【約70年前の日本】深刻な内容なのにギャグっぽい演出!昭和21年の苦しい生活事情を伝える短編映像
どうも服部です。昭和の映像を紐解いていくシリーズ、今回はYouTubeにて公開されている「生活費500圓(円)」という短編映画をピックアップしました。
※動画はページ下部にあります(前編、後編に分かれています)。
第二次大戦終戦後に起きた激しいインフレ対策として、政府は1946年(昭和21年)2月17日に「預金封鎖」という金融緊急措置令を実施しました。
こちらが「預金封鎖」が始まった日の朝日新聞1面です(クリック/タップすると、拡大版が見られます)。「けふ(今日)から預金封鎖」、「給料、五百圓(円)まで現金」、「月額三百圓(世帯主)百圓(世帯員一人)」という縦書きの見出しが読み取れます。
「新円切替」とも呼ばれる、この「預金封鎖」を簡単に説明すると、
1.金融機関に預けてあるお金を自由に使うことができなくなる(制限がかかる)。
2.給料は500円まで現金でもらえるが、それを超える金額は金融機関に預け入れられる。ちなみに、当時の大卒の勤め人の初任給は400〜500円だったそう(参考記事:毎日新聞)。
3.新しい紙幣(新円)を発行し、この当時流通している10円以上の紙幣(旧円)は、同年3月3日以降は無効になる。ただし、期限内に金融機関に預け入れすれば、自動的に新紙幣に切り替わる。
市場に出回る現金を極力減らすことで、これ以上のインフレを抑えようとする非常措置だったのです。
タイトルの「生活費500円」とは、預金がほとんどなく、共働きでなく、500円を大幅に上回る給料をもらっていない世帯は、1ヵ月500円以内で過ごさなくてはならないということを意味しています(画像は昼夜兼行して新円を造幣しているところ)。
そして、「1世帯あたり月500円」で本当に暮らしていけるのか、政府はちゃんと生活できるということを示すために、モデル家計簿を公開したようですが、それに照らし合わせて検証していくのが、この映像の主旨となっています(画像は新円の最高額紙幣、聖徳太子が肖像画の100円札5枚)。
まず、政府が考える1世帯あたりという基準は
夫37歳(歯磨き中)、
妻31歳(家の前で煮炊き中)、
子供は13歳、8歳、4歳の3人の5人家族だそう。
生活費を、こちらの9つの項目に分けて考えていきます。
まずは住居費に関して。500円の生活費のうち住居費に割り当てられるのは53円。家賃の想定は35円だそう(家賃が生活費の10分の1にも満たないとか、現代の都市圏に住んでる者には羨ましい限りですが)。
住居費には家賃の他、修繕費、家具、水道、什器などの支払いも含まれているので、やかんを買い替えようにも、こちらは25円16銭だそうで、住居費合計の53円から家賃35円を引いた18円では足りません。買えないという演出で、画面からやかんがスッと消えていきます(やかんが家賃と10円しか違わないとか)。
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この炊飯釜は44円30銭するので3分の1しか買えません、とこの演出。
映像の3分56秒ごろからは、教育・修養・娯楽費について。予算の合計は示されませんが、さまざまなものの値段が紹介されていて興味深いです。まずはラジオ聴取料が2円50銭。現在のNHKのテレビ受信料のように、ラジオも1968年(昭和43年)まで聴取料(1950年から受信料に名称変更)を徴収していました。(参考資料)
ちなみに、ラジオ聴取料は1950年(昭和25年)4月には50円と、20倍の金額に。いかに当時のインフレが凄かったかを物語っています。
新聞購読料は月5円。ノートや筆記用具など、2人の子供の学用品が月6円。
子供の絵本・雑誌が月8円。真ん中に見えるのは、現在も発売されている「子供の科学」。なんと1924年(大正13年)創刊なんですね。
こちらは日比谷映画街のようです。政府は娯楽費の中に映画代なども含むと言っている、とナレーション。しかしながら、教育・修養・娯楽費は残り2円50銭。
日比谷映画劇場HIBIYA THEATREと思われる映画館では、ポール・ルーカスがアカデミー賞主演男優賞を受賞した作品「ラインの監視」を上映中のようです(日本公開1946年3月28日)。
同映画館の観覧料は5円1銭という随分と中途半端な金額。3円34銭の料金と1円67銭の入場税(料金の50%)の合計です。残念ながら政府の考える予算では、この映画は見に行くことができません。
中村吉右衛門劇団の歌舞伎公演では、
A席が20円00銭。B席が8円00銭。料金と税金が半々で、入場税は100%となっています。こちらはさらに予算オーバー。
1946年3月3日付けの朝日新聞によると、当時の入場税は料金が3円50銭未満のものは50%、それ以上が100%、日劇など特殊映画や劇場が200%となっていたそうです。
映像の4分53秒ごろから交通費の話題となります。1ヵ月の交通費に割り当てられているのは33円。
ただし都心は戦争が終わったばかりで、このありさま。ナレーションいわく「バカバカしい戦争をやったおかげで、都心ではほとんど住宅という住宅はありません」と、郊外から通わざる得ない現状を語っています。終戦翌年で「バカバカしい戦争」と公言できるまで、世の中は変わっていたんですね。
昭和21年3月23日より有効の新橋ー池袋間の定期券。東京での定期券の平均額は32円85銭だそうで、そうなると月に使える交通費は、お父さんの通勤定期代でほぼ終わってしまいます。
このように、家族そろっての汽車旅は、もってのほかです。と、客車に向かっていた人たちが、階段方向へ逆戻り。フィルムを逆回転しているのかと思いきや、みなさん逆回しの演技をしていました。結構練習したのではないでしょうか。
被服費は1世帯、年400円を基準にしているそうで、月にすると33円ほど。ただ、配給はほとんどあてにならないようで、ボロのまま過ごすしかないよう。
闇市の履物屋さんでしょうか。
足袋や下駄も被服費に含まれるのですが、下駄に45円の値札。ここまで見てくると、当時の物価の感覚がつかめてきて、この値段が安価でないことがすぐに分かります。
革靴にいたっては、修繕だけで50円から70円するそうで、これは諦めるしかないですね。
映像の7分22秒ごろからは、保険・衛生費について。映っているのは銭湯の建物です。保険・衛生費の月額は39円で、うち入浴は週わずか1回、家族5人で10円だそう。週1回はつらいですね。
散髪代は子供も入れて、1世帯で月8円だそう。
「これでは子供は頭を半分だけ刈れば、それでおしまいです」とナレーション。本当に半分だけ刈られています(半分だけ刈っても、1人分のお金を取られると思いますが)。
こちらは薬屋さんのようです。他にも石鹸とちり紙で1円、保険が5円、風邪薬や胃腸薬などの薬代で10円が割り当てられているようで……、
お母さんの化粧品については、諦めるしかないと、化粧品がフェードアウトしていきます。
子供が病気をしても、残りは5円なので病院に連れていけません。ナレーションいわく「病気のほうに家計簿を充分納得してもらう以外には手はありません」とのこと。
ここから《後編》の映像となります。嗜好品は合計23円。お酒が配給として2級酒5合で7円50銭で、タバコは1日5本として6円(いやいや、お酒やタバコを削ってでも子供の医療費に回したほうがいいのではと思うのは、当時の考えでは的外れなのでしょうか)。
「すると、ピースやコロナはいったい誰に買わせるために売っているのでしょう」とナレーションは疑問を呈します。ピースは現在でも販売されているロングセラー銘柄、コロナは逆に1年ほどで販売廃止になった商品のことです。これら商品は、配給タバコとは異なる「自由販売」タバコであり、ピースの値段は10本入り7円。先程の1日5本という喫煙量で計算すると、月間115円かかるという高価なものでした。生活費500円ではとても買えません。
嗜好品代からお酒とタバコ代を引くと、残りは9円50銭。このお金で子供たちにミカンを買ってあげると、8個だけ買えるようです。3人の子供で分けると、1人分はたったこれだけです(1ヵ月分)。
光熱費も供給量は決まっていて、電気は20キロ(ワット)、ガスは10立方メートル。ガスコンロをつけても、この程度の火力で、ナレーションいわく「お湯を沸かす程度でご飯は到底炊けない」のだそう。
木炭や薪の1日分はこの程度。「ぬるいおみおつけと、半煮えのご飯しか食べられない」とナレーションは言います。
こたつに入っている親子。しかし現実は、いくら寒くても暖房などは……、
思いも及ばないよう。こたつは幻だったようです。
そして、生活費で一番大切なのは飲食費です。政府の想定では月237円。内訳は主食(お米など)が月100円、副食(おかず)が、農林省の計画通りに配給がされるなら月117円となるそうです。ちなみに、戦中・戦後の配給は有償配給であり、政府が無償で配っているわけではありません。残りは調味料代の20円で、計237円。
生活費のほぼ半額を占める飲食費ですが、1人分の1日の量はたったこれだけ。
さらに朝、晝(昼の旧字体)、夕食に分けるとこうなります。お父さんの摂取カロリーは1日1320kカロリーとナレーションは伝えていますが、そんなにありますかね?
これだけのカロリーで働きにいくのなら、できるだけ消耗しないように、ゆっくりと歩かなくてはなりません、とナレーション。
満員電車で通勤(1日4時間)するだけで、すべてのカロリーを使い切ってしまうと言っています。
なんとも珍しい、昭和20年代初期の電車内の様子です。中吊り広告、つり革、混雑ぶりと、現代とあまり変わらない気もします。
電車の運転手さんの映像も貴重です。
我慢しなくてはならない時代だとしても、大人は最低2160kカロリーは取る必要があり、こちらの画像の献立がそれにあたるようです。
闇市のようです。政府の配給で足りない分は、否が応でも闇で買わなくてはならないとナレーションは訴えています。実際、山口良忠氏という判事が、闇の食料を拒絶したために栄養失調になり、亡くなったという例もありました(Wikipedia記事)。
ブラックマーケットの値段なので、当然安くはなく。映像に映るそれほど大きくない皿に載った食料でも10円の値札が付いています。一番安い闇値で野菜やさつまいもを買ったとしても、1日あたり21円80銭はかかるそうです。
そうなると、月間赤字はなんと604円。
こちらは預金通帳。冒頭の新聞に、世帯主は月300円、その他の家族は1人月100円まで預金を引き出すことができるとありますが、戦争で儲けた人以外では、ほとんど預金が残っている人はいないというのが現状だそうです。
仮に預金があるとしても、皆がお金を下ろして使えば、インフレは進むことになり、さらに生活は苦しいものになってしまいます。
その結果待っているのは、飢餓と餓死だけではないでしょうか、とナレーション。それを避ける方法は、「生産を増強」、「配給だけで生活できるようにすること」、「物価を下げること」の3本柱であることは分かり切っているのになぜできないか。
金持ちや物持ちに味方する政府が悪い、だから労働者諸君よ、みんなで闘おう!という結論にて映像は終了します。
このように「耐乏生活」を強いられた「預金封鎖」でしたが、インフレに歯止めをかけるに至らず、1949年にドッジ・ラインという財政金融引き締め政策が実施されるまでハイパーインフレは続きました。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。
(服部淳@編集ライター、脚本家)
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【動画】「生計費500円《前編》昭和21年 短編映画」
【動画】「生計費500円《後編》昭和21年 短編映画」