【約100年前】1920年頃の日本各地とアイヌの貴重な祭りを撮影した驚愕映像

2017/1/6 23:59 服部淳 服部淳


どうも服部です。昔の映像を紐解いていくシリーズ、2017年第1回目の今回はYouTubeに投稿されている「A TRIP THROUGH JAPAN WITH THE Y.W.C.A.(YWCAと巡る日本各地)=著者訳」というタイトルの映像をピックアップしました。
※映像はページ下部にあります。


映像に音声は付いてなく、シーンごとにこのような字幕を挟みます。1つ目のこの字幕には、YWCAが日本に発足して15年ということが書かれています。「日本YWCAのHP」によると、誕生は1905年(明治38年)とのことなので、1920年(大正9年)頃の映像ということになります(YouTubeにつけられているタイトルには1919年とあります)。


まずは女性たちが小川で洗濯をしていると思われるシーンから始まります。川の右側にいる女性は10歳前後でしょうか。


一方で建物の中から顔を出しているのは親御さんですかね。左のお父さんの口の動きは「誰?」と言っているようにも見えます。


カメラの前に呼ばれたのか集まってきたのか、子供たちが集合しています。


土の道路を叩き固めているところのようです。その前の字幕では「日本の活躍は今や世界中に知られるようになっていますが、田舎での生活は一世代前と変わりません」、と昔ながらの田舎とのギャップを述べています。


3人掛かりで道路を固めていく地道な作業です。


静止画にするとちょっと分かりづらいですが、運河から車に水を汲んでいるところです。


字幕で「water wagon」と書いてあるので、散水車です。現在では道路の清掃用に使われていますが、ほぼ未舗装道路の時代にはもっぱら砂塵防止のために水を撒いていました。


その人力の散水車が画面右手からやって来ます。左手には牛車の姿も見えます。


出会い頭の衝突の一歩前で散水車の引き手が止まり、事故には至りませんでした。が、お互い言い合いになり、小競り合い。


散水中ということもあってか、すぐに切り上げます。あまりにもカメラがいい角度から撮影しているので、本当に起きた事故未遂なのか疑ってしまいます。ちなみに、散水車の側面には「山下町」の文字が見えますが、横浜の山下町でしょうか。


ここからは日本の食事情について紹介されていきます。魚の目方を量っているところのようです。


字幕によると「揚げ魚」屋さんだそう。次の字幕では「信じないかもしれないけど、私は若い頃には美人だったんだよ」とあります。本当に言ったんですかね(否、YWCAを信じましょう)。


続いては果物屋さんだそう。品揃えが豊富です。りんごとかなんでしょうか。


こちらは野菜市場とのこと。活気がありますね。




場所は変わって、字幕には「マツシマの有名な洞窟」とあるので、宮城県松島の「洞窟遺跡群」と思われます。


YWCA関係者でしょうか、外国人の姿もあります。


再び飛んで、北海道は函館港だそうです。見えにくいですが、画像右のほうには荷物を運んでいる男性が映っています。


字幕によると、大きな荷物を背負った女性たちは、塩漬けの鮭を船まで運んでいるところのようです。


一方こちらでは、船で運ばれてきた魚(鮮魚ではなさそう)を、馬車の荷台に運んでいるようです。現代感覚で見ると、もっと楽な方法はないものかと考えてしまいます。


今度は家が建ち並ぶ草原にやって来ました。


すでに字幕では紹介済みですが、アイヌ民族の村です。アイヌは白色人種と同じルーツであると記載されています。これは1950年代までは定説だったようですが、現在では縄文人の子孫だというのが常識化しているそうです。


こちらは長老たちの席のよう。これから毎年開催される熊の儀礼が行われると字幕は紹介しています。


まずは輪になっての踊りが始まります。


このシーンでは結婚したアイヌ女性は口の周りに刺青を入れる(一番左の女性がくっきりと分かります)ので、夫は妻から逃げることはできませんという意味の説明が入りますが、正しくは成人儀礼で13、14歳になると入れるのだそう。


貫禄が凄い長老たち。真ん中の男性が村の首長とのこと。




木組みの檻から若い男性らが引っ張り上げているのは、儀礼の中心となる熊。冬眠中の穴から子熊を捕まえてきて、檻の中でしばらく育てるのだそう。こうして育った熊は、子犬のように人に懐くようになるのだとか。


男性たちには酒が分け与えられます。アイヌの村では日常的な飲酒の習慣はなかったようで、飲酒はこういう儀礼の時だけに限られていたそうです。


固形物が混ざっているのでしょうか、ヘラのようなもので押さえながら飲んでいます。


お酒を酌み交わすと、先程の熊がみなさんの前を連れ回されます。儀礼の詳細については、Wikipediaの「イオマンテ」を参照ください。




アイヌ民族の村からの映像は以上となり、工場で働く従業員たちが映し出されます。字幕では「7500人の女性が工場で働いていますが、法律ではまだ1日12時間までの労働を許している」、と1916年(大正5年)に施行された「工場法(現在の労働基準法の前身的な法律)」の不備を指摘しています。


映像の8:31頃からは、畳掃除の様子が収められています。掃除機のない時代には、畳は取り外して叩いて埃を叩き出すしかなかったのです。


「日光の神社へ向かう参拝客」という字幕の後に映るのは、こちらの動画の0:24あたりに同じシーンが見えることから、宇都宮駅と思われます。




同駅ホームの様子です。現在、東京近辺から日光への交通機関としては東武日光線もありますが、東武線が開通するのは 1929年(昭和4年)のこと。上野から日光への直通列車もすでにあったようですが、多くの場合は宇都宮で乗り換えたようです。


すでに日光ですね。奥に見える橋は、世界遺産にも登録されている二荒山神社の「神橋(しんきょう)」のようです。その後も少し日光エリアの紹介がされて映像は終了します。2017年も引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家) ‐ 服部淳の記事一覧

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※参考文献
・アイヌ、神々と生きる人々/藤村久和(小学館 1995)
・アイヌの歴史 海と宝のノマド/瀬川拓郎(講談社 2007)
・アイヌの四季/文・更科源蔵 写真・掛川源一郎(談交社 1968)

【動画】「A trip through japan with the ywca ca 1919」