鮭の切り身を持って歌うアイドル「れなち」秋葉令奈さんに会ってきた!
▲関西在住の人気アイドル「れなち」こと秋葉令奈さん。手にしているのは大きなシャケの切り身。なぜ……
こんにちは。
関西ローカル番組を手がける放送作家の吉村智樹です。
この連載では、僕が住む関西の耳寄りな情報をお伝えしてゆきます。
今回はその第4回目となります。
■いったいなぜ? 鮭の切り身を持って歌い続けるアイドルがいた!
さて「秋シャケ」がおいしい季節がやってきました。
この時期のシャケは、適度に脂がのっていて最高です。
ホイル焼きなどにしたら、ほくほくになった身のピンク色がいっそう映えて、たまりませんよね。
シャケといえば、関西にはシャケの切り身を持ちながら歌うアイドルがいます。
それが「れなち」の愛称で親しまれる秋葉令奈(あきばれな)さん。
「いったい、なぜシャケの切り身を持ちながら歌うの?」
疑問に思った僕は、シャケをつかまれえる熊の勢いで、ウワサの彼女にその理由をうかがってきました。
■関西と北海道を往復する遠距離アイドル活動
秋葉令奈さん。
アイドルの聖地「秋葉原」「アキバ」をイメージさせる名前ですが、なんとご本名。
アルバム1枚、ミニアルバム1枚、シングル4枚をリリースし、2018年の春にはセカンドアルバムの発売を予定しているなど精力的に活動しています。
▲1st Album『れなちだよぉぉぉぉぉ!』。現在は来春発売予定のセカンドアルバムを制作中
出身は北海道の釧路。
関西にやってきて今年で11年目。
現在は関西と北海道を往復しながらアイドル活動にいそしんでいます。
日専連釧路のCMソングで地元ではおなじみな彼女は、11月12日に釧路で初のワンマンライブを敢行。
大いに盛り上がり、無事凱旋を果たしました。
■スカートはジンギスカン鍋。北海道の美味を全身で表現
「れなちだよぉおおお!」とアガる掛け声とともに開幕するステージングのオリジナリティはハンパじゃない。
いくらの瓶詰をイメージしていたり、ジンギスカン鍋そのまんまだったりのスカートなど、言わば北海道物産展のコスプレ。
それら特産品に身を包みながら、「恋する天然ピンク」「オー!ハニーマイサーモン」など、自然の恵みのありがたみをオリジナル曲にこめて歌います。
▲髪には羊のツノ。肩にはラムやマトンのパット。そしてスカートはジンギスカン鍋。まさにいまアツアツな食べごろアイドル
▲魚偏のシャツにラムロールのタンバリン
秋葉令奈
「衣装はほたての貝柱、テールスープ入りのお椀、いくら、ジンギスカンの4種類です。基本はどれもテーマカラーのピンク色を基調にしています」
衣装の話なのに、おいしそう!
ほたての貝殻で股間を隠したアイドルといえば武田久美子さんですが、ほたてそのものを着た人は安岡力也さんと彼女しかいないでしょう。
そしてジンギスカン鍋のモードが、これまたよくできています。
円形のラムロール、マトンロールは北海道ならではの名物食材。
そして半円形の鍋を再現したスカートがお見事。
秋葉令奈
「衣装には『構想』に時間がかかりますね。例えば『ジンギスカンの鍋のスカート!』と思いついたあと、それをどうやって衣装にするのか、ギミックをどう作り上げるのか、など。すべて0からのスタートなので、その構想に時間をかけております。その後は、運命の布との出会いをひたすら待つといった流れでしょうか。このジンギスカンの鍋のスカートは、鍋の鉄板をイメージした柄と運よく出会えたことで生まれました」
▲自らデザインしたという鉄鍋のスカート。衣装の素材にはつねに彼女なりの強いこだわりが
▲いくらの瓶詰をイメージしたビニール製のスカート
▲いくらの瓶詰の蓋は髪飾りに。凝ってる!
そして、なにより気になるのは手にする大きなシャケの切り身。
ネギを手に持つ三人娘なら新潟にいますが、こんなでっかいシャケを持って歌うアイドルはほかにはいないでしょう。
秋葉令奈
「このシャケは、父が撮った写真をサテン生地にプリントして、綿を詰めたものなんです。父が地元の釧路でカメラマンをしていて、それでシャケの写真を撮っていたんです」
秋葉さんは「自分ができる表現ってなんだろう」と考えていた時、お父さんが仕事をしている姿が頭に浮かび、「私はシャケかなあ」と思い至り、それを手にして歌うようになったのだそう。
▲カメラマンの父親が撮影したシャケの切り身をサテン生地にプリントし、綿をつめたオブジェ。「れなち」のシンボルマークであり、父と娘の涙のコラボ作品
▲こんなにシャケの切り身が似合うアイドルは、れなちをおいて他にいない!(ほかにやる人がいないとも言える)
■自らをデザインする「クリエイティブアイドル」
そう、このように「れなち」は、さまざまなものをDIYします。
キャッチフレーズは「クリエイティブアイドル」。
作詞をはじめ、衣装やCDジャケットなどビジュアルを自らデザイン。
さらにPVなど映像作品を独自で編集。
そもそも所属している個人事務所「RENA CREATIVITY STUDIO」を経営する女性社長でもあるのですから、自分自身をプロデュースしていると云えます。
▲デビュー曲「恋する天然ピンク」
▲脳みそをモチーフにうたった、ちょっぴり切ないPOPな恋の歌「記憶の天然ピンク」
▲「オー!ハニーマイサーモン」
■モーニング娘。のPVを観て「私もアイドルの映像作品がつくりたい!」
そんな「れなち」こと秋葉令奈さんがアイドルに憧れはじめたのは中学生時代。
モーニング娘。のPVを観たのがきっかけでした。
秋葉令奈
「ちょうど辻さん加護さんが大人気だった頃で、それを観て『私もアイドルになって映像作品をつくりたい』と思ったんです。アイドルになりたい気持ちと、作り手になりたい気持ちが同時に芽生えて」
あまたの女子が歌う側としてのアイドルになろうと願うなか彼女は、アイドルを演出した作品の創造主にもなりたい、と考えたのです。
「クリエイティブアイドル」というコンセプトは、すでにこの頃から萌芽していたのですね。
■京都で秋元康に出会った! しかし……
そうして秋葉さんは「アイドル」と「制作者」のふたつを目指し、映像制作が学べる京都造形芸術大学の芸術学部「情報デザイン学科」アニメーションコースを専攻します。
しかし映像を勉強できる美大なら東京にもあります。
アイドルを目指すなら東京のほうが圧倒的に有利。
釧路で生まれ育った秋葉さんが、なぜはるばる遠き京都へ?
秋葉令奈
「京都は、もともと源氏物語が好きで、住みなれた北海道にはない歴史の深さや芸術などに魅了されていました。あとその頃、秋元康さんが京都造形芸術大学の副学長をされていたのも理由のひとつです。『ラッキー! もしかしたら自分もアイドルになれる機会をつかめるかも。AKB48に入れるかも!』と思って、秋元ゼミに入りました。そして自分の写真集を自主制作して、秋元さんに見てもらったんです」
▲当時「京都造形芸術大学」で教鞭をふるっていた秋元康氏に見てもらうため自費出版した写真集「れなっぴんく」
まさにそれはクリエイティブアイドルとしての活動の第一歩。
しかし、秋元康さんの答えは……。
秋葉令奈
「『あなたはこういうものをつくる技術があるのならば、アイドルになるより裏方に徹した方がいい』とおっしゃられて。それが悔しくって。いまでもアイドルを続けているのは、『私、ステージに立つ側でもやれますよ』って秋元さんに証明したいという部分もあります」
秋元康さんは、学生だった秋葉さんの「クリエイティブ」な部分は評価しつつも、「アイドル」になることは勧めませんでした。
そんなふうにすれ違い、卒業後、秋葉さんは秋元康さんと一度も会えていないのだそう。
秋元康さん、いまからでも遅くない。
れなちとお会いになりませんか?
釧路にも「出世坂」という、とてもいかした名前の坂がありますよ。
■ある日「天然ピンク」という言葉が天から降りてきた
そんな秋葉さんは卒業制作展を皮切りに地下アイドルとして活動を開始。
デビューシングル「恋する天然ピンク」は、なんと卒業制作でした。
そして往時に、現在もつらぬく、もうひとつのテーマが誕生します。
それが曲のタイトルにもなった「天然ピンク」。
秋葉さんは音盤化されているだけでも「恋する天然ピンク」をはじめ、脳みそについて歌った切ないポップス「記憶の天然ピンク」、ほか「化身の天然ピンク」「大地の天然ピンク」「天然ピンクのメンブレン」「天然ピンクの定理」「奇蹟の天然ピンク」とPINK!PINK!PINK!
なんと7曲もレパートリーがあるのです(“ピンク”だけならさらにある)。
▲「天然ピンク」でフルコンプされたれなちの世界観。確かに新鮮な食材の多くは天然ピンクな色をしている。ほっぺに指でマルをつくるのはお約束の「れなちポーズ」
繰り返し歌われる「天然ピンク」とは、いったいどこから導き出されたテーマなのでしょう。
秋葉令奈
「大学時代、教員との飲み会の席でお刺身を食べているとき、『天然ピンク』という言葉がおりてきました。なんのお魚だったかは忘れちゃったんですけれど、そのお刺身がとっても新鮮で、色が天然ピンクだったんです。そういえば新鮮な食材は、魚介類もお肉も、どれも天然ピンクだな~って。そして『あ、これはアイドルと同じだな』と思えたんです」
天然ピンクなお刺身が、アイドルと同じ?
どどど、どういう意味ですか?
秋葉令奈
「私にとって、アイドルって『食べるもの』なんです。アイドルはいつか腐ってしまう。だから『新鮮なうちに食べてね』って。私ですか? だんだん腐ってきてるな~って思うんですけど(苦笑)、いえいえ、まだまだ新鮮な天然ピンクですよ。なので私のグッズはどれも天然ピンクな食材ばかり」
▲れなちのグッズはどれも「天然ピンク」な色をした写実的な食材。しかもご丁寧に真空パック! ひとつずつ綿を詰めたハンドメイドだ
■「お客さんがぜんぜんいなかった」苦節時代
そうして卒業後もひたむきに。食材を販促グッズとするなどユニークなアイドル活動を続け、今日までやってきました。
自分でプロのアイドルだと自覚したのは、動員が増え始めた、およそ3年前からだと云います。
秋葉令奈
「3年前くらいから、ライブに来てくださる方が増えたんです。想いが伝わったのかな。お客さんが観に来てくれるようになったことがとても嬉しい。それまで客席には本当に誰もいなかったんです。誰もいないなかで歌っていたんです」
▲どんなにお客さんが少なくてもひたむきに歌い続けた根性ある庶民派だ
「想いが伝わった」という3年前。
それはアイドルとしての自分と、演出して制作する側の自分、ふたつの視点がうまく折り合いがついたことの表われなのかもしれません。
秋葉令奈
「そうですねえ。『れなちになる』という感覚を自分のなかで持てるようになったからかもしれません。正直、実は人前に出るのは苦手なんです。作品を見て聴いてほしいがために私自身が前に出ざるを得ないというのが偽らざる気持ち。そしてその時は自分がプロデュースしている『れなち』になって、数十分のライブを全力で楽しむ。でもステージが終わると、疲れ切った、ただの人になっちゃう。それを繰り返して生きていますね」
■「クリエイティブアイドル」を次世代へ伝えたい
そんなふうに「れなち」と「秋葉令奈」とのちょうどいいチームワークを見出したいま、彼女は新たなプロジェクトに挑んでいます。
それがグループアイドル「Re*NaPetit(り*なぷっち)」のプロデュース。
秋葉令奈
「『り*なぷっち』はメンバーを固定せず、たくさんの女子が入っては卒業して、羽ばたいていける場所にしたい。私は大学在学中にアイドルになって、いまで10年です。一緒に頑張ってきた同世代の地下アイドルたちは、みんなやめちゃって、いなくなりました。さびしいですね。アイドルを続けること、特にセルフプロデュースで続けることは並大抵のしんどさではない。いろんな壁や障害がある。『り*なぷっち』のメンバーを募集しているのも、私より若い世代の女の子に、しなくていい苦労をさせたくないし、クリエイティブアイドルとして生きる方法があることを伝えたいからなんです」
まるで手に持つシャケのごとく、回遊期を経て遡上した秋葉令奈さん。
そしていくらをはらむかのように、その想いをいま、たくさんのアイドルのたまごたちへ伝えようとしていました。
▲取材を終えて帰るその後ろ姿に、アイドルとして生きる覚悟を見た気がした
秋葉令奈 AKIBA RENA OFFICIAL SITE.
https://www.rena-akiba.com/
(吉村智樹)
https://twitter.com/tomokiy