【約60年前の群馬県】現在は文化財!あの遊具も登場するカラー映像が興味深い

2017/6/2 21:45 服部淳 服部淳


どうも服部です。昭和の映像を紐解いていくシリーズ、今回はYouTubeにて「前橋市」(念のため……群馬県の県庁所在地)が公開している「「私たちの街 前橋」(昭和34年制作)」というタイトルをピックアップしました。昭和34年は1959年なので、約60年前の映像です。

本編が40分、最後におまけ(?)の企業広告映像が約3分付いた比較的長めの映像ですが、興味深い場面だけをかいつまんで紹介していきたいと思います。
※動画はページ下部にあります。


ホームに入ってきた国鉄・両毛線。70系でしょうか。


1927年(昭和2年)に建設され、1984年(昭和59年)に解体された前橋駅の先代駅舎です。


同駅の改札口のようです。


上毛電気鉄道上毛線の「中央前橋駅」。国鉄(現・JR東日本)の前橋駅からは約1kmの距離にあります。読みにくいですが、案内板には「桐生行電車30分毎発車」「浅草行急行電車毎日運転」と書いてあります。

書籍「東武鉄道のひみつ(PHP研究所)」によると、赤城~中央前橋まで上毛電気鉄道に乗り入れる形で、東武鉄道が浅草から中央前橋まで「赤城夜行」という急行を1956年(昭和31年)から1967年(昭和42年)まで運行していたようです。




映像の5分20秒ごろからは前橋の成り立ちの説明が始まります。前橋城があった場所に群馬県庁舎が建てられ、こちらの建物が、1928年(昭和3年)に建設され、現存する昭和庁舎(県庁本庁舎としては1999年まで利用)のようです。


荘厳な柱が特徴的なこの建物は、1923年(大正12年)に建設された県会議事堂だそう。




県庁周辺の施設として紹介された「前橋市消防署」。出動していく白い車は救急車のようです。ボンネットトラック型の消防車はこの手の映像でしばしば見掛けますが、救急車は珍しいかもしれません。


続いては、前橋市役所。手前にはボンネットバスの姿も。


市役所内の受付と思われます。赤電話(10円硬貨専用の公衆電話)が懐かしいですね。


ここから数分は、市議会や市役所、市長の紹介になりますが割愛します。


映像の13分14秒ごろからは、利根川沿いに位置する「前橋公園」の紹介となります。


同公園内、ミニ電車が走るのは、1954年(昭和29年)に市政60周年を記念して開かれた「前橋グランドフェア」を機に設けられた児童遊園地と紹介されています。


「音楽にのって上下する木馬」とナレーションに紹介されているのは、1954年の開園当時からあり、なんと2017年現在も乗ることができる「もくば」です。2007年には国の有形文化財に指定されているそうです(参考記事:毎日新聞)。




「まめじどうしゃ」と「ひこうとう」も開園当時からある遊具ですが、さすがに機体は替わっています。この遊園地、2004年に公募で改称され、「にっぽんいち なつかしい ゆうえんち」というコンセプトで営業している「前橋るなぱあく」のようです。入場料無料、乗り物は1回50円か10円は、開園当時から据え置きというのがすごい。


こちらは公園内の競輪場。1990年に屋内競輪場の「グリーンドーム前橋」が建設されるまで使用され、2006年に解体されたようです。




映像の17分8秒ごろからは、場所は確定できませんが、屋外プールを捉えています。水着姿の子供たちを見ていると、60年の時の隔たりを感じさせません。


プールの水飲み場。右側の女の子は、見ていて心配になるほどひたすら水を飲んでいます。




映像の18分48秒ごろ、太平洋戦争での前橋の被害を伝えています。終戦のわずか10日前、1945年(昭和20年)8月5日空襲を受け、県庁の周辺を除く、市の約80%失ったのだそう。




それから十数年経った昭和30年代前半の前橋です。「歳末大売出し」の看板が出ているので季節は冬。


群馬県で創業の新進食料工業(当時)が販売していた高級福神漬「新進漬」の広告ネオン。


映像の20分16秒ごろからは、当時黄金期を迎えていた映画の話題になります。ナレーションによると、当時の前橋には常設の映画館が全部で9あり、うち7館は日本映画を2館が外国映画を上映していたそう。

「日本映画は東京と同時上映なので、若い人たちの映画の話題も東京と少しも変わらない」というコメントから、映画以外では東京との文化格差が大きかったことが感じられます。


当時は外国映画を上映していた「文映」(2000年に閉館)。「生きていた男」「秘めたる情事」と、共に1958年(昭和33年)公開映画を上映中のよう。


こちらの映画館では、当時毎年のように上映されていた「海女」映画を上映しています。「海女の戦慄」(1957年)、「海女の岩礁」(1958年)、「人喰海女」(1958年)、「海女の化物屋敷」(1959年)、「怪談海女幽霊」(1960年)と、空前の海女映画ブームでした。


「七夕まつり」「敷島公園」の紹介に続き、映像の20分16秒ごろからは、「商工祭」の花火大会の模様が捉えられています。「前橋まるごとガイド」によると、現在8月に行われている花火大会は、以前は10月の商工祭(1959年より「前橋まつり」に改称)で行われており、今ではお馴染み「空中ナイアガラ」は、ここ前橋が発祥なのだそうです。


映像の28分18秒ごろからは次のシーンに。行列ができているのは、前橋駅前の赤城行きバス乗り場。


赤城山ポータルサイト」によると、「昭和の初めには日本を代表するスキー場のひとつとして名が挙がるほどだった」という赤城山。昭和30年代でも結構賑わっています。その後人気は低迷し、1998年(平成10年)には一旦営業終了したものの、現在では営業再開しているようです。




昨今、ほとんど見掛けなくなっているシングルリフト。鹿島建設のHPによると、1947年(昭和22年)に進駐軍が日本にリフトのシステムを持ち込むまで、日本のスキー場にはリフトもゴンドラもなかったのだそう。

映像の32分12秒ごろからは、前橋の産業(製糸工場や木工業)、市の建設状況、農業についての紹介があり……、


映像の36分14秒ごろには、ナレーションいわく「全国的に知られるミラクルの製造工場」が紹介されています。「ミラクル」とは、先出の「新進漬」の新進食料工業(当時)が1949年(昭和24年)から製造・販売している、「味の素」と同類のうま味調味料の商品名です。


株式会社新進のHPから引用

同HPによると「相次ぐ大手企業の参入などによる競争激化に伴い、1973年(昭和48年)に製造を中止し」たそうですが、業務用ではまだ取り扱っているよう。


続いて紹介されるのは、クリームサンドの製造工場。商品名は不明です。その後、まとめのナレーションとクレジットタイトルが流れて、本編は映像の39分38秒で終了します。


最後の4分弱には、冒頭で紹介した通り、玉糸工場や食堂、旅館、銀行などのPR映像が収められています。旅館の宿泊料が1泊食付きで850円から1500円という低料金に驚いてしまいますが、高卒公務員の初任給(昭和34年)が6700円の時代です。


PR映像で一番目を引くのが、「但馬屋の高級クリームサンド」のパッケージ。先程の工場で作っていたのは、この商品だったのでしょう。




群馬県の銘菓、原嶋屋さんの焼きまんじゅうのPRも。そして、鯉が泳ぐ池が映し出されたところで映像は終了します。恐らくまだ続きがあったのだと思われますが、残念です。



四十数分ある映像を、わずか40枚ほどの画像をかいつまんで紹介しているので、ほとんどを割愛しています。ご出身が地元の方なら、あれやこれや懐かしい場面も含まれていることでしょうから、ぜひご高覧ください。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

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※参考文献
・東武鉄道のひみつ/著者:東武鉄道(PHP研究所 2013)

【動画】「「私たちの街 前橋」(昭和34年制作)」