100年前の美少女を巡る三角関係…SM趣味の富豪夫が有名建築家愛人を銃殺

2017/4/20 18:00 星子 星子





1906年のニューヨークで、小鹿のような美少女イヴリン・ネズビットを巡って、愛欲にまみれた凄惨な殺人事件が起きました。

今回は、虫も殺さぬ天使のような顔でハリウッドの富豪を惑わせ、ついに三角関係から歴史に残る殺人事件を巻き起こした女優、イブリン・ネズビットを、写真や当時の著名な画家が描いた肖像画とともにご紹介します。


(※スミレに例えられた瞳が美しいイブリンのアップ)

イブリン・ネズビットは、作家L・M・モンゴメリが彼女をモデルに『赤毛のアン』のアンを造形したと言われる、花のように可憐な美少女です。



(※当時のイブリンのポートレイトと、チャールズ・ダナ・ギブソンやミュシャなどの画家が描いた肖像の数々)

同時に、彼女の夫であったハリー・ソウが、彼女の元恋人で結婚後も関係のあったスタンフォード・ホワイトをミュージカル上映中に撃ち殺すという、センセーショナルな“スタンフォード・ホワイト殺害事件”を巻き起こした魔性の女でもあります。この事件は後に「引き裂かれた女」(ロード・シャブロル監督)をはじめ、繰り返し映画化もされています。

こちらは、19世紀末から20世紀初頭に優美な女性を描いて一大ムーブメントを起こした人気イラストレーター、チャールズ・ダナ・ギブソンが描いたイブリンです。



(※ ギブソンが繊細なタッチで描いたイブリン)

彼の描く女性はギブソン・ガールと呼ばれ、その儚げでフェミニンな美しさは、ギブソンタックと呼ばれるヘアスタイルとともに大流行しました。


(※花瓶を持つイブリン。肩のラインが流麗でセクシー)

イブリン・ネズビットは1884年、ペンシルバニア州のピッツバークにほど近い町で、弁護士の父と、ビクトリア朝時代の古風な価値観を持つ母親の間に生まれました(1886年という説もあります)。1895年に父親が急逝し、家族は困窮します。


(※透ける布をまとってポーズをとるイブリン。16歳の頃の写真です)

一家はフィラデルフィアへ転居した後、家族で百貨店の販売員として働き始めます。当時14歳だったイブリンの美貌は評判を呼び、様々なアーティストのモデルをつとめるようになります。


(※聖母のようなモナリザスマイルを浮かべるイブリン)

その後、ニューヨークに移り住んだ一家は、イブリンのモデルとしての給与をあてにするようになります。次第に売れっ子になった彼女は、1901年に、ミュージカル『フロラドーラ』のコーラスガール大抜擢され、清楚可憐な美貌で男性ファンを魅了し人気女優となります。


(※肩を出して妖艶に微笑むイブリン)

そんな中彼女は、後の殺人事件の被害者になる47歳の著名な建築家スタンフォード・ホワイトと出会います。マジソン・スクエア・ガーデンを手がけた高名な建築家であるホワイトは、コーラスガールに手を出す「女好き」で悪名高い人物でした。


(※カラー写真風に色付けされたイブリン。現代の女優風で親近感を感じます)

案の定彼は、イブリンを「ポートレイトを撮ってあげるから」と誘い出し、16歳の彼女に手を出します。彼女は後に、「酒に酔わされて気がついたら純潔を奪われていた」と証言していますが、「イブリンにはホワイトの前にも恋人がおり、この説は疑わしい」との見方もあります。

その後も、イブリンは裕福なホワイトの支援を受けながら女優活動を続ます。お互いモテる業界人同士のつかず離れずの関係で、ともに他に浮名を流しながらも、関係が切れなかったと言われています。

イブリンは一時期、当時若きイラストレーターで後に人気俳優となるジョン・バリモアとも交際していました。女優のドリュー・バリモアの祖父にあたる人物です。彼女の男性遍歴の中で最もまともに思える交際でしたが、彼がまだ若く、富豪というほどの資産が無いという理由で家族は難色を示し、イブリン自身も彼のプロポーズを断っています。



そんなイブリンが、大富豪の息子、ハリー・ソーと結婚したのは1905年。ハリー・ソーは1903年に劇場でイブリンを見初めると熱狂的なファンになり彼女を口説き始めますが、そんな彼のアプローチにはストーカー的な執拗さがありました。さらにハリー・ソーは社交界でも札付きのクレイジーな男性でした。


(※牙をむく熊を踏みつけるイブリン。ハリーとの関係を想像すると意味深です)

売春宿で未成年の少女を買ったり、女性を鞭打って訴状を出されたりとスキャンダラスな人物で、サディスティックな性癖を持っていました。実際イブリンも彼に城に2週間監禁され、鞭で打たれるなど暴行を受けたと証言しています。

いくら大富豪とはいえ人気女優のイブリンが彼と結婚したのは、長年の恋人のホワイトが妻と別れず、さらに新しい女に手を出し続けたことに対する当てつけだと噂されました。

男運の悪いイブリンですが、同じ女好きでも、ハリー・ソーはスタンフォード・ホワイトよりさらにたちの悪い、暴力的な女好きでした。さらに、イブリン自身も、ハリーと結婚後もホワイトとの関係を切れずにいた、と言われています。


(※着衣であるにもかかわらずセクシーな一面を強調したようなイラスト)

当時は、結婚において処女性が重んじられる時代でもありました。熱烈なファンだった清純可憐なアイドルを財力で妻にしてみたら、すでに彼女の純潔は奪われていた。しかも、その相手は未だに妻と通じている。ただでさえ暴力的で支配欲が強いストーカー気質のハリーは逆上します。

1906年6月25日、マジソン・スクエア・ガーデンのテラスの劇場で『マドモワゼル・シャンパーニュ』というミュージカルが初日を迎えた日、事件は起こります。


(※うなじが美しい横顔のイラスト)

その劇場で、因縁のスタンフォード・ホワイトとハリー・ソーが鉢合わせしました。ホワイトがイブリンの薔薇の花束を贈ったことに腹を立てていたハリーは、ホワイトに近づき頭頂部を銃で撃ち、公衆の面前で殺害してしまいます。

大都会ニューヨークの名士が集う劇場で、衆目にさらされながらも堂々と人殺しをやってのけたハリー・ソーは、財力に物を言わせ死刑を免れ、精神病院に収監されました。


(※豊かな胸の谷間が悩ましい写真)

刑期を終えて出所したハリーは、その後も度々少年や少女にたいする性的暴行で罪に問われ、金の力でもみ消し続けます。

対するイブリンは1910年ハリーとの間に息子を1人設けますが、当のハリーは父親であることを否定したとも言われています。




(※息子を抱くイブリン。少女のように愛らしい息子の虚ろな瞳が意味深です)

イブリンは長い別居の後、1933年にハリーと離婚します。そして、1947年にハリーが死去すると、10,000ドルの遺産を受け取り、1967年、82歳で生涯を閉じました。


日本でも大人気の、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー、アルフォンス・ミュシャ もイブリンの肖像を描いています。


(※ミュシャの描いたイブリン。意志の強そうな瞳)

上の右側がミュシャの描いたイブリン。下の右側がギブソンの描いたイブリンです。男性の夢の女を体現したような甘く切なげなギブソンガールのイブリンと比べると、ミュシャの作品では瞳に妖しい魔性を宿しているようにも見受けられます。

彼女を“物言う花”のようにたおやかに描いたギブソンに対し、悪戯な妖精のように描いたミュシャ。作風の違いはあるものの、並べて眺めると興味深い差異を感じます。



女好きの遊び人スタンフォード・ホワイトに誘惑され、サディスティックな性癖を持つストーカー、ハリー・ソーに監禁されるほど熱烈に求められながら、2人を天秤にかけて競わせ、ついには殺人事件を巻き起こしたイブリン・ネズビット。



チャールズ・ダナ・ギブソンの描いた、いかにも男に翻弄されそうないたいけな美少女の顔と、ミュシャの描いた、ある種の不遜さすら感じる笑みを浮かべる大人の美女。奇しくもどちらも横顔です。村上春樹の小説、『騎士団長殺し』(新潮社)の中に、

<よく見るとその女は、右半分と左半分とではなんだか別人みたいに見えるんだよ。映画の『バットマン』に出てきた、左右でまったく顔の違う悪党がいるだろう。トゥーフェイスっていったっけな(第二部275ページ)>

という一節がありますが、まさにイブリンはそんな二面性を持つ人物だったのかもしれません。20世紀初頭を代表するイラストレーター2人が、1人の美少女の中に異なる性質を見出したと想像すると、よりいっそう彼女の肖像が魅力的に見えてきます。

【参考】

※Keith York City - Murder at Madison Square Garden

※週刊マーダーケースブック - ディアゴスティーニ

※騎士団長殺し - 村上春樹 - 新潮社

(星野小春)