【約40年前】沖縄が右側通行から左側通行に変わった瞬間を捉えた貴重映像

2017/2/27 19:34 服部淳 服部淳

どうも服部です。昭和の映像を紐解いていくシリーズ、今回はYouTubeの「沖縄県公式チャンネル」が公開している「沖縄730道の記録」というタイトルをピックアップしました。
※動画はページ下部にあります。


1972年(昭和47年)5月15日に米国から日本に返還された沖縄でしたが、復帰後もしばらくは、このように米軍統治下と同様に右側通行が続いていたのです。


では、このまま右側通行を続ければ、という考えも当時の行政にはあったでしょう。しかし、日本も加盟する「道路交通に関する国際条約」では、1つの国に1つの交通方法という決まりがあり、これに従わなくてはならず。返還から5年経った1977年(昭和52年)9月16日の閣議で、翌・昭和53年7月30日に左側通行に変更すると決定されました。


この変更日、7月30日を周知させるため「730(ナナサンマル)」というキャンペーンが始まりました。こちらがキャンペーンのポスター。五十嵐元子さんというタレントがキャンペーンガールを務めたのですが、ちょっと刺激的すぎませんかね(沖縄県警察が作成したとの情報も→参照記事)。


左側通行に変えるには、実に多くの準備が必要になります。まず交通標識・案内標識を逆側に取り付ける、もしくは付け替えなくてはなりません。方面及び距離の標識なら事前に取り付けても問題はありませんが、


進入禁止や一時停止など、左側通行に変わる瞬間まで表示すべきでない標識には、このように周知を兼ねたカバーが被せられました。


道路上の進行方向などの道路標示も、当日ではとても間に合わないので、事前に作成しておき、上から特殊カバーを被せていきます。


ガードレールは、車が接触した場合に車体をえぐり取らないように、繋ぎ目の引っかかる部分を進行方向とは反対に向くように組まれていますが、この繋ぎ目も逆にしなくてはなりません。


当時の沖縄の唯一の公共交通機関である路線バスは、左ハンドルで乗降ドアは右側に付いていました。


このような、交通の妨げにならないためのバス停用の窪みも、交差点付近のバス停は、交差点を過ぎたところになくてはならないので、そのまま継続して使えないものも多数でてきます。


交差点はさらに大変で、車線が反対になることで、角を削ったり、いろいろな工事を行わなくてはならないのですが、膨大な説明になってしまうので、詳細については映像をご覧ください(映像の8分30秒頃)。


映像の12分15秒頃、沖縄随一の繁華街「国際通り」近くに位置する「崇元寺」跡(お寺は沖縄戦で全焼・全壊)から、沖縄の歴史を伝える映像や写真が紹介されていきます。


まずは明治時代の同場所。人力車が客待ちをしているのでしょうか。


こちらは昭和初期だそう。ナレーションが線路が見えること伝えています。


沖縄戦で連合国軍に破壊されるまで、沖縄にも鉄道が走っていたのです。


13分6秒頃からは、鉄道の映像も収められています。那覇~嘉手納間を結んでいたそうです。


町の様子も映像で捉えられています。これは貴重です。


ご存知の通り、戦後はアメリカ軍の統治となり、右側通行に変更されました。




昭和53年当時に戻ります。ナナサンマルは、テレビCMでも周知されていました。主演は先ほどのポスターにも登場した五十嵐元子さんかと思われます。ほかにも、沖縄出身のボクサーで当時WBA世界ライトフライ級王者だった具志堅用高さんバージョンもあったようです。


このような冊子も用意されていました。7月30日の朝6時に変わると、具体的な時間も書いてあります。




「左見て右見て」と教わってきた子供たちも、急きょ反対の「右見て左見て」に慣れなくてはなりません。子供たちだけでなく、ご高齢の方々、視覚障害を持った方々などへも、丁寧に伝えていった模様が映像に収められています。




そして、ナナサンマルのカウントダウンもあと1日。台風が接近していたようです。数時間ズレていれば、切り替え中に被害を受ける可能性もありました。


いよいよ、7月29日の午後10時。サイレンが鳴らされます。緊急車両や(映像を見るところではタクシーなど)特別に許可を受けた自動車以外は、翌朝6時の切り替えまで走行禁止となります。


覆いかぶされていた道路標示のカバーがはがされていき、


左側通行用の標識に被されていたカバーは、右側通行用の標識に被せ替えられ(後に撤去)、


カーブミラーは向きを変えるなど、綿密に練られた作戦通りに作業が進められていきます。


進捗は、順次対策本部に寄せられていき、


作業が終了した道路には色が塗られていきます。もちろん、沖縄本島だけでなく、宮古島や八重山列島など他の島でも同時に変更作業が進められています。


見えにくいですが、作業を見学する人たちも大勢詰めかけています。


4時18分、少し余裕をもって作業が完了しました。


映像の24分4秒頃、ついにその時が来ます。切り替え10分前の5時50分、再びサイレンが鳴り、走行していた全車両は道路端に停車します。


早朝ながら、歩道橋はこの人混み。現代なら、みんなスマホを構えているんでしょうね。




係員の誘導を受け、ゆっくりと反対車線へ移動します。


映像の25分5秒頃、6時の時報とともにサイレンが鳴り響き、左側通行に変更となりました。まさに歴史的瞬間です。




映像のナレーションでは触れられていませんが、ナナサンマルでバスはすべて右ハンドル、左ドアに替わっています。


チャッターバーの方向変更など、左側通行変更後にも作業は続けられます。


沖縄が日本に返還され、右側通行から左側通行に変更したことについて、運転や道路横断など、慣れるまで大変だったろうなと、利用者側の立場だけで考えていましたが、ガードレールの方向変更や、バス停の造り直し、左ドアのバスの導入など、実に事細かに修正が必要だったことをこの映像によって改めて知らされました。約30分と短くはないですが、ぜひ一度ご高覧ください。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

※最新記事の公開をFacebookページTwitterにてお知らせしています(「いいね!」か「フォロー」いただくと通知が届きます)。



【動画】「沖縄730道の記録」