“奇跡のアラフィフ”石田ゆり子…ANA「踊ろよ、フィッシュ。」から30年

2017/1/4 10:30 DJGB DJGB


明けましておめでとうございます、バブル時代研究家 DJGBです。

昨年から“奇跡のアラフィフ”こと石田ゆり子の株価上昇が止まりません。




石田ゆり子は1969年10月3日生まれ。1985年、16才の時に東京・自由が丘の亀谷万年堂の前でスカウトされモデル活動をスタート。芸能生活は2017年で32年目に入ります。

昨年は大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」での土屋百合役と、キュートな「恋ダンス」も大きな話題となりました。誕生日の10月3日に開始した公式インスタグラムには、さっそく多くの賛美が寄せられています。

撮影はいつも和やか。 笑顔の絶えない現場です。

石田ゆり子さん(@yuriyuri1003)が投稿した写真 -



彼女自身は短大卒ですが、4年制大学に進学した彼女の同級生はちょうど“バブル入社”(1988~1992年ころの入社)の世代です。同世代はもちろん「逃げ恥」で彼女の魅力を知った若者たちから見ても、今や森高千里(同じく1969年生まれ)とならぶ『憧れのアラフィフ』と言って間違いないでしょう。

今日は、バブル全盛期から息の長い活躍を続ける彼女のキャリアをたどってみます。


■今では想像もできない小麦色の肌が魅力!

●1987年 ANA「SPORTS RESORT沖縄」

30年前の1987年、ゆり子はANAの沖縄キャンペーンキャラクターに起用されます。小麦色の肌が健康的。色白ではかなげな現在とは印象が大きく異なります。ゆり子がジュニアオリンピックに出場するほどの水泳選手だったのは有名な逸話。山下達郎の「踊ろよ、フィッシュ。」をBGMに、CM中でも得意の平泳ぎを披露しています。


当時の貴重な映像がこちら。チューブの大ファン、というよりは、夏が好きな人。


航空会社のキャンペーンガールは、今も昔もスターへの登竜門です。ANAは前年の1986年には元祖CMクイーン松本孝美を、その前の1985年には鷲尾いさ子を輩出しています。


●1987年 花王「メリット」

同年、花王「メリット」のCMも決まります。花王は90年代も「リンスのいらないメリット」、「ビオレU」、「クリアクリーン」などのCMにゆり子を起用し続けました。


■姉妹で別々のシャンプーCMに起用の快挙!

●1987年 花王「ピュア」


ゆり子を語るうえで欠かせない存在が、妹の石田ひかりです。

女優としてはゆり子よりも先にデビュー(1986年)し、アイドル歌手としても活躍したひかりは、姉ゆり子と同じく1987年に、花王のシャンプー「ピュア」のCMに起用されています。姉妹で同時期に、同じ会社の別々の商品のCMに起用される快挙です。

ひかりは1992年、NHKの連ドラ「ひらり」に主演。翌1993年にはフジテレビ「あすなろ白書」でも主演を務め、国民的な人気女優に飛躍します。ゆり子の一般的なイメージはこのころ、妹の活躍をあたたかく見守る、物静かな美人姉でした。今からふり返ればこのときが最もひかり高、ゆりこ安です。





■姉さん、事件です。独立して事務所の社長に

転機となったのは1997年の「不機嫌な果実」への出演でした。ゆり子が演じる麻也子は、華やかなバブル時代を経験し、合コンで出会った夫と結婚したものの、刺激のない平凡な生活に飽き足らず、不倫に走ってしまいます。




ゆり子にとっては、それまでの清楚なイメージを一変させる難しい役でしたが、その熱演がバブル世代の女性の大きな共感を呼び、平均視聴率は14.7%を記録。共演者のひとりである岡本健一(元・男闘呼組)との交際報道もありました。

女優としての方向性を確立したゆり子は1999年、自身とひかりが所属する個人事務所「風鈴舎」を設立。自ら社長に就任します。ゆり子、この時30歳。芸能界で独立することがいかに大変かは、昨今のSMAPを例に出すまでもありません。

が、その後もゆり子はドラマや映画で着実に実績を重ね、2005年には「ニッカ オールモルト」のCMに出演。中野良子 田中美佐子から「女房酔わせてどうするつもり?」の名台詞を引き継ぎます。プライベートでは結婚していないにも関わらず、です。




■飾らない生き方は、バブル世代のロールモデルに。

その後のゆり子の活躍は周知のとおり。途切れることなく映画、ドラマ、CMに出演する一方、90年代から定期的にエッセイも出版するなど、マルチな才能が光ります。

バブル当時から芸能界で活躍していれば、当時の異常な浮かれぶりにどっぷりつかっていてもおかしくありません。が、少なくとも彼女のインスタグラムからは、そうしたアクの強さはみじんも感じられません。




“バブル入社”世代が社内のポスト不足で昇進できずにいるなか、ゆり子は30才を前に、自ら個人事務所を立ち上げ、社長に就任するという選択をしました。女優としてコンスタントに作品を残しながら、魑魅魍魎のうごめく?芸能界で社長業を17年も続けることが簡単でないことは、容易に想像できます。

常に自然体。でも、自分のやりたいことは、自分で決める。

そんな彼女のスタイルは、バブルの想い出を引きずりがちな世代のロールモデル(模範像)のひとつかもしれません。

経営者・ゆり子の「情熱大陸」もいつか見てみたいですね。

「ひかり、このCMは受けてちょうだい、花王さんには昔からお世話になってるから」

「お姉さま、私は1年で『ピュア』のCM降ろされているからそんな義理はないわ。お姉さまこそ、後でライオンさんの『植物物語』のCM私から取ったんだからそんなこと言える立場?」

とか、やっているんでしょうか。やってないか。

(バブル時代研究家DJGB)