「スーツにスニーカー」の起源は、セレブモデルの母親が主演したバブル時代のアノ映画!

2017/10/11 10:11 DJGB DJGB


レノマのセカンドバッグ、小脇に抱えてますか。

こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。

スポーツ庁が、スポーツ習慣の定着による健康増進を目的とした「FAN+WALK PROJECT」を発表。第一弾としてスニーカーなどの「歩きやすい服装での通勤」を推奨するそうです。



この発表に対しては

外回りの営業マンにそんなこと許されるわけがない!

そもそもスーツにスニーカーは似合わない!

その前に、スーツやネクタイを廃止しては?

といった様々な声が寄せられていますが、好意的な意見も少なくありません。



そう、日本人が初めて「スーツにスニーカー」と出会ったのは80年代末のこと

今日は、日本人に新たなファッショントレンドをもたらしたバブル期のある映画と、その時代をふりかえります。



■「ニューヨークの女は、スーツにスニーカーで通勤する」

「スーツにスニーカー」といえば、この映画に触れないわけにはいきません。

「ニューヨークのデキるキャリアウーマンは、スーツにスニーカーで通勤する」という、なかば都市伝説のようなステレオタイプを日本人に植えつけたのは、88年12月に米国で公開された映画「ワーキング・ガール」(マイク・ニコルス監督)です。




主人公のテス(メラニー・グリフィス)は、ウォール街の投資銀行で秘書として働く30歳。キャリアアップのため夜学にも通う頑張り屋だが、上司のセクハラに抗議した結果、あえなく異動。新しい上司は自分よりも年下で、すでにバリバリのキャリアウーマンとして鳴らす企業買収部門の部長、キャサリン(シガニー・ウィーバー)だった…。

というのが物語のあらすじ。88年当時、働く女性の立場は、米国ですら、まだまだ窮屈でした。



この映画の冒頭で描かれているのが、オフィスに出勤したテスが電話を受けながら、スニーカーをハイヒールに履き替えるシーンです。



郊外の粗末なアパートから、マンハッタンのオフィスへ、毎日フェリーと徒歩で通勤するテス。その足元は、彼女の置かれた立場を象徴するアイテムとして効果的に使用されています。



テスが履いているのはリーボックの「クラシック レザー」。





同時期にヒットしたリーボックのフィットネスシューズ「フリースタイル」と混同されがちですが、実は「フリースタイル」が使用されているのは、この映画の主題歌、カーリー・サイモンの「Let The River Run」のPVでのこと(開始22秒ごろ)。テス自身は劇中でもPVでも「フリースタイル」を着用していません。


●「Let The River Run」(88年)


なぜでしょう。この曲を聴くと脳裏に「姉さん、事件です。」というセリフが浮かびます。



■NYのキャリアウーマンは、日本女性の憧れの存在だった

日本で「ワーキング・ガール」が公開されたのは翌89年5月。日経平均株価は4万円をうかがい、ソニーのコロムビアピクチャーズ買収(同年9月27日)、三菱地所のロックフェラーセンター買収(同年10月31日)など、まさにバブル経済の絶頂が訪れていました。劇中でも日本企業は買収のライバルとして描かれています。

「ワーキング・ガール」が描いたキャリアウーマン像は、当時の日本人にも大きな影響を与えます。肩パッド入りのスーツや、トサカ頭濃いアイシャドウといったトレンドも、この映画の影響によるところが少なくありません。



そのトレンドに影響され、同年、ハウス食品がこんなCMを制作しています。

●ハウス スープスパゲティ (89年)



(ナレーション)ボーイフレンド5人、週3回、スープでスパゲティを食べる。It's her style.

タイアップソング「Dreamin' Lady -It's her stlye」を歌うのは、シンガーソングデザイナー(美大出身だった)こと和田加奈子。映像、歌詞、コピーライティング、すべてにおいて「ワーキング・ガール」的な世界観が強くにじみます。

ハウスは翌90年も「ワーキング・ガール」路線を継続。カギとなるのは「スーツにスニーカー」でした。

●ハウス スープスパゲティ(90年)



横文字だとついつい雰囲気に流されがちですが、“SOUP-CAREER WOMAN”って何だ。

ハウス食品はスープスパゲティを、「ニューヨークのキャリアウーマンに欠かせない食習慣」と位置付けることで、日本のワーキング・ガールたちへの訴求を図ったのです。

ニューヨークには「ハウス スープスパゲティ」、たぶん売ってなかったでしょうけど。



■日本で「スーツにスニーカー」を根付かせるには?

87年、当時の運輸省は、552万人(86年)だった日本人海外旅行者を5年で倍増させる、その名も「テンミリオン計画」を策定するのですが、好調な経済と円高を背景に、この計画は90年に1年前倒しで達成されてしまいます。日本人にとっても海外は身近になりつつあった時代です。

社会進出し始めた日本の女性たちにとって「ワーキング・ガール」で描かれたニューヨークのキャリアウーマンは、目指すべき理想像。「スーツにスニーカー」は、その象徴でした。



残念ながらこの着こなしは、当時の日本人にはまだまだ難しかったようです。「スーツにスニーカー」は日本で定着することなく、現在に至ります。

まもなく「ワーキング・ガール」から30年です。

「働く女性の憧れファッション」から、「国が推奨する健康増進法」へ。この30年で「スーツにスニーカー」の位置づけは大きく変化しました。

三菱地所が約2200億円で購入したロックフェラーセンターは、わずか6年で経営破綻。映画の撮影でも使用されたワールドトレードセンターは、2001年の911テロで崩壊し、現在では跡形もありません。



テスを演じたメラニー・グリフィスは、度重なる結婚・離婚と薬物スキャンダルでゴシップをにぎわす存在に。現在では女優・モデルのダコタ・ジョンソンの母親としても知られます。



映画公開の88年、ソウル五輪でバサロ泳法を披露していた鈴木大地氏も、まさか30年後、スポーツ庁の長官として「スニーカー通勤」を推奨する立場にいるとは想像だにしていなかったでしょう。

鈴木長官、まずは現在日本でもっとも有名なキャリアウーマンことブルゾンちえみに白いリーボック クラッシックレザーとハイソックスを履かせるところから始めてみてはいかがですか? with Bが意外といい着こなししてくれるかもですよ!


(バブル時代研究家DJGB)