J.LO?いやFLOJO!!体育会系そこぢからを発揮したバブル時代の「ミズノ」

2017/9/13 10:30 DJGB DJGB

「小さかったら、高く跳べ。」と言われましても…。

こんばんは、バブル時代研究家のDJGBです。

スポーツの秋、ファッションの秋です。日本を代表するスポーツブランド、ミズノと、マーガレット・ハウエルのコラボが話題です。


スポーティなシルエットと、モノトーンのシンプルデザインがこの秋のトレンドにぴったり(ゆるふわコメント)。

こんなオシャレなアイテムに触れても、今日も今日とて私の脳内には、記憶の片隅に埋もれていた「体育会系、ハデカラー。」というキーワードがフラッシュバック。

今日はミズノのバブル期を、CMからふりかえります。


■米国進出、ねるとん…「1987年のミズノ」

バブル景気が始まった87年(昭和62年)は、ミズノにとっても転機の年でした。 創業家の3代目、水野正人副社長(翌年社長に就任)のリーダシップのもとグローバル展開を強化していた同社はこの年、社名表記を「美津濃」から「ミズノ」に変更。米国でのスポーツウェア製造も開始します。


翌年のソウル五輪を控え「ランバード」ブランドの認知を高めるべく、カール・ルイス、フローレンス・グリフィス・ジョイナーら超一流のアスリートとも契約。強い日本経済を背景に、スポーツ大国アメリカの攻略に本腰を入れます。

同じ年の10月、フジテレビで「ねるとん紅鯨団」がスタート。ミズノの一社提供だったこの番組はまたたく間にヤングの支持を集め、最高視聴率24.7%(89年)を記録する超人気番組に。


世はまさにバブル景気に突入。流行に敏感なヤングに対し、アスレチック×レジャー=「アスレジャー」のライフスタイルを定着させようと、ミズノのCM戦略が始まります。


■数々の流行語、ヒット曲を生みだしたバブル期のミズノ

●「体育会系、ハデカラー。」(88年)


当時ヤングに絶大な支持を集めていたとんねるずは、「ねるとん紅鯨団」の縁に加え、ともに帝京高校でスポーツに打ち込んでいたことも好感され、ミズノのCMに起用。

彼らが「ランバード」のCMで叫んだ「体育会系、ハデカラー。」というコピーは、「体育会系」という言葉をお茶の間に浸透させるきっかけに。のちに「体育会系、基本ぐつ」(ブロケードES)、「体育会系、そこぢから」(衝撃吸収機システム「トランスパワー」)などのバージョンも制作され、90年代初頭までミズノの顔を務めました。

●「ケルビンサーモ」(89年、90年)


太陽光を吸収して色が変わり、保温性が高まるというスキーウェア「ケルビンサーモ」のCMからは高野寛「虹の都へ」がスマッシュヒット。サビの “♪太陽しか知らない、二人だけの秘密” という歌詞は、「ケルビンサーモ」の機能を訴求するためのものだったんですね!

バブル期、「スキーに行くこと」と「恋愛」はワンセットでした。 CMの世界観は翌年も継続。CMソングは同じく高野寛の「ベステンダンク」(90年)、翌91年にはフリッパーズ・ギターの「星の彼方へ」と変遷します。

念のため、GO-BANG'S、東京少年、フェアチャイルド、広瀬香美らを輩出したのは「アルペン」のCMです。

●「小さかったら、高く飛べ!」 (90年)

衝撃吸収システム「トランスパワー」を訴求するため起用されたのが、身長168cmのNBA選手、スパッド・ウェブ。NBAのダンクコンテスト優勝の経験も持つ彼のセリフには、多くの小柄な選手が勇気づけられました。


■あの世界的スプリンターのアパレルラインが!

●「FLOJO」(89年)


ミズノの挑戦は止まりません。ソウル五輪でブッチギリの金メダルを獲得したジョイナーのアパレルライン、その名も「フロージョ」を投入。刺激的なCMのみならず、彼女の競技ウエアをほうふつとさせるデザイン性で、日本人のスポーツウェアに対する概念を覆します。



[出典:Esty]

ピカソかダリか、フロージョか。これぞ体育会系ハデカラー


■名言“ヘイ、カール!”を産んだスパイクもミズノ製

●「アスレティックフットウェア ランバード」(91年)


この年、東京で開催された世界陸上のため、ミズノはルイス、ジョイナーの2大スプリンターをCMに起用。ルイスは期待に応え、男子100mで世界記録(当時)となる9秒86をたたき出し見事優勝します。記録を実現したミズノのシューズづくりは、のちにNHK「プロジェクトX」でも取り上げられました。



この大会のテレビ中継でスペシャルレポーターを務めていたのは、“浪人中”だった長嶋茂雄氏。興奮しスタンドから「カール! ヘイ、カール!」と呼びかけたシーンはもはや伝説。ミズノのシューズがなければ、長嶋氏の名言も誕生していなかったかもしれません。


■バブル期、日本のスポーツ産業には「夢」があった。

バブル末期の90年、通商産業省(当時)がとりまとめた『スポーツビジョン21』によれば、89 年当時のスポーツ市場規模は6 兆円3184億円。将来の日本の経済成長とともに、10年後には12兆円を超えると予測されています。



多くの日本企業がこのビジョンに呼応し、スポーツ産業への投資を加速しました。象徴的なのはゴルフブーム。全国各地でゴルフ場の開発が進み、その会員権が数千万~数億円で取引されました。ミズノも90年、世界初のチタンドライバーを1本18万円で発売、大ヒットさせています。

91年11月に創設されたJリーグも、その流れのひとつに位置づけられます。ミズノは93年の開幕時、参加全10チームのユニフォームの公式サプライヤーを引き受けます。



ちなみに2010年、経済産業省が発表した調査では、国内のスポーツ産業の市場規模は約5兆5100億円(公営ギャンブルなどを含まない)。少子化の影響もあり、成長どころか、市場は縮小しています。そりゃ「フロージョ」の新作も登場しないわけです。

日本の高い技術を武器に、バブル期、ミズノは世界市場に向けて果敢な挑戦を続けていました。当時のヤングは、「ねるとん紅鯨団」などの番組やCMを通じ、ミズノの体育会系そこぢからをしっかり受け取っていたハズです。

その挑戦の姿勢は、創業111年を迎えた現在も変わりません。先ごろ公開されたこちらの動画も話題となりました。

●「WHAT'S "BEYOND"」



ミズノさん、プーマ×リアーナ、アディダス×ステラ・マッカートニーに対抗して、そろそろ「フロージョ」の超限定復刻いかがですか!

先行販売は原宿・竹下通りの「バレンタインハウス」あたりで!転売屋さんに気を付けて!

(バブル時代研究家DJGB)