【昭和14年】戦地の兵隊さんへ送った福袋!?「慰問袋」の中身とは

2017/4/11 19:45 服部淳 服部淳


どうも服部です。昭和の映像を紐解いていくシリーズ、今回はYouTubeにて公開されている「銃後憂ひなし」というタイトルの短編映画をピックアップしました。「銃後」とは「直接戦闘に携わっていないが、間接的に何かの形で戦争に参加している一般国民(goo辞書)」を意味します。
※動画はページ下部にあります(前編、後編に分かれています)。






冒頭からしばらく、日本兵たちの姿が映し出されます。YouTubeのタイトルによると、昭和14年(1939年)の映像のようなので、日中戦争開戦2年後という時代から中国の戦線かと思われます。


映像1分13秒頃からは、ランドセルを背負った子供たち4人が仲良く手を繋いで歩いていきます。「今日も学校へ行けるのは 兵隊さんのおかげです♪」という歌詞の「兵隊さんよありがとう」という題名のBGMが、時代背景をよく表しています。


「慰問袋と手紙をありがとうございます。私たちの一番うれしいのは、慰問袋を手にしたときです」に始まる手紙を画像左手前の女性が読み上げていきます。慰問袋を送ってくれたことへのお礼状のようです。

この「慰問袋」が、この映像の主題となっていきます。平和祈念展示資料館の「用語一覧」から引用すると、慰問袋とは
“戦地の兵士を慰問するため日用品や娯楽用品、雑誌、御守り、手紙などを入れて送る袋。満州事変勃発の際、新聞社の提唱で慰問袋を送る運動が大々的に展開され、日中戦争ではさらに大量の慰問袋が送られ、銃後と前線を結んだ。”

というもので、まさに日中戦争交戦中の当時に盛んに送られていた物のようです。なお慰問袋は送る相手を選ぶことはできず、基本的に見ず知らずの兵隊さんが受け取ることになります。


手紙を読む女性の左隣に座って聞いている学生服を着た少年が、この映像での中心人物となります。


帰宅すると、この少年にも慰問袋のお礼状が届いていたようで、縁側に座って読み上げます。「シンロウ」君というお名前のよう。シンロウ君が送った慰問袋を受け取った兵隊さんには、シンロウ君と同じくらいのお子さんがいるそうで、住所を記し、そちらへ行く機会があれば一緒に遊んであげてくださいと述べています。


シンロウ君の後ろで椅子に座っているのは、お姉さんのようです。なんとお美しい方でしょう。


これは、シンロウ君が描いたお姉さんでしょうか。お礼状の兵隊さんは、シンロウ君の絵のうまさを褒めていました。


お姉さんは編み物をしているようです。


「東京市長」の字幕。1939年(昭和14年)4月24日から市長を務めた頼母木桂吉氏のようです。東京市とは、現在の東京23区のエリアにあたります。

「昭和13年12月には200万を突破し、本年5月におきましては実に250万個に」と、慰問袋が順調に集まっていることを報告していることから、時代は昭和14年で間違いないようです(頼母木市長は在任中の昭和15年2月に死去)。


「愛国婦人会」のたすきをかけた女性たち。慰問袋の募集や発送、出征兵士の見送りなど銃後での活動の他、婦人職業紹介、花嫁紹介まで行っていた団体でした。当時は他に「大日本婦人連合会」、「大日本国防婦人会」と同様の婦人会がありましたが、1942年(昭和17年)に3つが統合され、「大日本婦人会」となりました。




一軒一軒、お宅を訪問して慰問袋の募集のお願いをして回る婦人会のメンバーたち。


このような裏路地のお宅もシラミ潰しに回っていきます。手前は酒屋さんでしょうか。


配っていたのは、「慰問袋募集に就て(ついて)」というお知らせ。


注意事項として、
・慰問文は必ず同封
・募集日時は昭和14年3月24日と25日の2日間
・袋は日本手拭2つ折りの大きさ
・寄贈者の住所氏名は紙に書いて袋の中に
・内容は1個約1円程度

また、内容品についても細かな注意があり、夏季、冬季での推奨内容や、日用品、薬品、食料品、その他の項目別品目も書いてあるようです。


このあたりから映像は後編に。こちらの女性は巻紙に毛筆で慰問文を書いています。昨今なかなかお目にかかれない光景です。


そして、シンロウ君も慰問文を書き出し、その内容の音読が始まります。「兵隊さん、お元気ですか? しっかりやってください」、今日の感覚だと上から目線のようにも聞こえますが、文章のニュアンスもいろいろと変化していくものです。


こちらは初登場のお母さん。「今、お母さんは僕のそばで慰問袋の袋を縫っています」。


そして、お姉さん再登場。「姉さんは兵隊さんに送るのだと言ってセーターを編んでいます」。編み物をしていたのは、これだったのですね。

「僕は、僕が描いた図画と、それから僕が貯めた85銭でチョコレートとキャラメルを買いました。食べてください」。こんな慰問袋をもらったら感泣してしまいそうです。


「また兄さんやお父さんは、雑誌や小さい人形など買ってきました」。受け取る兵隊さんの趣味に合うといいですね……。


「お隣のイズノくんのところでも、いろいろ工夫を考え、兵隊さんの一番喜ぶ物を送るのだと言っていました」。こちらは将棋や、ブロマイドのようなもの。


羊羹に缶詰、そして画面左手前にはタバコの「ゴールデンバット」(参照画像)と、その後ろには同じくタバコの「光」(参照画像)が見えます。タバコの右隣は清酒の白鶴でしょうか。


こちらは洗面用具類ですね。右から石鹸、カミソリ、ライオン煉歯磨と歯ブラシ、一番左の箱は南京虫(トコジラミ)の薬のよう。


見えにくいですが、越中褌(ふんどし)でしょうか。


可愛らしい少女のイラストの封筒に入れた慰問文に、爪切りと耳かきですかね。


「でも、僕の家の慰問袋を受け取った兵隊さんが一番喜ぶようにしたいと思っています」と手紙を締めくくり、お姉さんを描いたと思われる図画を、慰問袋に入れるため半分に折ります。


中身を入れた慰問袋です。パンパンに膨らんでいます。差出人の住所は「東京市杦(杉)並区」。


いろいろなお宅から慰問袋を持って出ていく様子を映しています。こちらは果物屋さんでしょうか。


集積所に持っていくと、それをリヤカーで運び。トラックに載せられ……、


お役所の建物なんでしょうか、室内に運び込まれ文字通り慰問袋の山となっています。


慰問袋も個性それぞれ。




慰問袋を箱詰めしていきます。宛先は「中支日中(友)部隊行」ということで、中国へ送るようです。




「慰問袋二百万突破祝賀会」なるものが開かれ、東京府知事の岡田周造氏が登壇しています。


「二百萬突破を感謝す」などといった幕を下げたトラックの列は、慰問袋を輸送しているものだと思われます。


その後、船に積み替えられ……、


到着した慰問袋。




兵隊さん一人ひとりに手渡されていきます。何が入っているのか全く分からないのが、福袋のようでワクワクですね。


そしてこの表情です。


手前の2人の兵隊さんは、自分がもらった物を見せ合いっこしています。


「戦いが続く限り、この真心がこもった慰問袋の弾丸を撃ち続けようではありませんか」という勇ましいコメントで映像は締めくくられます。



兵士と銃後の国民との心温まる親交のツールとなり、企業も慰問袋用に特別商品(キャラメル、ウイスキー他)を出すなど、国を挙げての一大キャンペーンとなった「慰問袋」活動でしたが、太平洋戦争が始まり、やがて物資が枯渇していくとともに、先細っていったそうです。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

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【動画】「銃後憂ひなし《前編》昭和14年 キャンペーン映画」


【動画】「銃後憂ひなし《後編》昭和14年 キャンペーン映画」