【20歳の群像】第1回 ポール・オースター

2014/1/16 15:15 ドリー(秋田俊太郎) ドリー(秋田俊太郎)



本コラムの作者ドリーさんは、村上春樹氏の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」Amazonレビューにおいて、日本記録である23000票以上の「参考になった」を集め、大きな話題になりました。

この連載「20歳の群像」では、過去の偉人が20歳の頃に何をしていたのか?
ドリーさんならではの視点と語り口で迫りますのでお楽しみに!(いまトピ編集部)




今年で24歳になった。

華の20歳を過ぎて、もう「憂い」にさしかかる年頃である。というのも20代前後なんて「夢が叶うこと」より「諦めること」のほうが多いのではないだろうか。就活なんて思い通りの会社に入れるなんてほぼないだろうし、10代のころ胸に抱いていた夢なんて、20歳そこらになってみると冷たい現実の前に、たちまち雲散霧消してしまうのが一般的であると思うのだ。


「思ってたんと違う」 もうこれの連続だと思うのである。


ボクも10代の頃は、作家として華々しくデビューをかざり、神童と称され、しまいには文学界のセックスシンボルみたいな扱いをされる、って本当にマジで思ってきたが、現実は本当にむごくて、24歳になっても未だに部屋から一歩も出ない引きこもりで、恋愛経験もなく、雨の日なんかだるいからずーっと夕方まで電気毛布のなかにくるまってる。そんな「思ってたんと違う」の究極形みたいな生活が、もう20歳からずーっと続いているわけなんである。


もうね。「華」なんてどこにもないわけよ。もう干上がってるって感じ。でも20歳前後なんてみんな多かれ少なかれこんなもんじゃないかと思うのだ。夢なんか叶う見込みがないとわかって、ふてくされるか、それでも懸命に生きていくか、それとも諦めずに夢を追うか、20前後の若者は、おのずと人生を決めるムズカしい選択を迫られると思うのである。

そんな時に、「あぁ、あの偉人は20歳のときに、何をしていたんだろうなぁ」と考えることは、自分の人生を考える上でもタメになると思うのだ。20のとき、あの偉人も自分と同じ悩みを抱えてたんだ、とか、あの有名な人も20代はダメダメだったのか、とか知ると、不思議とチカラが湧いてくるもんだと思うわけなんである。



というわけで、始まったこの企画。「20歳の群像」 20歳の頃、あの偉人は何をしていたのか?という関心から様々な偉人をとりあげて20歳におけるバラエティーに富んだな苦悩や挫折をこれからどんどん紹介していくぞ。これ読んで自分の人生の指針に何かしら参考にしてみてね。



第一回目のゲストはポール・オースターだ。

ポールオースターってみんな知ってるかな? 「孤独の発明」とか、「幽霊たち」とか名作を書いてるアメリカの小説家なんだけど。知ってるかな?とかいいながら、ボクもほとんど読んでないんだが・・・。

「幽霊たち」とか3行ぐらいで挫折したクチで。じゃあなんでソイツなの、ていうと、この人があまりにも20代における、挫折とか、若さ特有の無鉄砲さとか、将来の不安とか、そういった20歳特有の苦い辛酸を舐めて生きてきた人にほかならないからなのよ。

ポールオースターの自伝「トゥルー・ストーリーズ」に収録にされている「その日暮らし」を読んでほしい。しかもサブタイトルが「若き日の失敗の記録」である。


20代後半から三十代前半にかけて、何に手を染めてもことごとく失敗してしまう数年間を私は過ごした。(P72) 

こういう一文で始まるポールオースターの自伝。これは「好きなことで生きていく」という過酷な辛さを絞り出すように述懐した自伝なのである。


私の夢は唯一、ものを書くことだった。


同じものを書く身としては、身にしみる一文だ。しかしポールオースター、17歳の時点で、非常にリアリスティックなもの見方をしていることがわかるのだ。


書くことで生計が立てられるなどと甘い夢を見たことは一度もなかった。書き手になるということは、医者や政治家になるといった「キャリア選択」とは違う。選ぶというより選ばれるのである。(P73)


セックスシンボルとか言ってた自分が恥ずかしくなってくるぐらい、現実的な物の見方をしているポールオースター。書き手はそれだけではやっていけないから二重生活を送らないといけないと言う。
ごもっともだ。しかしまだ甘い。そんなポールですら言葉だけ立派なだけで実は夢見がち青年だということが次の一文でわかるのだ。


私の問題は、二重生活を送る気がないということだった。働くなんて嫌だ、というのではない。けれども。九時五時の職に就いて毎日タイムカードをパンチすると思うと全然やる気が出ず、何の熱意も湧いてこなかった。(P74)

 
いや、それを働くのがイヤだって言うんだよ!!!

しかしこういう自己矛盾を抱き込んでいるというのが、20歳特有の物憂い症状じゃないかとも思うわけよ。ポールオースターも物書きとして生きることの厳しさはわかっているものの、現実にそれを実行できない苦悩を深く抱えた悩ましき青年なのであった。

子供の時から「お金を稼ぐ」という行為に、嫌悪感を持っていたポールオースター。たとえば両親が新品の車なんか買ってきたら、「こんな資本主義のガラクタなんの価値もないよ」つって、ぐれちゃうわけよ。13歳で。いわゆる世捨て人願望の芽生えである。

世捨て人願望 → ぐれる → 物書き志望 危うい作家志望アウトサイダーコースを歩みはじめるポールオースター。そこからバイトに明け暮れる生活を送り、大学に入り、モラトリアム物書き修行時代に突入するのである。そんでもって物書き志望が大学に入ってすることはひとつしかなかった。


過去の二年間、私は狂ったように本を読みふけって過ごしていた。あのころをふり返って、自分が何冊の本を吸収したかと思うと、ほとんど信じがたい気にさせられる。私はすさまじい数のそれらを飲み干し、さまざまな書物から成るいくつもの国、いくつもの大陸を喰らい尽くし、それでもまだいっこうに倦まなかった。エリザベス朝演劇、ソクラテス以前の哲学、ロシア小説、シュルレアリスムの詩。まるで脳に火がついたかのように、あたかも生存自体がかかっているかのように私は読みまくった。(110) 

読みまくりである。しかもエリザベス朝演劇、ソクラテス以前の哲学とか、すごいなんかハードルの高そうな本を乱読だ。これで物書き志望としての兵糧はたくわえられたのである。


しかしポール、あるときプツッと大学やめちゃうのだ。大学の講師と喧嘩して。
そんでホテルにこもってシナリオ書いたり、詩書いたり、映画見まくったり、まぁ悠々自適な文化系ライフにいそしむのだが、あるとき「映画監督になろう」って思って、映画学校の願書とりよせるんだけど、その願書があまりにも分厚くて、結局書き込みもせず終わっちゃった、っていうすごい若いときにありがちな「願書だけで満足する」っていう可愛いエピソードも添えられ(ボクもあったなぁこれ)、そんでもって理解のある講師に出会って、運良く大学に戻れるんだけど、戻ってみると学内紛争で波乱なわけよ。

まぁ、そんな雰囲気にとけ込めるはずもなく、また孤独に、ひたすら「書く」ことに没頭していくポールオースター。なんであるが、この時点で22、3歳。ここでみんながどうしても気になるであろう。「歴史に名を残す偉人は、20歳前後でどれだけのことをしているか?」ということに注目してみよう。


そんな空気のなかで、大学後半の二年が過ぎていった。気が散ることも多く、つねに混乱もただなかにいたとはいえそこそこの量を書きはしたが、どの試みも大した成果は挙がらなかった。二冊の長編小説に着手して挫折し、戯曲を何本か書いたがどれも気に入らず、詩も次々に作ったがほとんどは自分でもがっかりするような出来だった。そのころは野心の方が能力より大きく、私はくり返し苛立ちに襲われ、挫折感に苛まれていた。(P118)

とても好感が持てますね。実績としては大学新聞に映画や本のレビューがのったぐらいで、見事にくすぶってます。とても好感が持てますね。「何者にもなれてない」「誰にも評価されてない」「才能の片鱗もあらわれてない」「それでいて野心だけある」どれをとっても身に覚えのある胸をかきむしりたくなるほどの自尊心の叫びです。20歳前後の「負性」としてここに、そろい踏みであります。もうステキ。

そしてさらにステキなのは、ポールオースターが大学時代に、「失敗者をたたえよう」っていう企画を考案して、いろんな失敗、それもまったく見向きもされずに終わった失敗エピソードを学内で募集して賞賛しよう、ていう企画を立てたっていうエピソードを語るんだけど、この時の心理状態が非常に、身につまされるというか、ちょっとドキッとするわけよ。


もちろんこれは単なる冗談、文学的悪ふざけの実践練習にすぎない。けれでも、そのユーモアの下には、何やら穏やかではないもの、何か全然笑えないものがある。なぜ失敗を神聖視しようとなどという気になったのか? ――私にはそれが、不安の表れに、自ら向かおうとしている不確かな未来への恐れの発露に見える。―――ああいうふうに言えば、負けることは勝つこと、勝つことは負けることとなり、ゆえにたとえ最悪の結果に終わったとしても精神的勝利を宣言することはできる。(P122)

これはホント僕にもありますよ。失敗者への羨望というかね。勝ったやつ、負けたやつ、二人いたら、負けた奴のほうに感情移入しちゃって神聖化しちゃう感じ。はたまた「失敗」することを異様に美化して、負けても凹まないように保険うっとこ、みたいな心理。

遠い異国の偉人もこんな心理になるなんて、こういうのって万国共通だったんだね。ステキ。


そして大学を卒業したポールオースター、数え切れないほどのバイトを経験し、最終的に30になるまで世に出ることなく、翻訳や、ライター業でやっていくことになります。作家志望のすごく正統派な下積みコースを歩んでいくのです。そこから船で働いたり、家庭教師をやったり、通訳やったりと、もう気が狂ったかのように転職を繰り返し、そして27歳。


私は27歳で、実績として示せるものは一冊の詩集と、小難しい文芸評論が何本かあるだけだった。(P197)


ここでも本は出せてるが、自分の思うところの「自分」にはなれてないこと嘆くポールオースター。28歳になり結婚し子供も生まれ、やっと物書きとしてわずかな収入が入るようになるが、本業は「翻訳」で、こうイマイチ、ガツンと来ないわけよ。

そんで知り合いのツテで、戯曲を舞台で上映できるっていう千載一遇のチャンスが到来して、よっしゃここでオレの才能見せたるで、ってなるんだけど、これが哀しいことに大失敗する。ギャグは滑り、感動するとこではシラけ、もうえらいことになる。


私はもう、どうやってここから逃げ出すかということしか考えてなかった。頭が痛くて割れそうだった。(P218)



そんでもってワラにすがる思いで、もう一度、今度はイケルだろ、って思いで、別の舞台で上映しようとするんだけど、今度は主役級の役者が肺炎でブッ倒れて、これも失敗。しまいには子供が生まれて、家計が苦しくなってきて、モノを書く時間もなくなり、


私は考えた。はじめからずっと、私はひとつの板ばさみに悩まされてきた。すなわち、肉体の欲求と、精神の欲求との折り合いをどうつけるか。このジレンマに、新しい方法で取り組もうと思ったのだ。方程式の項自体は、以前同じだ。一方に時間、もう一方にお金。両方何とかなるものと当て込んできたわけだが、何年にもわたって、まず自分一人の口を、やがて二人の、さらには三人の口を満たそうと奮闘してきた末に、とうとう負けを認めざるをえなかった。敗因を理解するのは難しくなかった。時間のために精力を注ぎすぎ、金のために十分精力を注がなかったのだ。その結果、手元には時間も金も残っていなかった。(P224)



もはやこれまでか、って思ったときに、ポールオースターは子供のころ遊んでいた野球のカードゲームを思い出し、「これをおもちゃ会社に売り込みに行こう」「それで一攫千金だ」「今度こそイケルだろ」「これでいけんかったらホントやばい」つって、もう半か丁かぐらいの勢いで売り込みに行くのだが、なんとこれも失敗するのである。門前払いくらって。もう失敗だらけ。

それで最後にちょっとだけ成功するのだが、それが探偵小説を出版して900ドルもらったよーっていう、非常につつましい成功で、とてもじゃないが今までの失敗をカバーできる類のものではない。

しかしこれだけの失敗を、こうやって自伝として語れるということは、ポールオースターが最終的に「成功したから」にほかならないのであるが、この失敗のどこかの段階で精根尽き果て「モノを書く」ということをやめていれば、のちの作家としての成功もなかったわけである。失敗は夢を諦める理由にはならない、て言われた気分になるのである。


ポールオースターの人生を知ると、2、3回、失敗してもたいしたことないように思えてくるから、すごいよね。