長山洋子やWink、BaBe…バブルを感じる洋楽カヴァー10選

2017/6/21 10:30 DJGB DJGB

“ゾウのマーク”と言えばエバーノートでもマストドンでもなく、「ハンティングワールド」だろうというみなさんこんばんは、バブル時代研究家のDJGBです。

先ごろ大阪・ミナミに伝説のディスコ「マハラジャ」が25年ぶりに再オープン。バブル回帰ブームもとうとうここまで来ました。


現在ミナミで黒服をしているヤングはご存知ないかもしれませんが、「マハラジャ」と言えば、この男。


●成田勝「IN TO THE NIGHT」(87年)




当時、東京地区マハラジャ社長だった成田勝氏は、時流に乗ってレコード(!)デビュー。世界的にユーロビート旋風を巻き起こしていたマイケル・フォーチュナティの「IN TO THE NIGHT」を独特のセクシーな低音でカヴァーし、【歌うディスコ社長】として注目を浴びます。


海外が身近になった80年代、多くの日本人歌手が洋楽カヴァーにチャレンジし、世界の最新音楽トレンドをお茶の間に届けてくれました。ドラマ主題歌として大ヒットした石井明美「CHA-CHA-CHA」(86年8月14日)、森川由加里「SHOW ME」(87年10月26日)は、その代表格と言えます。

洋楽カヴァーは何もバブル期に限った話ではありません。が、今日はあえて86年~91年までのバブル期に発売されたものに絞って、時代の空気を感じられるカヴァーをご紹介。


●椎名恵 「今夜はANGEL」(86年1月1日)



84年の映画「ストリート・オブ・ファイヤー」の劇中曲「今夜は青春(「Tonight Is What It Means to Be Young」)」をカヴァー。というよりは、大映ドラマ「ヤヌスの鏡」の主題歌としてのほうが有名ですね。この曲でデビューした椎名は以降、「愛は眠らない」(原曲:「そよ風の誘惑 -Have You Never Been Mellow-」 オリビア・ニュートンジョン)、「愛はかげろうのように」(原曲:「愛はかげろうのように -I've Never Been to Me-」 シャーリーン)などの名曲カヴァーを立て続けにリリース。


●長山洋子「ヴィーナス」(86年10月21日)



もともとショッキング・ブルーの曲だった「ヴィーナス」を、イギリスの女性3人組バナナラマがカヴァーしリバイバルヒット。それをさらにカヴァーしたのが当時アイドルだった長山洋子でした。他にも荻野目洋子、黒沢ひろみといった女性シンガーが競作。JASRACの発表によれば87年度の楽曲別の著作権使用料分配額は、「CHA-CHA-CHA」に次いで第2位。原曲作者のロビー・ファン・レーベンには、87年の時点ですでに「ヴィーナス」バブルが到来していたのです。


●石井明美 「死んでもいい」(86年11月21日発売)



「CHA-CHA-CHA」の大ヒットで波に乗る石井明美は、映画「トップガン」の挿入歌として人気となったベルリンの「Take My Breath Away」を、映画が日本で公開されるよりも先にカヴァー。原曲では「Take My Breath Away~」だった部分が、日本語では「死んでもいい~」。独特の譜割りが妙に耳に残ります。


●BaBe「Give Me Up」(87年2月21日)



こちらもマイケル・フォーチュナティの大ヒット曲。原曲はしつこい女性に悩まされる男性の歌ですが、2人組の女性アイドルBaBeのデビュー曲ということで、少年少女向けの健康的な恋愛ソングにアレンジ。結果、Aメロ、Bメロの歌詞と、サビの「Give Me Up(私のことはあきらめてくれ)」が全くつながらない摩訶不思議な曲に仕上がっています。この曲も前出の成田勝、長山洋子ほか多くの歌手がカヴァー。




こちらは本家マイケル・フォーチュナティが「夜のヒットスタジオ」に出演した際にBaBeと共演したレア映像。どうしていいかわからずとりあえず手拍子するBaBeが健気です。


●真弓倫子「アイ・ハード・ア・ルーマー」(87年12月16日)



ババナラマ・バブルはまだまだ続きます。アイドル路線で伸び悩んでいた真弓倫子は、同じ事務所の長山洋子のヒットに続けとばかりに、サードシングルで「アイ・ハード・ア・ルーマー」をカヴァー。この年の夏にリリースされたマイケル・ジャクソン「BAD」を強く意識したPVもいい味出しています。


●KAYOCO 「Toy Boy」(88年1月21日)



シニータの原曲では「He's my toy boy, toy boy~」が、KAYOCOが歌えば「イヤ イヤ トーイボーイ」。オリジナリティあふれる日本語訳詞がインパクト絶大です。この曲は喜多嶋舞が主演したフジテレビ系ドラマ「ときめきざかり」の主題歌。ちなみに前出の真弓倫子「アイ・ハード・ア・ルーマー」は同じドラマの挿入歌です。


●和田加奈子「ラッキー・ラブ~I Should be so Lucky~」(88年5月25日)



88年になるとバナナラマ・バブルに代わり、日本にカイリー・ミノーグバブルが訪れます。その先駆けとなったのが、シンガーソングデザイナー(美大出身だった)こと和田加奈子でした。現在はマイク眞木夫人。


●Wink 「愛が止まらない ~Turn it into Love」(88年11月16日)



日本語ユーロビートブームを決定づけたのがWinkでした。Winkが活動期間中に発表したカヴァー曲は約60曲。中でも89年に発表したアルバム「Especially For You~優しさにつつまれて」は、カイリー・ミノーグとジェイソン・ドノヴァンのデュエットによるタイトル曲も含め全10曲中9曲がカヴァーという徹底ぶりです。


●M.C.コミヤ 「遣唐使です~ちょっと目立たない~」(91年7月5日)



原曲は言わずと知れたM.C. Hammer 「You can’t touch this」。コント赤信号の中でも目立たない存在だった小宮孝泰が、バブル末期、キラリと輝いた瞬間です。カヴァーというよりはパロディですが、少なくともジャケットのクオリティは他のカヴァー曲を大きく凌駕しています。



■まとめ:みんな、欧米に近づき、追い越したかった

90年に入るとユーロビートは急速に減退。それとともに洋楽カヴァーは徐々にヒットチャートから姿を消してゆきます。代わるようにして出現したのが、こんな人たちでした。

●A.S.A.P(1990年3月デビュー)



耳慣れたユーミン(松任谷由実)の曲を英語でカヴァーする黒人女性ヴォーカルグループA.S.A.Pのアルバムは、ムーディなドライブデートを演出するのに欠かせない1枚でした。

前年の89年にはレイ・チャールズがサザンオールスターズの「愛しのエリー」を英語でカヴァー。とうとう日本のポップスは、カヴァーする側から、カヴァーされる側になったのだ、と、どこか誇らしげに感じた方も多かったのではないでしょうか。

90年の年間オリコンランキング10位には、ダイアナ・ロスの「イフ・ウイ・ホールド・オン・トゥゲザー」(46万1940枚)がランクイン。同曲はあの長山洋子も日本語訳詞カヴァー(90年8月21日)していますがあまり話題にはならず、長山はこの曲を最後に、演歌歌手へと転身します。

もはやこのころには、日本の人々は、無理な日本語訳詞を必要としなくなっていたのかもしれません(だからこそ、M.C.コミヤの偉業は際立ちます!)。

冒頭にも述べた通り、洋楽カヴァーはなにもバブル期に限った話ではありません。が、バブル期のカヴァー曲には、他の時代とはまた別の、キラキラした魅力を感じます。そこには、大人も若者も真剣に欧米に追い付け、追い越せと走り続けた当時の日本の空気とともに、あれ、オレたちもしかしたら違う道を走ってた?という戸惑いも閉じ込められているような気がするのです。


(バブル時代研究家DJGB)