【終戦3年後の東京】日本人乗車禁止の車両などを紹介する豪メディア
どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は8万5000本あまりの歴史的映像を公開しているBritish Pathé社の所有フィルムを取り上げました。
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タイトルは「TOKYO TODAY」、オーストラリアのCINESOUND社によって制作されたもので、British Pathé社の説明によると、未公開の映像だそうです。映像に挿入されている英語のナレーションによると1948年(昭和23年)の東京を撮影したものとのこと。
※動画はページ下部にあります。
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昭和の東京を撮影した映像には大抵登場する、有楽町駅前にあった「日本劇場」。「賀正」という垂れ幕から1月始めの撮影だと思われます。
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戦後2年半ほど経っていますが、戦災の傷跡はまだまだ残っているようです。
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「赤坂中央マーケット」の看板がある建物。上階の方は廃墟になっているように見えますが、1階部分だけを使用しているのでしょうか。
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「シドニーやロンドンと同様、東京は家が不足しています」とナレーションが入ります。空襲被害のあった東京とロンドンとは、シドニーの家不足は事情が違うように思いますが。
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戦災の焼け跡に次々と規格住宅が建てられていきました。
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こちらは戦災を免れたアパートのようです(追記:「表参道の同潤会青山アパートメント」であるとの情報をいただきました)。「無尽蔵な労働力によって、信じられない速さで都市再建計画は推し進められているのです」とナレーション。
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ここから交通に関しての紹介になります。駅の「OFF LIMITS=立入禁止」に関する看板です。軍職員(連合軍)の日本人用車両への乗車は禁止、軍関係者は軍用車両に乗車するようにと書いてあります。
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非常に見えづらいですが、「立川」と行き先が書いてあるように見えます。中央線でしょうか。
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最後尾、「ALLIED FORCES SECTION 連合軍専用車」と書いてある白帯の引かれた車両が、その軍用車両です(山手線のようです)。日本人用車両がいかに混雑していて、連合軍用車両がガラガラであっても、日本人が利用することはできませんでした。
他にも連合国軍の占領下時代では、米軍用住宅地、進駐軍用売店(PX)、はたまたトイレまで、さまざまな場所で日本人立入禁止の「OFF LIMITS」が存在していました。
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続いては、東京都電を捉えています。
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乗車の順番を待つ女の子。カメラが気になるようです。
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大八車で荷物を運んでいます。「まだまだ交通機関が足りておらず、1世紀前と変わらぬ速度で移動しています」とナレーション。
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こちらは自転車タクシー。ナレーションいわく「東京の唯一のハイヤー」とのことですが、「トヨタ博物館のブログ」によると、1946年(昭和21年)3月にすでに自動車タクシーが存在しているようです。
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連合軍関係者でしょうか、人力車で移動しています。
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レンガ造りの建物が背後に見える、日比谷~丸の内近辺ではないかと思われる場所ですが、牛車が移動中です。
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その牛車を三輪トラックが追い抜いていきます。新旧の移動手段が入り交じる異様さを伝えたいようです。
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お子さん(お孫さん?)をフレームの上に乗せて自転車を漕いでいます。現代でやったら、いろいろ非難されるんでしょうね。
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昭和30年以前の映像ではよく見られる、弟・妹の子守をするお姉ちゃんの姿。カメラに撮られるのが恥ずかしいようです。
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「未来の日本の民主主義は、子供たちにかかっている」とナレーション。軍国主義・天皇崇拝を植え付けられていない子供世代に期待するということのようです。
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場面変わって、昔なつかしの「紙芝居」の様子です。
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食い入るように見つめる子供たちの姿。ただ、ここでこの映像が伝えたいのは、「東洋の商魂」についてだそう。
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物語がクライマックスに差し掛かる前に紙芝居をやめ……、
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お菓子を買わせてから続きを始めるということが、どうも気に入らない様子(紙芝居の演じ手ではなく、菓子売りと呼んでいます)。
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でも、子供にとってはそれも含めての紙芝居なんですよね。満足そうです。
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続いては子供たちの遊びについて。男の子たちの野球ですが、女の子たちは羽つきを好むようですと紹介。1月ですからね。
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他にも、縄跳びや紐を使ったコマの技なども。
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こちらはお父さんの手の上にバランス良く乗る幼子。
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同じ子のお母さんでしょうか。もう一人お子さんがいるようです。
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銀座通り(中央通り)です。占領期の東京の道路には、英語の名前が付けられていました。
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露店が出ているのでしょうか、賑わっています。
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雑誌を売る露店で立ち読みをしている園児ぐらいの子供を、お姉ちゃんがやめさせているところみたいです。
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同じく銀座なのでしょうか。魚介類も扱っています。これはイカですね。
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左は自動車、右はバイク(?)のグルグル回るおもちゃ。「買ったらすぐに壊れること間違いなし」とナレーション。日本人としては腹立たしいコメントですが、戦後すぐの頃はまだ、日本製品は「安かろう悪かろう」という扱いをされていたようです。
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カメラ屋さんの店先です。ナレーションいわく、ドイツから軍需品と交換で輸入されてきているのだそう。
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「550ポンドほどですが、日本円だと」と、100円札の束を映しています。終戦直後の日本は猛烈なインフレとなり、たとえば白米10キロの値段は、1945年12月には6円だったのが、1947年11月には149円60銭と、25倍ほどの値段になっていました。
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背後には現在もお馴染み「ビオフェルミン」の広告が。1917年(大正6年)より製造している、歴史ある商品なんですね。
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1948年1月公開のアメリカ映画「極楽お家騒動」の宣伝です。下のお店は映画とはほとんど関係ない飴菓子・雑貨履物屋さんだそう。上映場所は1990年代まで姿を残していた「東洋キネマ」のよう。
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映像の最後は、極東国際軍事裁判(東京裁判)について。オーストラリアのメディアだけに、オーストラリア人で、裁判長を務めたウィリアム・ウェブを誇らしげに紹介しています。
5分ほどの短い映像ですが、次々と場面が入れ替わり、ナレーションも早口で入るので、かなり充実した内容に感じられました。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。
(服部淳@編集ライター、脚本家)
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※参考文献
・【写説】占領下の日本/近現代史編纂会(ビジネス社 2006)
【動画】「Tokyo Today 1948 (1948)」