代美術より、これがアートやろ』と思ったんです。それでふじわらが『自分たちが目指すのは、これやな。“駄美術”や』と、自分たちをそう命名しました。パティシエがつくる高級なスイーツではなく、駄菓子のようなアート、それが僕らの作品なんです」
▲街で見つけたヘンなものを投稿する「VOW」に掲載された、あまりにも衝撃的な名作ラベル。おそらく駄玩具。たこのモデルに関しては深く追求しないが、そもそも「たこぶえ」ってなんだ?
▲船盛ショッキング
▲仏頭ペッツ
▲ハリウッド版 天地人
▲床の間ターゲット
▲送りオオカミ
“駄美術” 。
改めて、いい言葉ですよね。
「無駄のなかに宝がある」という言葉がありますが、効率やメリット、グレードや高い意識だけを求める世の中なんてしんどいです。
現代美術へのアンチテーゼから始まり、次第に力みが抜け、純粋に「楽しんでほしい」という気持ちへと移り進んでいった現代美術二等兵の25年。
彼らは自分たちが生み出す作品によって毒気が抜け、浄化されてきたのではないでしょうか。
おびただしい数の駄美術に囲まれながら、役に立たないものをいつくしむ気持がある人にしかたどり着けない“駄のユートピア”ってあるんだなと思いました。
そこでは背中に手羽先が映えた天使たちが、きっと「たこぶえ」を吹きながら遊んでいるのでしょう。
▲まるで不良と保護司の2ショット
現代美術二等兵Webサイト
http://www.g-b-2.net/gb2/
(吉村智樹)
https://twitter.com/tomokiy