【昭和30年初頭】集団就職で離れ離れになる兄弟がせつなすぎる

2017/3/15 17:52 服部淳 服部淳


どうも服部です。昭和の映像を紐解いていくシリーズ、今回はYouTubeに投稿されている『昭和30年初頭、「巣立つ」』というタイトルをピックアップしました。
※動画はページ下部にあります。


冒頭に表示される「希望訪問」のテロップ。1957年(昭和32年)から1959年までNHKで放送されていた教養番組の番組名のようです。


この回は「集団就職」について取り上げているようです。こちらは福島県・喜多方地方の中学校の卒業式の様子。卒業生の4分の1が、集団就職で故郷を離れるのだそうです。


集団就職については、以前に公開した記事でも触れていますが、東京など大都市での高校進学率が高まると、工場や中小企業などでは人件費抑制のため、東北や九州などから中学卒業者を大勢雇い入れるようになったのです。文部科学省の資料によると、昭和33年の東京都の高校進学率は74%だったのに対し、九州や東北などでは40%前後とかなり開きがありました。


友達だけでなく、家族とも離れ離れになり、しかも学生時代も終わりになると思うと、込み上げてくるものもさぞ大きいことでしょう。


このドキュメンタリーで中心に捉えられる佐藤さんのお宅です。最後の夕食は、お父さんがそばを打ち、


弟さんが餅をついてくれています。


画像右が集団就職に出る佐藤さんでしょうか。


瞬間しか映りませんが、食卓の全体像からは、しんみりとした空気が伝わってきます。


特に説明はありませんが、この女の子も集団就職者でしょうか。バス停のある村まで徒歩で向かっているようです。


ナレーションはさらっと「雪山を6里」と言っていますが、1里は約4kmなので約24km。平坦な道でも5時間は掛かる距離です。すれ違う人々と挨拶を交わしていきます。


馬の顔を撫でて別れを惜しんでいます。ナレーションいわく「田んぼの忙しい時は代掻き(しろかき)を一緒にやった馬ともお別れです」。代掻きとは「田植えのために、田に水を入れて土を砕いてかきならす作業」のこと(goo辞書より)。


出発当日を迎えたようです。




一旦学校に集まったのでしょうか。皆、荷物持参です。「3年前から始まった集団就職」とナレーション。集団就職は1954年(昭和29年)から始まったようなので(参照)、1957年頃のことと思われます。


国鉄(現・JR東日本)磐越西線の喜多方駅にやって来ました。




すでに列車に乗り込んだ子供たちは、不安そうな表情で窓から身を乗り出しています。親御さんを探しているのでしょう。


最後に子供の世話をするお母さん。


泣き出してしまう女の子たち。お母さんの「泣くな~」という声がとてもせつない。


別れの紙テープがわたされます。


いよいよ列車が出発。すると、佐藤さんの弟さんが列車の窓枠を掴んでホームを併走します。お兄さんの顔を何度も見返すシーンに、思わず目頭が熱くなります。

GIFアニメで切り出したのがこちらです(クリックまたはタップすると再生/停止します)


悲しんでばかりはいられません。ひと眠りすれば、きっと新たな生活に向かって気持ちの切り替えもできることでしょう。


そして東京に到着です。行き先別ののぼりが立っているようです。


雇い主と対面すると、


すぐに新しい職場へ移動するようです。地元から一緒だった仲間と別れを惜しむ間もありません。


「誘惑多い都会の真ん中で、どんな道を辿っていくことでしょう」というナレーションで映像は終了します。



最盛時の1964年(昭和39年)には7万8407人を記録した集団就職者。恐らくその一人ひとりに、このような辛い別れがあり、新天地での苦難を乗り越え、日本の高度経済成長を支えていったのですね。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

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【動画】『昭和30年初頭、「巣立つ」』