なんと彫った全員が素人!1200体もの素朴すぎる羅漢像に癒やされる「愛宕念仏寺」
▲メガネをかけ、豪快に笑う羅漢像。よく見ると耳にはヘッドフォン、手には懐かしのカセットウオークマンが。嵯峨野の愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)にはこんなふうに常識を覆す仏像がいっぱい。いったいなぜ。その理由とは……
こんにちは。
関西ローカル番組を手がける放送作家の吉村智樹です。
こちらでは毎週、僕が住む京都から耳寄りな情報をお伝えしており、今回が42回目のお届けとなります。
さて、今週末から夏休みに入る学生さんが多いのではないでしょうか。夏の京都旅行のプランをたてている方も少なくないでしょう。
そこで! 今回は、人気観光地「嵯峨野」にありながら知る人ぞ知る、避暑と仏像鑑賞をともに楽しめる穴場をご紹介します。
実はここ、京都の他の寺院とは圧倒的に違うポイントがあるのです。
■境内を埋め尽くす1200体もの羅漢像はすべて素人が彫ったものだった!!
僕がやってきた場所は、嵯峨野エリアの北端にあたる愛宕山(あたごやま)のふもと。訪れる人もまばらな、静かな山ざとです。
京都特有の刺すような酷暑に見舞われる日でも、生い茂る樹々が陽の光をさえぎり、涼しく過ごせます。思いっきり背伸びをし、さわやかな山の空気を胸いっぱいに吸い込みたくなる場所なんです。
訪れたのは「愛宕念仏寺」(おたぎねんぶつじ)。8世紀の中頃に創建された愛宕寺を起源とし、平成28年に創建1250年を記録した永い歴史を持つ寺院。
▲嵯峨野のもっとも奥まった場所にある愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
▲周囲は森林で、寺院は霧に包まれている
仁王門をくぐると……まず驚かされるのが、斜面のいたるところに安置された、苔むした石仏(羅漢像)。アトランダムに置かれ、境内のなかなのに、野仏のような趣きがあります。
さらに歩みを進めると、お、おお、これは!
まるでサマーフェスの観客かのように、びっしり並んだ仏像が!。
▲霧に包まれた境内に苔むしたヘタウマ羅漢像が並ぶ光景は神秘的
▲まるでスタジアム席のように山肌の斜面にぎっしり
▲どの仏像もユーモラスでいい表情をしている
▲苔むし、風雪にさらされ、原型が心もとない状態なのも野趣があってよい
しかも一体一体の表情が大きく異なり、似たものはふたつとありません。なかにはアルカイックスマイルを通り越し、大笑いしている仏像も。
▲笑顔の羅漢さんが多い
いっそう目を凝らしてよく見ると……ボクサーだったり、テニスプレイヤーだったり、ギタリストだったり、夏目漱石の本を抱えていたり……と、ほかではまず見られない体育会系&文科系な仏像があちこちに。さらには猫やフクロウなど動物の姿も。
▲夏目漱石の本を胸に抱える
▲バッター
▲カメラマン
▲猫と一緒に
▲テニスプレイヤー
▲ボクサー
▲横になって眠っている羅漢さんも
▲2列目にはギタリストの姿も
いったいなにがどうなってこうなったのか。住職の西村公栄さん(62歳)にお話をうかがいました。
▲現住職の西村公栄さん。長く無人寺であったため、自分で何代目にあたるかという資料はもう残っていないのだとか
西村さん、ここにはいったい、どれくらいの石仏があるのですか?
西村
「ここには羅漢さんが1200体いらっしゃいます」
せ、せんにひゃくたい!
それはすごい数ですね。
「五百羅漢」はよく耳目にしますが、千二百体もの膨大な数の羅漢像には出会ったことがありません。
そのうえ作風も、ひじょうに独特なものを感じます。素朴で、ちょっとヘタウマふうな、愛らしい面持ちの羅漢さんたち。京都には数多の寺院がありますが、これほどまでに味のある顔つきの仏像には初めて出会いました。かなりのオリジナリティですが、どのような仏師の方がお彫りになられたのですか?
西村
「いえ、仏師ではありません。それどころかプロが彫ったものは一体もありません。下は小学生のお子さんから上は90代のおじいさんおばあさんまで、一般参拝の方の作です。つまりここにある羅漢さんはすべて素人が彫ったものなんです」
なんと、ここにある羅漢さんたちはみなアマチュアの作品でした。どうりで、いい意味で稚拙な味わいがあると思った。
■アマチュアの羅漢彫りは荒れ寺復興のために始まった
ではいったい、なぜ一般の方が羅漢さんを彫ることとなったのでしょう。これは愛宕念仏寺が辿った数奇な運命とつながっていました。実はこの愛宕念仏寺は平安時代に洪水で堂宇が流出して以降、興廃を繰り返し、昭和30年まで無人寺のままさびれ、放置されていたのです。
そんな荒れ果てた寺の住職に、西村さんの父・西村公朝氏が任じられました。平成15年に亡くなった西村公朝氏は東京芸術大学名誉教授をつとめた僧侶。美術院国宝修理所で修復のテクニックを学び、仏師・仏像修理技師としても名を馳せました。三十三間堂で十一面千手観音千体像の修理にも携わったほどの名技師で、一般向けの仏像解説書を数多く上梓されています。そんな優れた修理の腕が買われ、廃墟化した寺の復興をまかされたのです。
西村
「仏師であり仏像の修理ができた僕の父は、それゆえ住職に任命されました。でも檀家もいないし、収入源もない。当初は『こんな荒れ寺、よう継がん』と断ろうと思ったそうです。しかし清水寺の貫主・大西良慶さんから励まされ、自力で草を抜き、石を運び、本尊である腕がもげた慈面悲面千手観音仏像を修理し、80年代になってやっと拝観者を迎えられる状態にまで整備できました。そして『たくさんの人に参拝に来てほしい』と考え、昭和56年(1981年)から、一般の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』を始めたのです」
▲平成15年に亡くなった先代住職の西村公朝氏。世界に名だたる仏師・仏像修復師でありながら、素人には決してああしろこうしろとは言わなかった
▲集会所「羅漢堂」の天井画は先代の西村公朝氏が描きあげたもの。下描きもせず、周囲の人は完成するまでなにができあがるかわからなかったという
▲先代住職の西村公朝氏が彫った、大勢の羅漢さんたちに囲まれお説法をする姿でまつられた石のお釈迦様。やはり独特な作風である
▲西村公朝氏が描いた、なんともたおやかな筆致の仏画
一般の参拝者が羅漢像を彫るようになった理由は、荒れ寺の復興のためだったのです。その主旨に共鳴し、羅漢彫りを申し出る人が全国から殺到。当初は五百羅漢が目標でした。ところが申し込む人があとを絶たず、10年後の平成3年には千二百体に達し、これ以上は境内に安置する場所がなく、ついにプロジェクトは終了したのです。
現住職の西村公栄さんは、往時は副住職。ノミや槌を貸し出し、羅漢さんの素材となる凝灰岩(ぎょうかいがん)を運び、羅漢さんを彫る一般の方とともに石工のように汗しました。
■彫りあげた人々の表情はやり遂げた喜びに溢れていた
では、どういう方が申し込まれていたのでしょう。
西村
「羅漢彫りを希望した多くが女性でした。亡くなった夫を供養したい、先立った子供を供養したいなど、故人をいたみたいと願う人が多かったですね。『夫が趣味でサックスを吹いていたから』という理由でサックスを手にしている羅漢さんもあります。彫りあげたときは皆さん、すっきりと晴れやかな表情になって、やり遂げた喜びに溢れていました。『これ以上のいい供養はなかった』と言って帰られたときは、私どもも嬉しかった。はじめは寺を復興させることが目的でしたが、次第に人の心が集まる場所へと変わってゆき、そこに立ち会えることが私にとっても大きな喜びになっていきました」
羅漢彫りを終えた多くの人の表情が、訪れた時よりもまるくなったのだとか。
▲昭和56年(1981)から、素人の参拝者が自ら石を彫って「羅漢さま」を作り奉納する「昭和の羅漢彫り」が始まった
▲「羅漢彫り」を希望したほぼ全員が仏像どころか石彫そのものが未経験。絵すら描いたことがない人も少なくはなかった
▲石仏彫刻に使う道具は愛宕念仏寺が貸与し、危険がないように見守る以外に口を出さず、彫り方の指導はあえてしなかった
▲親子連れ、夫婦、恋人どうし、祖父や祖母と孫など複数名で羅漢像を彫りあげる人も多く、和気あいあいとした雰囲気の現場となった
▲下は幼年児、上は90代のお年寄りが羅漢彫りに参加した
▲彫り方の指導をしなかったにもかかわらず、誰しもが活き活きとした羅漢さまを彫りあげていった
とはいえ不思議です。一般の方がいきなり石彫を、しかも羅漢像を彫るなんてことができるものなのでしょうか。
西村
「石彫どころか絵すら描いたことがないという未経験の方ばかりでした。しかし父は『仏像とはこう彫るべき』というようなアドバイスはいっさいしなかった。羅漢さんは修業をして出家しているので剃髪が原則ですが、髪があったり、帽子をかぶる羅漢さんがいたりしても、とがめなかった。修行僧ですから飲酒などもってのほかですが、『夫が大酒飲みやったんで』と言って徳利を持つ羅漢さんを彫る女性がいても、父は『好きなように彫りなさい。あんたのやりたいようにやったらええ』と言いました。いっさいの定義づけをしなかったのです。危険がないかどうかを見守るほかは、口出しするようなことはありませんでした」
▲酒を酌み交わす羅漢さん。羅漢像は言わば仏道修行者の姿であり、飲酒は許されていないが、それすらもとがめず自由に彫らせた
▲猫耳の帽子をかぶった羅漢さん
三十三間堂の千手観音をはじめあまたの重要文化財を修復してこられ、卓越した技術と膨大な仕事量から“最後の仏師”と謳われた西村公朝氏が、一般の人に思うままに彫らせたという点に、氏の遺した言葉「あなたも佛」にもある仏教観が表れているように思います。
しかし……と、なおも食い下がります。モデルを模造することすら難しいのに、未経験の人がそこまでフリースタイルに彫れるものなのでしょうか。
西村
「考えあぐねている人に、父はひとつだけアドバイスをしていました。それは『この石のなかに、すでに羅漢さんがおられます。あなたが外に彫りだしてあげてください』と。そう言うと、みんなどんどんノミが進むようになるのです」
なるほど! イチからものづくりをするとなると、ゴールまでが遠すぎて、想像をカタチにできず、一歩踏み出すことすら躊躇してしまいます。すでにあるものを彫りだすのだと考えると着手できる。これは羅漢さんに限らず、日々の暮らしの中に採り入れるべき考え方だと思いました。
▲一般の方が思い思いに彫った羅漢像。ふたつと同じデザインのものはない
ここに並ぶ千二百羅漢は、国宝でも重要文化財でも、名のある仏師が彫ったものでもありません。
しかし縁あって同じ場所に集った1200人以上の、コク深い想いがあります。
これもまた基調で稀少なコク宝と呼んでもいいのではないでしょうか。
▲毎月24日には西村公栄さんの法話を聴くとこができる
天台宗 愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
住所●京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
拝観● 8:00~17:00 (閉門は15分前)
TEL&FAX●075-865-1231
拝観料●300円 (小・中学生 無料 団体割引・10名様より一割引)
駐車場●乗用車10台分
アクセス●阪急嵐山線「嵐山」駅発 京都バス『清滝行』に乗車し「おたぎでら前」下車すぐ
ULR●http://www.otagiji.com/
(吉村智樹)
https://twitter.com/tomokiy