【約80年前】満州に暮らす日本人たちの日常を捉えた貴重映像

2017/2/3 18:01 服部淳 服部淳


どうも服部です。昭和の映像を紐解いていくシリーズ、今回は「MANCHUKUO The NEWBORN EMPIRE(新帝国・満州国)=著者訳」という満州国について取り上げたフィルムをピックアップしました。タイトルから満州国建国後のことなので、1932年(昭和7年)以降に制作されたものです。
※動画はページ下部にあります。


満州のざっくりとした地図が映し出され、ナレーション(英語)が始まります。日露戦争の講和条約であるポーツマス条約により、戦勝国である日本が、ロシアの持っていた(大連や旅順のある)遼東半島先端部の租借権と、旅順-長春間の南満洲支線を譲渡されたことに始まる当時の満州問題を、米国の視聴者に学んでもらうのが、この映像の主旨のようです。


映像の1分32秒ごろ。馬車の荷台に、円盤のようなものが載せられているのが見えます。


馬車から下ろした円盤を5枚1組にして転がして運んでいます。


映像の出現順は前後しますが、こちらがその円盤を間近に捉えたもの。大豆から油を絞り取った残りの「大豆粕」を、機械で丸く押し固めたものだそう。当時は主に肥料として使われていたようです。


その円盤が詰め込まれている倉庫です。「日本植物油協会」のまとめた資料によると、満州の大豆生産のピークであった1926年(昭和2年)には、387万トンの大豆を生産し、これは世界最大の生産量であったそう。そのうちの約半分を搾油用に使い、大豆粕の約76%を日本に輸出していたそうです。


これまた順番が前後しますが、貨物列車にもこの通り大豆粕の円盤が積み込まれています。


映像の2分6秒ごろ。こちらは、大連の港だそうです。ややこしいですが、大連や旅順は満州ではなく、日本が租借権を譲渡された関東州にあります(ナレーションでは区別せず、すべてを満州としていますが)。
※厳密には南満洲鉄道の付属地も関東州に含まれますが、ここでは割愛。


goo地図を使って、大まかな関東州の州境を赤いラインで引いてみました。それ以北、橙色の朝鮮・ソ連(現・ロシア)の国境線の左が満州国(一部)となります。また、この映像で主に取り上げられる都市を赤丸で記しています。


同港の様子。船から降りてきた人や出迎えの人でごった返しています。見たところ、多くは和服を着た日本人のようです。


ここも港エリアでしょうか、大連のタクシー的役割の馬車乗り場のよう。


ここからは大連の街案内が始まります。まずは大連の中心でありシンボルの「大連大広場」。まるでヨーロッパの街並みのようです。広場から10本の通りが伸びています。正面の建物は、1909年竣工の「横浜正金銀行大連支店」。


そして、「横浜正金銀行」の向かいにあるのが「大連ヤマトホテル」(1914年竣工)。南満州鉄道(満鉄)が経営する満州最高の格式あるホテルで、満州の各地に造られていました。銅像は関東総督府の初代総督である大島義昌陸軍大将のもの。大広場周辺の建物をはじめ、この時代の建物の多くは現在もほぼそのままに使用されています(銅像は撤去されていますが)。


順番は前後しますが、こちらの建物は証券取引所だそう。周りには人力車らしきがズラリと並んでいます。




立派な門があり、右側の門柱には「HOSHIGA URA」とアルファベットで書かれた看板が見えます。


立派なゲートは、満鉄が開発した「星ヶ浦」という人工海岸もある大公園の入り口でした。ここにもヤマトホテルがあったそうです。


水着姿の男子たちと引率の大人たちがやって来たのは……、


大連近郊の温泉だそうです。子供たちは引率者にシャベルで泥をかけてもらっています。「満州写真館」というサイトの情報に照らし合わせると、「熊岳城 川原温泉」という場所ではないでしょうか。


こちらも温泉なのか、プールもありました。


この立派な建物は、小学校のようです。


黒板で何やら書いている子供たちは、みな椅子に乗っています。カワイイ。


女子生徒たちは調理実習中のようです。ナレーションいわく「彼女たちはどんな料理でも作れます。ただしチャプスイ以外」とのこと。チャプスイは、米国に渡った中国移民たちが広めた米国中華料理ですが、当時の米国人は、東洋人はみなチャプスイを食べているイメージを持っていたのでしょうか。


レクリエーション施設としては、野球場も。


大正から昭和初期に流行したカンカン帽を被った男性たちが観戦に集まってきていました。


こちらは人力車に乗る、ナレーションいわく「芸者ガールズ」。




舞踊祭りのようなものが催されています。


先程人力車に乗っていた女性たちが、人力車を降りて建物へと入っていきます。


映像の5分58秒ごろ。こちらに見える橋は、大連停車場(駅)そばに架かる「大連日本橋」です。


大連と同じ関東州にある「旅順」の駅のようです。


同じく旅順から、日露戦争終結前のロシア時代の建物が使われていた「関東都督府」。関東州を統治する立場にありました。1919年に守備隊が「関東軍」として分離し、「関東庁」に名称が変わっています。


ナレーションで「テクニカルスクール」と紹介されているのは、「旅順工科大学」でしょうか。


こちらは中国人街にある昔ながらの商店のようです。この映像で映る数少ない旧市街の様子です。


映像の7分9秒ごろ。ナレーターが「チャンチュン、チャンチュン」と、その語呂を楽しんで口ずさんでいるのは、南満州鉄道の北端駅である「長春(チャンチュン)」。満州国建国の1932年(昭和7年)に「新京」と改称された満州国の首都ですが(満州国の滅亡後、再び「長春」に)、外国メディアでは引き続き旧称が使われていたようです。


周辺が大豆の大産地でここに集散されていたことから「豆の都」とも呼ばれていたそうです。「人口は15万人以上、この極東の地は、鉄道でヨーロッパ各地とつながっている」とナレーション。人口100万人の都市を目指し建設が進められ、1937年(昭和12年)には、人口は25万人にまで増えていたそうです。


映像の8分26秒ごろ。ナレーションでムクデンと呼ばれているのは、現在の瀋陽です。東北地方最大の都市で、1931年の満州事変で日本が占領してから終戦までは奉天と改称されていました。ムクデンは満州語での読み方で、欧米諸国ではよく使われているようです。


奉天駅のホームです。奉天は満鉄の旅順-長春間のほぼ中間にあり、東へは後に紹介する「鴨緑江鉄橋」を渡って朝鮮半島(釜山まで)まで伸び、西南方面へは北京とを結ぶ交通の要所でもありました(釜山から北京までを結ぶ国際列車もありました)。




映像の8分45秒ごろ。露天掘りで有名な撫順炭鉱です。こちらもポーツマス条約により日本の手に渡り、1907年には満鉄の管理下に移っています。露天掘りなので、穴を掘って潜る必要がなく、その分安全に採掘ができました(現在はほぼ掘りつくされているそう)。




映像の9分58秒ごろ。ここからは現在でも鉄鉱石の産地として知られる鞍山の様子です。紀元前200年頃の前漢の時代から採掘と製鉄が行われているという、歴史ある場所です。


映像の11分2秒ごろ。ここからは、朝鮮(当時は日本領)との国境の街、安東(現・丹東)に移ります。林業が盛んな場所で、丸太をシベリア馬に引かせています。


それを近代的な機械で裁断していきます。「増え続ける人口に、家を次々と建てていかなくてはならない」とナレーションが入ります。満州国内の日本人人口は、1934年(昭和9年)には約24万人だったのが、4年後の1938年には約52万人と倍以上に増加していました。


安東と北朝鮮の新義州市とを結ぶ「鴨緑江鉄橋」です。朝鮮総督府が巨額を投じ、1911年(明治44年)に開通。中央に線路が通り、その両脇が歩道になっていました。




この橋は、橋桁の一部が90度回転し、このように帆の高い船が通過できるようになっていました。「図説 写真で見る満州全史」によると、

“十二の橋桁があり、北朝鮮側から数えて九番目の一連が一日四回、ぐるっと回転して一時間半ずつ開き、船舶を航行させた。しかし橋の開閉は昭和九年(一九三四)四月に停止され”

とあります。つまり、満州国開国2年後には、開閉は行われなくなっていたようです。最新の技術を駆使して造られたであろうこの橋ですが、船が通過できる1日計6時間を人や鉄道が通過できないというのは、さすがに不便だったのでしょう。結構な電気代も掛かったでしょうし。

第2次世界大戦では破壊されずに残りますが、1950年(昭和25年)、朝鮮戦争で中国兵を朝鮮半島に侵入させないため、米軍の空爆によって北朝鮮側の橋が破壊されています。現在も残され、「鉄橋」ではなく「断橋」と名称を替えています。



恐らく撮影にいろいろと制約があったのでしょう、あまり踏み込んだ街の様子や人々の生活などは収められていませんが、満州国を知らない世代には、いろいろと驚きの発見があった映像だったではないでしょうか。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)

※最新記事の公開をFacebookページTwitterにてお知らせしています(「いいね!」か「フォロー」いただくと通知が届きます)。



※参考文献
・図説 写真で見る満州全史/平塚柾緒(河出書房新社 2010)
・図説 「満州」都市物語 ハルビン・大連・瀋陽・長春/西澤泰彦(河出書房新社 1996)
・図説 満州帝国/太平洋戦争研究会(平塚柾緒・森山康平)(河出書房新社 1996)
・写説 満州/編:太平洋戦争研究会・解説:森山康平(ビジネス社 2005)

【動画】「Manchuria under Japanese Control: "Manchukuo: The Newborn Empire" c.1937 Beaux Art Productions」