【年齢は1歳差】安室奈美恵になく、観月ありさに感じる“バブル感”の正体とは?

2017/9/27 10:00 DJGB DJGB

同世代のハズなのに“バブルっぽい人”と、そうでない人って、いませんか?

こんばんは、バブル時代研究家DJGBです。

そんな疑問が急に頭に浮かんだのは、このニュースに触れたから。



76年12月5日生まれの観月と、77年9月20日生まれの安室

ともに幼いころから芸能界で活躍し、ファッションリーダーとしても注目され、「TK presents こねっと」でも共演している小室ファミリー同士。かつては同じ事務所に所属した先輩後輩なので、観月にしてみれば何の他意もない発言のハズ。いろいろ、メンドウな時代になったものです。

にしてもこの2人、誕生日にして9ヶ月半ほどしか離れていないのに、年齢以上にどこかしら“世代の隔たり”を感じるのはなぜでしょうか。

今日は、2人のキャリアをふりかえりながら、そのターニングポイントを探ってみます。



■CDデビューは1年4ヶ月差

4歳からCMや雑誌でモデルとして活躍していた観月ありさ。88年にドラマ「あぶない少年III」でドラマ本格デビューを果たすと、翌89年の「教師びんびん物語II」で美少女として注目されます。現在の所属事務所ライジングプロダクションへ移籍したのもこのころ。

●キリン「シャッセ」(91年)



観月のCDデビューは91年5月15日。

すでに「3M」の一人として脚光を浴びていた彼女。印象的なCMも功を奏し、デビュー曲「伝説の少女」も累計22万枚のヒットを記録します。

同じ91年、沖縄アクターズスクールで「SUPER MONKEY'S」が結成され、中学2年生だった安室奈美恵も参加。

彼女たちの東京での芸能活動をサポートしたのが、観月と同じライジングプロダクションでした。観月の華々しい活躍を間近で見ながらレッスンに励んだ「SUPER MONKEY'S」は92年9月16日、「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」でCDデビューを果たします。

●ロッテ「シリアルプチアイス」(92年)



作詞・売野雅勇、作曲、編曲・小森田実という豪華スタッフに加え、アイドルの王道であるロッテのCMタイアップも取り付け、鳴り物入りのデビュー…に思えました。

しかし、厳しさを増すいっぽうの“アイドル冬の時代”において、デビュー曲はオリコン最高29位に終わります。



■映画主演デビューは5年差

アイドルと言えば主演映画。観月が91年、14歳で「超少女REIKO」で映画主演デビューを果たしたのに対し、




安室の映画デビューは96年の「That's カンニング! 史上最大の作戦?」を待たねばなりませんでした。


なお同年10月公開に「学校II」に本人役で出演して以降、安室の映画出演はありません。



■91年、2人は「レナウン」のCMに出演していた。

美少女、観月の存在を世に知らしめたCMといえばこちら。

●レナウン「スコレー」(90~92年)



実は安室も91年、同じくレナウンの子供服ブランド「I. N. EXPRESS」のCMに起用されています。しかし同年3月のバブル崩壊を機にレナウンは赤字へ転落。いずれのCMも92年には終了してしまいます。

すでに人気モデルとしての認知を確立していた観月は、「スコレー」のブランドキャラクターとしてレナウンとの契約を継続。駅貼り広告などに起用され続けます。

いっぽう、安室とレナウンの契約は終了

しかし特定のCM契約に縛られなくなったことが、結果的に、安室のファッションの自由度と、活躍の幅を広げます。



安室の日本人離れしたスタイルとスポーティなイメージは、当時のトレンドにもマッチ。92年9月にはさっそく女性誌『anan』で「リーボック」のタイアップ広告に(ソロで)起用されるなど、男女問わずファッション誌に欠かせない存在になってゆきます。こうしたメディア露出が、90年代のファッションアイコンとしての彼女の下地を作ったのです。



■シスターラビッツから、“アムラー”出現まで



「SUPER MONKEY'S」の活動と並行しながら、安室は“シスターラビッツ”として「ポンキッキーズ」に出演するなど、フィールドをさらに広げます。

●ポンキッキーズ(94年)



初のヒット曲「TRY ME~私を信じて~」は、ミナミスポーツ(2002年に倒産)のタイアップソング。このころから、男性にこびない安室のメイクやファッションが注目を集めはじめました。




翌96年に「アムラー」と呼ばれるフォロワーを多く生み出したことは、ここで多く語るまでもありません(「アムラー」は96年の新語・流行語大賞トップテン入り)。

ミリオンを連発し、トレンドセッターとなった安室奈美恵が、次にアパレル企業のCM起用されるのは97年。エドウィンが販売するイタリアンブランド「フィオルッチ」でした。



いっぽうの観月は96年、「スコレー」の事実上のブランド終息にともないレナウンと契約終了。しかし同年のドラマ「ナースのお仕事」で女優として開眼し、エンディングテーマ「Promise to Promise」で初期小室ファミリーとしての矜持も示しました。





■“バブル感”の正体は91年にあり?

2人のキャリアをふりかえると、ターニングポイントは、まだバブルの余韻が残る「91年」に“滑り込んでいたかどうか”にあるように思えます。

バブルが崩壊した91年、観月と安室は、ともにレナウンと契約する「注目のCM美少女」でした。

が、バブル期からファッション誌『オリーブ』で活躍した観月は、CDデビューも映画主演も果たし、バラエティではとんねるずにもイジられる人気者に。いっぽう当時まだ「沖縄の空手美少女」に過ぎなかった安室は、景気後退のアオリをモロに受け、スターの座をつかむまでもうしばらく時間がかかりました。

ファッション業界には「好景気には太眉メイクが流行り、不景気では細眉メイクが流行る」という通説があります。 安室の細眉が注目され始めたのは、日経平均が1万4000円台にまで落ち込んだ95年。たしかに彼女のメイクは、不況に負けずストイックに自分の意思を貫く彼女自身を象徴していました。



これに対し観月には、華やかな時代を知る者に特有の、余裕を感じます。


生まれはほんの数か月の差ですが、観月は91年のバブルに滑り込み、安室は乗り遅れたのです。

観月にときおり感じる“バブルの残り香”感(個人の感想です)の由来は、ここにあるのではないでしょうか。

明日、あなたの周囲にいる“バブルっぽい”人に、勇気をだして

「91年、何していましたか?」

と尋ねてみませんか? きっと、TOO SHY SHY BOY!の彼も、キラキラした目で“伝説の少女”の話を聞かせてくれるハズですよ。

(バブル時代研究家DJGB)