小川範子(44才)リブート。アラフォーとなった「美少女ブーム世代」の今がスゴい
こわれる、こわれる…。
こんばんは、バブル時代研究家のDJGBです。
女優・小川範子が、歌手デビュー30周年を記念したベスト盤を発売することが発表されました。12月20日に発売予定のアルバム「30th Anniversary Best」には、デビュー曲「涙をたばねて」や名曲「こわれる」などに加え、新たにレコーディングした2ndシングル「永遠のうたたね 2017」なども収録されるとのこと。
小川範子「ファンの皆さんに感謝を込めて」歌手デビュー30周年記念ベスト盤(コメントあり) https://t.co/Xm7D6RB9k2 pic.twitter.com/qhRMJlleh1
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) 2017年11月15日
ニュースにあわせ、44才となった小川のご尊顔も公開。
6才で子役として芸能活動をスタートした彼女。14才で歌手活動をスタートしたころには、すでにベテランの風格も漂わせていました。それを差し引いても、30年の時が経過したとは思えないキュートな近影。
2005年の結婚後は芸能活動もマイペースだったため、突然のニュースにオールドファンも騒然です。
30thベスト予約完了!過去、いちばん発売に興奮したCDの1つ小川範子『スーパーバリュー』。確か11thシングルからディレクターが変わって路線が変わるので、それまでの初期シングルを堪能出来る作品集。この時点では彼女のCDはかなり収集困難だった。『吟遊少女』はあったけどね。#小川範子 pic.twitter.com/davpO3eyIs
— ANY (@toward1989) 2017年11月17日
ということで、無性に聴きたくなり…。仕事が一段落ついたので、小川範子のゴールデン☆ベストを。アールグレイの苦めのホットティーとともに。 pic.twitter.com/t6lxzsfuRo
— shinichi A BE-AR (@purissima_bear) 2017年11月15日
■確かな美貌と実力を兼ね備えた「美少女」たち
小川範子が一般的に注目されるきっかけとなったのは、本名の「谷本重美」名義で出演したこちらのCM。
●ペプシ「マウンテンデュー」(86年)
このCMが放映された86年、世間にはおニャン子クラブ旋風が吹き荒れました。が、素人っぽさが新鮮だったおニャン子は飽きられるものも早く、代わって注目されるようになったのが、ハッとするような端正な顔立ちと、確かな実力を持つ“美少女”たちでした。
80年代後半、小川とともに“美少女ブーム”をけん引したのは、こんな面々です。
●後藤久美子(74年生まれ)
説明不要の“国民的美少女”は10歳のころからモデルとして活躍し、86年にドラマデビューを果たします。翌87年には、分割民営化される国鉄→JR東日本のCMの顔にも起用。
のちにF1ドライバーのジャン・アレジと事実婚。先ごろには長女のエレナさんが日本で芸能界デビューすることも話題となりました。
後藤久美子さんの長女エレナさん、メディア初登場&モデル初デビュー! #25ans #後藤久美子https://t.co/8rY8aQWFIh https://t.co/8rY8aQWFIh
— 25ans(ヴァンサンカン) (@25ans_jp) 2017年9月26日
●高橋かおり(75年生まれ)
80年代初期から主に映画、ドラマに出演し、女優として息の長い活躍を続けている高橋かおり。劇団ひまわりの新聞広告で彼女の名前を知った人も多いでしょう。
現在では刑事モノのドラマに欠かせない存在に。
12:00は #水谷豊 主演!< #BSフジサスペンス劇場 >『しあわせギフトお届け人2 青野大洋杜の都の事件帖』を放送✨
— ウメちゃん【BSフジ公式】 (@Ume_bsfuji) 2017年5月19日
ギフトバイヤーが殺人事件に巻き込まれ大奮闘する #ドラマ 第2弾!#高橋かおり #山田まりや #前田耕陽https://t.co/uH1VLUPho6 pic.twitter.com/SwfeFoVMZd
●藤谷美紀(73年生まれ)
ゴクミはあくまでもイメージガール。第1回「国民的美少女コンテスト」でグランプリを獲得したのは“フジミ”ことこの人です。現在は2児の母親をしながら女優業を継続。
●宮沢りえ(73年生まれ)
“白鳥麗子”の「三井のリハウス」CMがスタートしたのは87年。翌88年には映画「ぼくらの七日間戦争」の主演でブレイク。観月ありさ、牧瀬里穂とともに「3M」と呼ばれる国民的アイドルに。からの衝撃的な『サンタフェ』(91年)、貴花田との婚約(92年)、わずか2か月後の婚約解消と、バブル時代を一気に走り抜けました。
その後、「すったもんだがありました」(94年)を経て、現在では女優として確固たる地位を確立しています。
●坂上香織(74年生まれ)
荻野目洋子のコンサート会場で事務所関係者にスカウトされ、トントン拍子にグリコ「プリッツ」のCMに出演。第二のゴクミ”というキャッチフレーズで大々的に売り出され、88年、“作詞・松本隆、作曲・来生たかおの豪華布陣によるシングル「レースのカーディガン」でレコードデビューも果たします。が、ふりかえれば、この時すでに“アイドル冬の時代”。あえての王道アイドル路線は裏目に出てしまい、90年代以降、坂上は写真集やVシネマに活躍の場を移しました。
■バブル景気と、「国民的」美少女ブームの時代。
前述のように「美少女」ブームの背景には、おニャン子クラブブームへの反動に加え、もうひとつ、見逃せない要素があります。それはCMアイドルの需要増加です。
バブル期、団塊ジュニア世代(第二次ベビーブーム世代)へのアピールを強化したい食品、飲料、電機メーカーは、こぞって同世代の美少女をCMに起用します。まだ見ぬ美少女の発掘のため、このころ大手芸能事務所が主催する「国民的美少女コンテスト」や「ホリプロスカウトキャラバン」に加え、
「ロッテCMアイドルはキミだ(86~89年)」
(立花理佐、島崎和歌子、山中すみか、宍戸留美らを輩出)
「東鳩オールレーズンプリンセスコンテスト(86~91年)」
(麻田華子、水野美紀、河田純子、豊田樹里/松田樹利亜らを輩出)
「UCC CAN COFFEEミスコンテストグランプリ(89年)」
(女優として活躍する加藤貴子らが所属したアイドルLip’sを輩出)
といったメーカー主催コンテストも乱立。TVを通じ万人に笑顔をふりまく=国民的に愛される美少女の需要が急増したのが、この時期です。
●UCC「国民的アイドル宣言」Lip’s(90年)
現代のように、望めば誰もがアイドル活動ができるわけではなかった時代です。1学年に200万人以上の同級生がいる団塊ジュニア世代が芸能界デビューするためには、受験同様、多くの同級生との競争を勝ち抜く必要がありました。
ちなみに2016年生まれの子どもの数は98万1000人で、1899年の統計開始以降、はじめて100万人を割り込んでいます。
90年代に入ると景気の悪化により、美少女発掘プロジェクトは相次ぎ終了、あるいは縮小を余儀なくされます。また「ミスコン」というイベントを企業が支援すること自体が時代にそぐわなくなったこともあり、各種コンテストは方向転換。美少女の登竜門は「ミスマガジン」「日テレジェニック」など、グラビアアイドルへと変化してゆきます。
「美少女」ブーム世代にデビューした女優たちがアラフォーになっても輝きを失わないのは、彼女たちが当時、国民的に愛されることを夢見て厳しい競争を勝ち抜いてきた証明でもあるのです。
(バブル時代研究家DJGB)